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トップ>ビジネス>アルファポリスビジネス編集部 道を極める 第18回 藤倉健雄さん(カンジヤマ・マイム)「沈黙を破ったパントマイムが魅せる 「好き」をやり遂げる姿」

沈黙を破ったパントマイムが魅せる
「好き」をやり遂げる姿

2017.04.18 公式 道を極める 第18回 藤倉健雄さん(カンジヤマ・マイム)

「感じる心が山もり!」の想いを込めて名付けられたパントマイム集団「カンジヤマ・マイム」。主宰するのはマイム歴40年の藤倉健雄(カンジヤマ・マイムA)さん。「無口で、白塗りの大道芸」という従来の常識を破り、観客を積極的に引き込む“おしゃべりなパントマイム芸”は、多くの人々の心を掴んできました。故永六輔氏をはじめ、数々の著名人からも愛されてきた独自のパントマイム芸。その世界観はどのようにして生まれ、磨かれてきたのか。「すべては感動からはじまった」と語る藤倉さんの原点、そして挫折と挑戦の軌跡を辿りながら、そこに込められた「感動」を伝える想いを伺ってきました。

(インタビュー・文/沖中幸太郎

「感動の種」を育て続けて40年
カンジヤマ・マイムの「おしゃべり」の秘密

藤倉健雄(ふじくら・たけお)

 

カンジヤマ・マイム主宰

 

Ph.D (教育演劇学博士)。早稲田大学国際教養学部(SILS)、および上智大学国際教養学部(FLA)講師。ニューヨーク州立大学演劇学部修士課程を経て、ウィスコンシン大学演劇学部博士課程修了。アメリカマイムの巨匠、トニー・モンタナロ氏に長年師事し、米国内の多くの大学でマイムや教育演劇のクラスを指導する。マイム歴40年。マイム、教育演劇に関する著書、訳書、および論文多数。中でも2008年日本の教育演劇に関する博士論文が、アメリカ 教育演劇協会より最優秀論文賞を受賞した。NHKテレビ「おかあさんといっしょ」の身体表現コーナー「パント!」の振付、監修担当、また、NHK国際放送「日本語クイックレッスン」のマイムコーナー「Grab it!」の振付を担当し、自ら出演している。【公式ウェブサイト】。

――心を掴む「おしゃべりなパントマイム」が好評です。

藤倉健雄氏(以下藤倉氏): カンジヤマ・マイムは、現在ぼくAのほか、B、Cと3人のメンバーで、全国各地の学校、文化会館、病院、その他養護施設などさまざまな場所に呼ばれてパントマイム公演を行っています。少ない月で7〜8本、多い月でほぼ毎日、どこかに出かけています。

長らくパントマイムとは、「無口、白塗り、大道芸」というイメージが定着し、どこか普段の自分たちとは「違う」世界と思われがちでした(もちろん、そうした世界観も魅力のひとつなのですが)。しかし、パントマイム芸能の幅広さ、面白さをもっと多くの人に知ってもらいたい、身近に感じてもらいたいと、ぼくたちは沈黙を破り、舞台の上でしゃべりはじめました。

パントマイムに必要なのは、「自分の内なる独自性」を発見し、表現することです。ぼくたちはつい、自分に足りないもの、欠けているものに目がいきがちですが、すでに「身体」という素晴らしいものを持っています。足りないものは何もない。ただ自分が持っているはずの宝、「身体」と「想像力による独自の可能性」を掘り出しさえすればいいんです。マイムという「鏡」に映った自分の内なる可能性を掘り起こし、そうして生まれる自己表現を、自分の好きな分野に利用することができるところに、パントマイムを演じる魅力はあります。

ぼくたちの「カンジヤマ」というのは、「“感じる”心が“山”もり」になったマイムという意味を込めて名付けられたもので、公演先の主催者には「感動が山もりでなければ、お代は要りません」とお伝えしているくらい、全身全霊を込めて活動しています。ステージを駆け回り、時には大声を出し、全身で感情を表わしているので、公演を終えた後は、もう汗びっしょり(笑)。観客の皆さんと一緒になってショーを形作っています。

また、落語協会にも正規会員として属していて、話芸も用いた演芸場用のマイムも行ったり、早稲田大学や上智大学で、それぞれマイムの歴史と理論の講義を担当したりと、パントマイム三昧(ざんまい)の幸せな毎日を送っています。

――藤倉さんは人生のすべてを、パントマイムに捧げているんですね。

藤倉氏:パントマイムに魅せられて40年以上。今でこそ、自分が感動したこの道を歩むことができていますが、最初から将来のビジョンが描けていたわけでも、突出した才能に恵まれていたわけでもありません。そんなぼくが、今こうしてパントマイムを通して大勢の観客の前で自分を表現し、感動を分かち合う機会を持てているのは、本当に幸せなことだと感じています。

もちろん、ここに至るまでは決して順風満帆ではなく、途中には投げ出したいほど辛い出来事もたくさんにありました。それでもこの道を歩くことをやめなかったのは、パントマイムの中に見た「憧れ」が、強烈に自分の中に根を下ろしていたからなんです。はじめてパントマイムを目にした時の衝撃。「自分もパントマイムがやりたい!」。この単純で強い憧れこそが、ぼくのすべての出発点でした。

「学問は身を助ける」
好きなことをやり切る素地を作ってくれた母の教え

藤倉氏:パントマイムに出会うまで、ぼくは野球と英語に夢中になっていました。ちょうど『巨人の星』世代で、小学生の時に最初にはまったのが、野球でした。ただ、実際にプレイするよりも、「なぜカーブは軌道を描いて曲がるのか」といった理論の方に興味があって、同級生たちが『巨人の星』の登場人物になりきって練習している中、ぼくは理論書を読みあさって、頭の中でも野球をしていました。

次に興味を持ったのは英語でしたが、これは中学生の時、英語の教育学者である松本亨先生の『英語の新しい学び方』という本を偶然手にとったことがきっかけでした。この時も、取り憑かれたように英語に関する本を片端から読みあさり、それでも飽き足らず英語塾にも通わせもらい、さらにはネイティブの先生から本場の英語を学びたいからと親にせがんで、学費は高額でしたが、私立で英語教育が盛んな立教大学の附属高校である、立教高校に進ませてもらいました。

――とことんやる性格は、パントマイム以前から……。

藤倉氏:これには、ぼくの母の教育方針が大きく影響しているんです。ぼくの実家は、千葉県松戸市で江戸時代から七代続く「畳店」で、三人姉妹の長女だった母は、「職人に高等教育は必要ない」と、勉強したくしてもできない環境で育ったそうです。その長男であるぼくも、将来は暗黙の了解で畳店を継ぐことになっていたのですが、母は「自分と同じような想いをさせたくない」と、「学問はあなたの身を助けるもの」「そのためならお金に糸目はつけないから、好きなだけやりなさい」と、幼少時、近くを流れる坂川を散歩するたびに繰り返しぼくに言っていました。「勉強だけでなく、自分がこれと思ったものは、何でも納得するまでやりなさい」とも。今思い返すと、そうした母の想いがあって今のぼくがあるんだなと、感謝しています。

英語にどっぷり浸かっていく中で、英語を駆使して世界で活躍できる同時通訳者に憧れ、英語の勉強にますますのめり込むようになりました。そのころには、ぼくの中で「畳店」を継ぐことはもうほとんど頭になかったのですが、いよいよ大学進学をすることになり、家からも半ば、仕方がないと思われるように。とはいえ、本当に好きだった英文科に進むことはなんとなく罪悪感があって言い出せず、「就職に有利だから」と取り繕って、あまり興味のない学部に進んでしまいました。

なんとなく、附属からそのまま進んだ大学。ちょうど同じ時期に、同時通訳という職業が自分には向いていないことにも気づいてしまいました。同時通訳者は逐一話者の言うことをそのまま伝えることが仕事で、感情も私見も入り込める余地はないことに、ひと言付け加えてしまいそうな自分の性格では無理だと感じたんです。

せっかく許された大学進学。入学早々にして、ぼくは目標を見失ってしまったんです。興味のあった分野で選んだ学部ではなかったので、講義にも身が入らず、ほとんど出席していませんでした。その代わりに、単位にならないけれど本来興味のあった英文学関連の講義を受けたりしていました。

今につながる最初のきっかけとなったのも、もぐりこんで受けていた他学科の講義でした。英文科の鳴海四郎先生(当時文学座顧問)の講義で、アメリカの戯曲、マレー・シスガル作の『タイピスト』を鑑賞したのですが、人間の人生をわずかな時間に凝縮して魅せる、「創造的歪み=Creative distortion(※藤倉氏造語)」に魅せられた最初の出来事で、鳥肌が立つほど感激しました。こうした経験が少しずつパントマイムとの出会いにつながっていったんだと思います。

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アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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