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第3章

そのころ、ベルカイムでは。

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予告なしにすみません。
幕間です。



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ルセウヴァッハ邸の朝は早い。

鴇が鳴く前に使用人たちはそれぞれに起床。誰よりも早く起き出すのはレイモンド・セルゼング。ルセウヴァッハ家の執事である。
幼少期よりルセウヴァッハ家に仕え、代々領主の執事となるべく教育が成されたレイモンド氏は、毎日同じ時間に起きられることが自慢。執事たるものこのくらいは当然のことですよと謙遜しながらも小鼻が膨らんでいたのは、やはり自慢なのだろう。

使用人たちに発破をかけながら自らも朝の支度。シワ1つ無い制服を身に纏い、足早に各所のチェックを済ませる。朝刊が届いたら我先にと新聞にアイロンをかけ、主人が爽やかに目覚められるために紅茶の準備。朝食の献立を確認してから主人の部屋に入る。確認のためのノックはしない。信頼される執事である証拠なのだから。

主人は部屋の扉が開くのと同時に目を覚ます。若き伯爵であり広大な領地の領主でもある主人は、毎夜遅くまで病床の奥方を見舞っていた。
だが昨晩は奥方も落ち着いた寝息を繰り返しており、魘されて目覚めることもなく、主人は久しぶりに熟睡が出来たようだ。顔色がとても良い。かくいうレイモンドも久しぶりの熟睡であった。

「おはようございます旦那様」
「ああ、おはようレイモンド」
「一面を飾りますのはヴォズラオでの新たなる英雄の話でございます」

パリッとした新聞を手渡された領主ベルミナントは、一面に大きく書かれた『救世主ヴォズラオを救う』の文字に微笑んだ。
あの種族は何事も大事に捉えるのだが、今回の記事を読むとそれが決して大事ではないとわかる。それはそうだ。鉱山に現れた恐ろしい悪魔を退治したものなど、救世主や英雄と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。

ベルミナントの盟友であるクレイストンとはアルツェリオの王都で出会った。その時既にクレイストンは大きな傷を作っていたが、昔ドワーフ王国で魔族を追い払った功績はギルドに記録として残っていた。
彼もまたドワーフ王国では英雄と称えられている。彼に言わせれば『追い払っただけ』らしい。しかしドワーフにとっての英雄だと言うのだから、その立場に甘んじておけばいいものを、実直すぎる男は頑としてそこは譲らなかった。

だからベルミナントはクレイストンが気に入った。
己の利益しか考えることのできない連中が多い中で、あくまでも正直に生きる彼は不器用であるが似ていた。
誠実であろうとする自分に。

「ふうん…。英雄の像を新たに造るらしいな」
「リュハイの鉱山が再開され、ベルカイムの職人達も喜んでおります」
「それは良かった。ドワーフの王ももっと早く助けを求めれば良いものを」
「ドワーフは借りを作ることを嫌いますからね」

若き領主であるベルミナントも鉱石の供給難には困り果てていたのだ。ベルカイムは地方では商業都市として栄えているが、特に秀でた名産物などは無い。荒くれ者の冒険者達の拠点として賑わっているので武具が売れやすいという利点はある。しかし、そのせいで街の治安が多少乱れる難点もあるのだ。

「ペンドラスス工房の作は出来上がったのだろう?」
「白銀と青のとても美しい剣を作り上げたそうです」
「うむ。俺も見てみたかったな…」

唯一誇れることといえば、商業区で腕を振るうドワーフ達。他の都市ではあれほどたくさんの職人ドワーフは見かけない。それこそドワーフの国に行かなくてはならないだろう。

ベルカイムには冒険者が集う。背を運河に正面は広大な平野と森。豊かな大地に獰猛なモンスター。日々溢れるほどのクエストがギルドに舞い込み、冒険者達は腕を上げようと競い合って受注をする。それだけ武具は消耗され、修繕され、新たに購入される。
ドワーフの武具を作る技術は一流だ。しかも王都でも名の知れた武器鍛冶職人であるペンドラススが居を成している。これだけでベルカイムは他の都市よりも魅力が上がるのだ。

「王都より帰還したら我が屋敷に招こう。労をねぎらいたい」
「心得ております。あの偏屈な男が素直に招かれるとは思いませんが」
「ふん、そんなの知るかと一喝されそうだな」

王族や貴族に媚びるような職人はドワーフには居ない。頑固で偏屈ではあるが、一本筋の通った頑固さなのだ。誤魔化したり不正をしない真っ正直な種族。

伯爵であり領主ともなれば己の私腹を肥やし、領民からなんとかして税を取り立ててやろうと画策するもの。しかし彼は知っていた。強引に取り立てれば民は不満になる。不満に思うものが素直に税を納めるわけがないことを。

領主は尊敬されなくてはならない。しかしそれは日々の生活と他人を思いやる心だと先代は言っていた。
王都では暮らし辛く国の端に住むことを選んだが、それでいい。
おかげで面白い男に逢えたのだから。


ヴィーーーッ!!
ヴィーーーッ!!
ヴィーーーッ!!


屋敷中に響くけたたましい警報。
支度を済ませた領主と執事は顔を見合わせると、慌てて階上を目指した。この音は屋敷の中央にある塔から聞こえてくる。
そう、領主夫人ミュリテリアの寝室からだ。

「なにがおこったのだ!」

屋敷自体が警備兵に守られている今、この厳重な警備網を突破するものと言えば。
全速力で駆けつけたベルミナントが見たものは、妻の部屋の前で通せんぼをしている愛娘と。

「これはこれは領主様…」

娘の家庭教師であるベルナード・エルスト。
ひょろりとした細い身体に人の良さそうな笑顔。賢く話術に長けた男だ。娘が里帰りをしている間だけお目付け役として雇ったのだが、当分は暇をやったはず。
ベルナードは穏やかな微笑みを見せた。

「何用だベルナード。お前にはいとまを申し付けたはずだ」
「突然そのようなことを申されましても。理由をお聞かせいただきたく参りました」
「それが何故妻の私室にいるのだ。それにティアリス?」

ティアリスは瞳に涙を浮かべながら扉の前で両手を広げていた。

「お父様…」
「ティアリス、ホウレンソウだ」
「は、はい!お母様にご挨拶がしたいって、わたくしはおやめくださいとお願いしましたの!お母様はやっとゆっくり眠れるようになったのだから、邪魔をなさっては駄目!」
「ティアリス様、わたくしは案じておるのですよ?使用人に聞きましたが、なんでも怪しげな治癒術師を招いたのですってね。もしや奥方様に危険な術を施したのかもしれません」

ホウレンソウの単語に一瞬訝しげな顔を見せたが、あくまでも優しく諭すように話すベルナードだった。いつものティアリスならば素直に従っていたはず。しかし彼女は僅かに身体を震えさせながらもその場を動こうとはしなかった。

「あの御方は怪しげな術師なんかではないわ。とてもお優しくて…す、素敵な御方なのですから」

頬を赤らめて俯く娘のなんと愛らしいことか。いつまでも子供だと思っていたが、ちゃんと淑女への道を歩いているのだ。
ベルミナントは内心嬉しく思いながらも愛娘を見つめた。

「それに、お母様のご病気を治してくださるのだから!」
「なんでも冒険者だとか…?そんな無礼な輩を信じるなどと嘆かわしい。お教えしましたよね?冒険者などというものたちは野蛮で、無法者で、礼儀を知らぬうつけどもだと」
「違います。それは、違いましたわ。少なくともタケ、わ、わたくしがお逢いした冒険者の御方はとてもお優しく、わたくしよりもずっとずっと礼儀をわきまえた御方でした」

言葉巧みな家庭教師の教えに従い、冒険者は野蛮で頭が悪くて汚らしい、最下層のものが金に困ってなる職業だと教えられた。
しかしそれがどうだ。ティアリスが出逢った冒険者はその思い込みを全て否定した。出逢った瞬間こそ大きくてもっさりしていてなんだか恐ろしげに思えたのだが、彼が腰を下ろして視線を合わせた瞬間、驚くほど整った顔がそこにあったのだ。見たことのない美しい空色の瞳は、忘れたくても忘れられない。

ゆっくりと、己を諭すように話してくれた。
決して叱りつけることなく、咎めることなく、礼儀正しく。

教えてくれた。間違いに気付けたことは素晴らしいことなのだと。

「わたくし、わたくしは、あの御方を信じます」

領主である尊敬する父が心から信頼する盟友の仲間。
彼は膨大な報酬を望むかと思えば、石鹸を望んだのだ。あの、ただの石鹸を。
庶民にとっては値の張る嗜好品であるが、どこにでもある、自分にとっては当たり前にあるただの品物。それを欲しいではなく買わせてくれと言ったのだ。

父は笑って言っていた。ギルドの評判通りの男だった。多くを望まず、だが拘るべきところは妙に拘り、しかし決して頑なではなく情に厚い。
謎は確かに多い。素性はわからないまま。しかし、彼には信頼できるにあたる何かを感じさせるのだと。

「その冒険者が道中でモンスターに襲われたことはご存知でしょうか?己の腕におぼれ、調子に乗って森の奥地にまで行ったそうです。そして残念ながら……」

ベルナードが気の毒そうに言い出した。
しかし領主は態度を変えず、動揺もしなかった。『もしかしたら』と思ったからだ。

「さて、そのような情報は得ていないが?」
「わたくしの情報によりますと―――」
「一介の家庭教師が、ルセウヴァッハ領主たる俺の情報網よりも秀でていると申すのか?」
「い、いいえ、そういうわけでは」
「では、俺が雇い入れた冒険者はどこで、どのようにして、どのようなモンスターに襲われたのか聞こう」
「え!そ、それは……」

温和で知られる領主の声が冷ややかに響く。
ベルナードは貴族ではない。王都にある王立寄宿学校を優秀な成績で卒業した教師だと言うから雇い入れたのだ。確かに貴族ではないが貴族の心得は持っていた。品性もあるようだし知識もあった。

だが冒険者は言った。

―――何故そう思うのか、どうしてそうなるのか、先ずはじっくりと考えてみてください。誰かに何かを言われても、どうしてなのか考えましょう。

この言葉でベルナードの言葉を考えるようになった。目が覚める思いであった。
相手を無条件に信じ、それが相手からの信頼に繋がるものと思っていた。

彼は誰の紹介で来たと言った?
ミュリテリアの身体に良いと出入りの業者を紹介したのは誰だった?
彼の紹介で幾人のメイドを雇い入れた?
そうして、ミュリテリアは快方に向かったのか?

神にも縋ったが、結局答えてくれたのはランクFの冒険者。

「レイモンド、彼にあれを持って来い」
「は。あれ、でございますか?直ぐにお持ち致しましょう」

忠実な執事はあれが何なのか聞きもせず行動を開始した。
と、同時に衛兵が駆けつける。塔から降りる回廊に衛兵やメイドらが集まると、ベルナードの顔色が変わった。

「領主様、如何されたのですか?よもやその怪しげな冒険者に何かそそのかされて?!」
「で、あったとしたらどうする」
「ご領主ともあろう御方がどこぞのものともわからぬ男の甘言に乗るなど」
「ほう?なにゆえ冒険者が男であると知っているのだ」

先日、妻の部屋に黙って入ろうとしていたメイドを取り押さえた。妻によからぬことを考える者が部屋に近づくと、警報は容赦なく鳴り響く。
メイドは雇い入れて半年ほどの。
ベルナードの親戚というものだった。

「旦那様、お持ち致しました」

レイモンドが戻った。
手に水差しとコップが乗った盆を持っている。

「ベルナード、喉が渇かぬか?」

恐ろしいほどの威圧を向けていた領主は、突然微笑んだ。執事が用意したカップに水を注ぎ、そのカップをベルナードに向ける。

「領主様…?」
「ミュリテリアが口にしていた、滋養に良いとされる特別な水だ」
「ヒッ!」

無色透明の水。
高名な僧侶が祈祷を挙げたという特別な水。

「お前は何をしに、いや、何を確認しに当屋敷を訪れたのだ」
「わ、わたくしは!その、冒険者風情が、わたくしの情報によると、大怪我を負って、そ、そうです!領主様に賠償金を、と、迫っているのです!」

嗚呼。

その言葉を聞きたくなかった。
少しでも残っていた、もしかしてという可能性。信じていたいという気持ち。
それがいま、微塵も残すことなく消えた。


ベルナード・エルストは即座に捕縛された。
罪状は経歴詐称からはじまり、偽りの情報で伯爵家から金銭を巻き上げようとした詐欺罪。怪しげな出入りの業者も一網打尽にし、秘密裏に拘束。闇商人との癒着も判明し、ドラゴンの違法な売買組織の存在も確認された。ティアリスの我儘でドラゴンを手中にした上、秘密裏に売り飛ばそうと考えていたらしい。世界が守るドラゴンになんたる所業だと、これは国を挙げて組織を追うこととなるだろう。
全て公にはせず、箝口令を出した。だが、そこまで強制せずともあの場に居たベルナード以外は全て信頼できる者たちだ。決して口外などしない。

妻の部屋に配置された魔道具(マジックアイテム)は恐ろしいほど有能だ。悪意があるものを決して寄せ付けず、害のある飲食物は蒸発すらする。
このような魔道具(マジックアイテム)は見たことが無い。王宮を守る結界具よりもよほど優秀だ。近づくものの真意を測るものなど初めて見た。この、伯爵家の主たる己が知らぬのだ。王すら知らぬことだろう。



もしも彼の存在が国に露見することになったら―――。







その後の父子。



「お父様、勝手な真似をしてごめんなさい」
「構わぬ。お前は母を守ろうとしたのだ。お前もただ守られるだけの存在ではなく、誰かを守る立場になったのだな」
「お父様ぁ…」
「良い、良い。それで良いのだ」

涙を流し喜ぶ愛娘のなんと美しいことだろうか。
心が成長した人間は、誰しもこう大人びて見えるのだろうか。
妻に瓜二つではあるが、娘には娘なりの美しさがあるようだ。

「ところでお前はまだ嫁にやらんからな?」
「えっ?」

さて。
名のある貴族に嫁ぐのだろうか。


それとも。





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