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1巻ダイジェスト

1巻該当箇所「精霊」〜「トラブルメイカー」

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 石の階段は螺旋状に渦巻いていた。カツン……カツン……と足音が反響する。
 塔の中は暗くひんやりしていて、外の暖かさが嘘のようだ。
 しっかし何段あるんだ、これ? 先が見えないんだけど。
 この螺旋階段の幅が狭くなかったら、コクヨウに乗って行きたかったよ。マジで。
 そのコクヨウはというと、いつもの子狼から中型犬くらいの大きさになって、ヒョイヒョイと階段を上っていく。
 そして時々止まり、こちらを見てきた。
 俺は息をつくついでに、コクヨウに話しかけた。
 「幽霊退治って言うけどさ。本気?」
 今回のコクヨウはやけに乗り気だ。
 【最近暇だったからな。暇つぶしにはよかろう。爪が疼くわ】
 ニヤリと笑って、階段を爪でガリガリと引っ掻く。
 やめなさい。その爪の跡も幽霊のせいにされるぞ。
 だが、それを見てふと思った。
 「相手に実体がなくても、爪でどうにかできるの?」
 素朴な疑問を聞いてみる。ガリガリと引っ掻く手が止まった。
 パチリと視線が合って、二人の間に沈黙が漂う。すり抜ける可能性を考えてなかったようだ。
 いや、幽霊を実際見たことないからわからないけどさ。普通、実体ないんじゃないの?
 「コクヨウってさ……本当に伝承の獣なんだよね?」
 思わず真面目に聞いてしまう。
 コクヨウと出会ってからもうだいぶ経つが、今のところ、お腹ぽんぽんにして寝ている格好と、スイーツをがっつく姿しか見ていない。
 【何を言うか。当たり前であろう】
 心外とばかりにガウと鳴く。
 【幽霊が、実体のないものばかりだと思うな。実体のある幽霊だっているかもしれんぞ】
 そう言ってくるが……自分だって、絶対そう思ってただろうに。
 俺が疑わしげに見ると、コクヨウはプイッと体を反転させて、階段を上り始めてしまう。
 【いつまで休んでいる。さっさと行くぞ】
 明らかに逃げたな。だが置いていかれては困るので、慌ててついていく。
 しばらく進むと、ようやく塔の頂上に着いた。塔の頂上は窓が二つあって、そこから外の景色が見えた。外気が入ってくるからか、暖かさを感じる。
 部屋の中央には一メートルくらいの高さの台座があり、そこには白い大きな石が鎮座していた。
 部屋を見回す。
 静かなんだけど、何か違和感あるな……。
 幽霊騒ぎのせいで、塔の頂上には人があまり来ないって話だった。
 だがその噂のわりに、悪い気を感じないというか……。むしろ清浄というか……。
 俺は中央に鎮座する白い石に近寄る。
 「これが森で発見された石か」
 大人一人分はあるんじゃないだろうか。こんな大きなもの見たことない。
 それに、真っ白一色の石なのかと思ったが、奥のほうに緑色も見える。何の石かはわからないが、不思議な魅力を感じた。
 石をマジマジと観察していると、コクヨウが低く唸った。
 【フィル、気をつけろ】
 コクヨウが中型犬から二回りほど大きくなった。どうやら何かを感じたようだ。
 「幽霊がいるの?」
 辺りを見回しながらコクヨウに寄り添う。
 【わからぬが……何かいるな】
 コクヨウは窺うように瞳を動かす。俺は緊張を落ちつかせるため、深い呼吸をした。
 窓の外から風が強く吹きつけてくる。
 こんなに急に吹くわけがない。間違いなく、何者かの仕業だ。
 とっさに目をつぶり、風をやりすごす。
 風がやんで、目を開けると……窓辺に、白い服を着た少女がいた。
 ビックリして、俺は息をヒュッと呑み込む。
 ライトグリーンの髪と瞳をした、十歳くらいの少女だ。膝丈の白いシンプルなワンピースを着て、裸足だった。
 瞳はどこか虚ろで、寂しそうにじっとこっちを見ている。やはり実体がないのか、透けて見えた。
 「出た! 幽霊っ!」
 思わず指差して叫んでしまった。
 すると、少女は悲しそうに俯いて、ボソリと呟く。
 【幽霊……違う】
 幽霊と言葉通じてるじゃん! 嬉しさで、口元に笑みが浮かぶ。が、すぐ首を傾げた。
 「って……あれ? 『違う』って言った? 今」

 驚いた俺が少女に話を聞くと、コクヨウが精霊だと教えてくれた。
 彼女が言うにはこの白い石は精霊の繭で、彼女自身なのだと言う。
 精霊の繭は森で百年の眠りにつき、自然の力を蓄えて羽化し成熟するのだそうだ。
 しかしその精霊の繭を、俺のご先祖様が森から城に運んできてしまった。
 この城の結界石のせいで、繭の力が失われていくとも知らず。
 少女は何とか助けてもらいたくて姿を現したが、人と言葉を交わす事が出来なかった為、
 雷や風や雨などで意思疎通をはかったということだろう。結果は幽霊騒ぎになって逆効果だったようだけど。
 それにしても、何で俺、精霊と話せるんだろうか? 頭を打った後遺症かな?
 【お願い。助けて……】
 「助けるって、どうしたらいいのかな?」
 ご先祖様の不手際。できることならば助けてあげたい。
 精霊の繭の儚げな光を見るかぎり、このまま消失してしまいそうだった。
 【とりあえず、結界石破壊してくるか】
 コクヨウは爪をワキワキと動かして、舌舐めずりをする。
 この状況でなぜにそんな楽しそうなんだ。
 「今は却下」
 息をひとつ吐いて、空中にバツを書く。
 今さら壊したとしても、精霊の繭の力がすぐ回復するとは思えなかった。
 「他に助けられる方法はないのかな? 力を回復させるような」
 少し焦りつつ、コクヨウと少女を交互に見る。
 【あなたの……】
 「え?」
 少女がか細い声で何か言ったが、よく聞こえなかった。もしかしたらいよいよ消失しかかっているのかもしれない。
 【あなたの力、繭に……】
 「力? 繭に?」
 俺の力を繭に分けるのだろうか?
 首を傾げながら精霊の繭に両手を添える。
 【フィル、いいのか? 命に関わるかもしれぬぞ?】
 低い声で言うと、コクヨウが近づいてきて俺の顔を覗く。
 命か……。まったく躊躇しないと言ったら嘘になるが……でも。
 「元はといえば、ご先祖様がやっちゃったことだもん。悪気がなかったとしてもね。僕が力を与えることで助かるなら、この子を助けたい」
 そう言うと、コクヨウはクックッと体を震わせて笑った。
 【やはりお前は面白い。わかった。ならば我の力も貸そう】
 コクヨウは俺の肩に自分の足をそっと乗せる。触れられた部分がポカポカして、顔が紅潮してくる。コクヨウが足を外しても、その熱は俺の体の隅々まで巡った。
 目を閉じる。両手に意識を集中させながら、体に流れるこの熱を繭へと流すイメージ。肩から腕、手のひらから指先……触れた部分を起点に、繭が少しずつ温かくなっていく。
 少女はふわりと俺の横に立つと、繭の中に姿を消した。
 繭の熱が鼓動みたいにジンジンしている。それに呼応するように内から発光してきた。
 表面には薄く亀裂が入り、それはどんどん広がっていく。まるで孵化する前の卵みたいだ。

 「フィル!?」
 突然背後から名前を呼ばれて、反射的にビクッとした。振り返ると、ステラ姉さんとアルフォンス兄さんが立っている。
 幽霊を見に行った俺を心配して、来てくれたのか。一人では幽霊が怖いから、ステラ姉さんがアルフォンス兄さんも連れてきた、といったところかもしれない。
 「フィル、いったい何をやって……」
 ステラ姉さんにしては珍しいくらいに動揺した声を出す。その声を聞いて、自分の今の状況を顧みた。
 塔の記念とされている白い石は発光し、全体的にヒビ割れ、俺はそれに触れて何やら念を送っている……。
 なーっ! やばいとこ見つかったっ! 明らかに俺、怪しいっ!!
 「あ、あの、これには事情が……。説明すると長くなるんですが、悪いことをしているわけではなくて」
 俺は困ってしまい、繭とアルフォンス兄さんらを交互に見た。
 繭のヒビ割れはもう大きなものになり、発光もどんどん強くなっている。
 繭と俺を取り囲むように、風の輪ができる。まるで小さな竜巻の中にいるみたいだ。
 コクヨウとアルフォンス兄さん達は、一歩引いて様子を窺っている。
 パァァァンッ! とガラスの割れるような音が辺りに響いた。繭が弾けたのだ。
 手が自由になり、咄嗟に腕で顔を覆う。
 風がだんだん弱くなると、コクヨウが傍にやってきた。俺はおそるおそる腕を下ろす。
 目の前には女の子が立っていた。だが、さっきの十歳くらいの少女ではない。十七か十八歳くらいだろうか。ライトグリーンの髪と瞳は変わらないが、背が伸びて胸は豊か、顔つきもずいぶん大人びている。
 さきほど着ていたシンプルなワンピースは、ローマの女神像のような服になっていた。シフォンのような柔らかな布は、ヒラヒラと優雅に揺れている。
 「さっきは説明できませんでしたが、この石は精霊の繭だったんです。この城の結界石によって弱っていたので、僕が羽化を手伝っていました」
 「精霊?確かに昔は精霊がいたと聞いたことはあるが、今は小さな妖精ばかりだと……」
 信じられないと言うように、アルフォンス兄さんが精霊を見る。ステラ姉さんも同様だ。
 「なぜ、これが繭だと?」
 「不思議なんですけど、精霊と会話ができたんです。事情を聞いたら自分は幽霊じゃないし、これは精霊の繭だって」
 肩をすくめて、さきほどまで繭が載せられていた台座に視線をやる。白い石の結晶の破片が、辺りに散らばっていた。
 「精霊の言葉がわかるのですか?」
 ステラ姉さんは小さく息を呑む。
 「はい。それで助けることにしたんです。僕の力を分け与えて。ね?」
 俺が精霊に聞くと、にっこり微笑む。
 【はい、助けてくれてありがとうございます。ご主人様】
 そう言ってスカートの裾をつまむと、お姫様のようにお辞儀をした。とても優雅に。
 「……んん?」
 今……精霊、何て言った?
 俺が首を捻っていると、アルフォンス兄さんが尋ねてきたので、俺が精霊に「ご主人様」と呼ばれたことを説明する。
 精霊は俺が羽化させたことで、人の言葉が話せると言うので、兄さん達と直接話をしてくれた。
 「なぜ、フィルをご主人様と呼ぶのです?」
 「ご主人様と契約したからです」
 彼女はキョトンとしながら首を傾げる。何でそんなこと聞くのか、と不思議そうだ。
 美少女のそうした姿はものすごく可愛いが、俺はそれどころではなかった。
 「契約ぅぅ!?」
 ビックリしすぎて声がひっくり返る。
 どっ、どういうことだ。契約って召喚獣と交わすアレか? だって契約って、獣に名前を与えることで成立するんだろ? 俺、そんなことやった記憶ないんだけど。
 頭を抱えながら記憶を呼び起こしていると、コクヨウは欠伸をかみ殺しながら言った。
 【獣と精霊では契約の仕方が違うからな】
 「えっ!」
 コクヨウをバッと振り返る。
 【だから聞いたのだ。『いいのか』と】
 いや、そういう意味だと思わないじゃん。
 俺はパニクる気持ちを落ち着かせながら、精霊を見上げて聞いた。
 「精霊の契約の仕方って?」
 「精霊は成熟するために繭になります。百年の眠りにつき、自然の力を取り入れて成熟するのです。そして羽化するのですが、その際に自然の力ではなく人の力を取り入れて羽化すると、その者との契約が成立するんですわ」
 受付嬢のごとくスラスラと説明し、最後ににっこり微笑む。
 俺は膝から崩れ落ちた。アルフォンス兄さんが何か言ってるが、立てません。精神的ショックで。
 まんま正統な契約しちゃってんじゃん。
 「これが契約だって、言ってなかったよね?」
 涙目で精霊を見上げる。俺は土下座の体勢になっているが、そんなこと気にしていられない。
すると意外な答えが返ってきた。
 「言いましたよ?」
 「ええっ!?」
 嘘だ。聞いた覚えなんかない。
 「『あなたの僕として契約を、あなたの力を繭に』って」
 あの、よく聞こえなかった時かっ! いや、でも、言葉足らないよっ! 詐欺だ。俺はまた詐欺に遭った。
 肝心なことを言わないで、「もう時間がありません」って焦らせて契約させる詐欺と一緒だ。
 「念のため聞くんだけど……クーリングオフというか、契約の取り消しは?」
 おそるおそる聞いてみた。すると精霊は途端にその大きな瞳に、みるみる涙を浮かべる。
 「できませんわ!」
 ポロポロとこぼれる涙を見て、俺は慌てふためいた。
 「ご、ごめんね! 泣かないで!」
 何だこの状況。まるで喫茶店で別れ話してる恋人同士である。何でこうなった?
 「では、改めまして、ご主人様。私に名前を付けてくださいませ」
 精霊は俺を立たせると、自分の服の裾を持って前に立つ。名前を付けてくれるのを待っているようだ。
 あぁ……えー、名前か。髪や瞳がライトグリーンだしな……。
 「ヒスイ」
 翡翠は石だし、ちょうどいいだろう。コクヨウも黒曜石から取ったし。
 名前を聞いて、彼女の顔がパッとほころぶ。
 「ありがとうございます。私ヒスイ、永遠にご主人様のお傍に」
 スカートの裾を広げ、深くお辞儀をする。その姿は物語の挿絵のように美しかった。

 ◇ ◇ ◇

 ある日俺はヒスイとコクヨウを連れて、城の温室に向かっていた。
 父さんからとある薬草栽培を手伝うように言われたからだ。
 なんでも隣国のドラーギ国が薬草を高騰させており、我が国で代わりとなる薬草を見つけたのだが、なかなか栽培がうまくいかないらしい。
 それで自然を司る精霊を仕えさせている俺に、白羽の矢が当たったらしいのだ。
 【温室か。つまらん】
 顔を明るくしたヒスイとは対照的に、コクヨウは興味なさげにため息をつく。
 「そう言わないでよ。皆のご褒美のためなんだから」
 俺はコクヨウを撫でつつ、苦笑した。
 これが上手くいったら外出許可貰えるんだから。

 だが温室に行って困った。薬草は枯れかけているのに、温室管理人のガルボが全く相手にしてくれなかったのだ。
 まぁ、確かに子供がお手伝いしますって言ってもなぁ。
 気持ちはわかる。だけど、話くらい聞いてくれたっていいのに。
 どうやら温室管理人としてのプライドが、それを邪魔するらしい。
 ガルボの息子のマルコは隣で、父親の頑なさと王族に対する不敬に顔が真っ青になっていた。当のガルボはへっちゃらな様子だ。
 実力も知識も国一番となれば、王だって簡単にクビになどできようはずもないと、高をくくってるんだな。自負と驕りが、この頑固さを形成したんだと思うけど。
 どうしたもんかと首を捻っていたら、コクヨウよりも先に、ヒスイがブチぎれた。
 ビックリしたよ。宙に浮かんでガルボたち睨んでるんだから。
 でもそれが、どうやら良かったようだ。ガルボたちは精霊を崇拝していたらしく、気持ちを改めて、俺と協力して栽培を研究することになった。
 「この薬草について知っていることを教えてくれる?」
 ガルボたちに向かって薬草を指差す。ガルボが頷いた。
 「ああ、こいつはマクリナという薬草でして、効能は熱冷まし・咳止め・鼻水や鼻詰まりの緩和……と色んな病に効きやす。ドラーギ国の売っているものより効きがよく、副作用もない、とてもいいものでさ」
 ガルボが懐から乾燥した薬草を出す。見た目は緑茶のようだ。
 「これが乾燥マクリナでさ」
 「へえ、どうやって薬にするの?」
 乾燥マクリナを手に取って匂いを嗅ぎながら聞く。匂いも緑茶っぽい。
 「ふやかしてすり潰して、それを飲みやす」
 あー……やっぱり青汁みたいにして飲むのか。そうだよなぁ。
 良薬口に苦し。そんなことわざが頭に浮かぶ。
 するとマルコがカバンを探って水筒を出し、俺に向かって差し出した。
 「これはマクリナのお茶です。ふやかした時に出たエキスを、お茶として飲むんです。森の近くのチケ村では、これが病気の予防になると言われていまして、昔から飲まれているそうです」
 口をつけ水筒を傾けると、口の中にほどよい苦味とまろやかな甘みが広がった。
 あ、緑茶だ。
 ゴクゴクと思わず飲み干す。一口飲んだら止まらなかった。
 ぷはーっ、懐かしい! 五臓六腑に沁みます!!
 海外で感じる故郷の喜びっ。やっぱりさー、日本人は緑茶だよな。
 薬草栽培に成功したら、絶対毎日飲んでやる。俺の緑茶生活のためにも、成功は必須だ。俄然、 やる気が出てきたぞ。
 その為には、マクリナの育っていた環境と同じ環境を整えてあげなければならないんだよな。だが、俺もガルボたちもほとんど城から出ないので、それが全くわからなかった。
 俺は列状に植えられたマクリナを確認していく。すると、他と違って元気そうなマクリナの並ぶ列があることに気づいた。
 「このあたりって、他と何か変わったことしてる?」
 巨体を揺らしてやってきたガルボは、腰にぶら下げた記録紙を開いた。よく見えないのか、目を細めて記録紙を睨む。
 めっちゃ怖い……。ガルボ……その顔は犯罪者レベルだよ。
 「列ごとに試験的なことやってんですがねぇ。えーこれは……あぁ、川の水使ってますや」
 「川? じゃあ、他の列は?」
 「湧き水でさぁ」
 ああ、やっぱり成分が違うんだ。ふむふむ、と俺は頷く。
 「なら水は川の水を使ったほうがいいね。ここの列は、他よりわりと元気だから」
 そう言うと、ガルボはマクリナを観察して頷く。だが、すぐに表情が暗くなった。
 「ただ……川がちょいとばかり離れているんで、そこから水を運ぶのは一苦労かもしれねーです」
 マジかー。こりゃ、ますます大事だ。俺は小さく舌打ちする。
 「川の水を引いてくるなんて、そんな大がかりなことしたくないなぁ。もっと近くに川の成分に似たものがあればいいのに……」
 それはただの独り言だった。だが、そんな俺の耳に、可愛らしい声が聞こえた。
 【川の栄養は山の鉱石によるものだから、鉱石を浸した水を使えばいいんだよ】
 すきま風のようにかすかなものだったが、確かに聞こえた。
 「えっ、そうなんだ? ……って、あれ?」
 そこには、巨体のガルボしかいなかった。
 彼にあんな可愛らしい声を出せるわけがない。出せたらあの睨み顔よりさらに怖い。
 「どうかしたんですかい?」
 ガルボが苗を入れ替えながら聞いてくる。俺は首を捻った。
 「今、誰か喋らなかった?」
 「いえ、俺は何にも……マルコっ!お前、何か言ったかっ!」
 その声にマルコも飛んできて、コクヨウやヒスイも何事かとやってきた。
 「ごっごめん!! 何か、声が聞こえた気がして」
 考えてみたら、聞いたことのない声だった。しかも子供のような可愛らしい声だ。ここにいる皆のものではないよな。
 【声ですか?】
 ヒスイが辺りを見回す。ピクリと反応して、視線がガルボを捉えた。ガルボは憧れの精霊様に見られて固まる。
 するとコクヨウが、目にも留まらぬ早さでガルボに駆け上った。そして次に着地した時には、何かを咥えていた。
 【放してーっ!】
 ジタバタとその何かが動いている。
 「え、何っ!? 何これっ!」
 見ると、缶コーヒーより小さい小人がいた。ジタバタと動いていたが、やがて力尽きたのか、ゼーゼー息をしながらダラリと両手足を垂らす。
 「コクヨウ、放してあげて」
 俺はコクヨウの口元に両手を差し出す。
 ペッと出された小人は、ヨダレまみれだった。そんな自分の状態に気づくと「わぁっ!」と突っ伏して泣き出す。気持ちはわかる。手がヨダレまみれで、俺も泣きたい。
 【あら、珍しい。緑の妖精ですわ】
 覗き込みながらヒスイが言った。
 「緑の妖精?」
 【植物の妖精です。大抵は森などにいるのですが、妖精は人が嫌いなので出てくることはまずありません】
 それがなぜ、ガルボから出てきた?
 【水のこと教えてあげたのにーっ! うぁー!】
 泣く妖精を宥めるため、俺はハンカチでヨダレを拭いてやる。
 「教えてくれたのは君だったんだ。ごめんね」

 緑の妖精ミムは、薬草であるマクリナの生育環境に詳しかったため、俺が聞いてガルボやマルコに説明することになった。あとは作業のみなので、ヒスイとコクヨウには控えてもらっている。
 土の配分はマルコの召喚獣である土モグラのメイベルに頼んだ。これだったら早く植え替えが出来そうだ。
 すると、マルコが言いにくそうに声をかけてきた。
 「あの……もしかしたらなんですが…………フィル王子は、メイベルの言っていること、わかるんですか?」
 ん? 質問の意味がわからない。
 眉根を寄せて首を捻る。
 「何言ってるの。マルコも話しかけてるでしょう?」
 マルコが固まる。やがて、呼吸を思い出したらしく息を吐き出すと、かすかに頷いた。
 「ええ、確かに話しかけたりします。コミュニケーションを図ったほうが使役しやすいですから。ですが……会話はできません」
 「え?」
 え……あれ?
 会話……誰もしてなかったっけ?
 今までの記憶を思い起こす。召喚獣がいる時、会話が成立していた人はいただろうか?
 あれ……もしかして、いない?
 皆、話しかけたりはしていたけれど、会話はしていなかった。人語を話せるヒスイは別として。
 俺はこの世界の獣は喋るもんだと普通に受け入れていたが……。まさか、皆聞こえてない?
 やばいじゃん! じゃあ……俺、動物に話しかけるめっちゃ怪しい子になってたわけ!?
 それ、「まだ小さいから……」で許される範囲内? ねぇ!
 あまりの事実に頭を抱え込む。
 「妖精が見えて、声まで聞こえることに驚きました。ですが、それも妖精の上位である精霊様を使役しているから可能なのかと思ったんです。いや、思い込もうとしました」
 マルコはゆっくり膝を折って俺の前に座り込む。え、どうした? どうしたマルコ! 何で俺の前で正座する!?
 「……フィル王子、あなたは一体、何者なんですか?」
 そんなの、こっちが聞きたいですっ!
 もともと持っていた能力なのか、頭打ったからなのか、前世の記憶が復活したからなのか、まったくわからない。だって普通に聞こえるんだもん!
 それに、そのこと以外は普通の幼児。大学行くくらいの知能と知識はあるけれど、それも大人になればただの凡人だ。
 「ただの、普通の子供だよ!」
 「そんなわけありません!」
 一蹴された。だったら初めから聞かないでほしい。
 それからマルコは、俺を崇めるように頭を下げる。
 「きっと、神の子です!」
 なっ!! そんなわけあるかー! やめてほしい。そんなこと言って、誰か他の人に聞かれたらどうするんだ! また変な噂が立ってしまう。

 ◇ ◇ ◇

 ようやく貰った……外出許可!
 ただいま、憧れの城下町に来ております。
 「それにしても……暑い」
 はふぅと額の汗を拭う。城から出て街に来るだけで汗をかいてしまった。ぽかぽかの陽気で半袖を着ている人が多い中、俺は膝丈のコートを着て、頭からすっぽりフードを被っている。
 懐に持つ小さいバッグの中にはコクヨウがいた。バッグから頭を出し、コートの隙間から外を覗いている。
 伝承の獣は黒い毛並みである、というのは有名な話。そして、それ以外に黒い毛並みの獣がいないということも。
 三百年前の伝承だから、この小さな愛らしい狼がディアロスだとバレることはないと思う。実際、城でもわからない人もたくさんいたし。
 だが、万が一バレたら、街どころか大陸中がパニックになってしまうだろう。それだけは避けるようにと、父さんから再三言われたのだ。
 というわけで、コクヨウを隠しながらのお忍び観光であった。
 しかし、頭まですっぽりローブを被っているのは、コクヨウのせいばかりじゃない。
 俺の、髪の色だ。
 青みがかったこの銀髪は、大変稀らしい。聞いたところ、この国じゃ俺しかいないのだという。
 何でも青みがかった銀髪は、非常に神聖な色なのだとか。
 つまり、この髪の色で、すぐ俺だとバレちゃうってこと。平民の格好して街をうろうろしようと思っていた俺の計画が、一瞬でポシャってしまった。
 「とりあえず、こっそり観光するからね。大人しくしているように」
 そう釘を刺して、街を歩き出す。
 やはり活気があるな。農耕の国であるグレスハート王国だが、最近俺が名産として作った干物などを売り出し始めたので他国との貿易も増えている。それとともに、流行りに敏感な行商人も多く来ていると聞いていた。
 【フィル、あれが食べたい】
 鼻をくんくんさせながらコクヨウが言う。
 さっそくグルメかい。ま、俺も興味あるけど。
 「わ!!」
 見て驚いた。屋台で肉を売っていたのだが、ただの肉ではない。マンガ肉だ。骨に肉の塊がついてるっ!
 「く、くださいっ!!」
 「あいよー。小・中・大・特大とありやすよ。どれにしやすか?」
 マンガのイメージじゃ特大だけど、あれ……ボウリングの玉くらいあるぞ。
 いくらなんでも食べられないよなぁ。
 「中、ください!いくらですか?」
 「二十ダイルになりやす」
 一ダイルが、日本円にして約十円だから……二百円? 安い!
 「はいっ!」
 興奮気味にお金を出す。
 ……しまった。一も二もなく買ってしまった。
 だが仕方ないと思う。これは男のロマンだ。避けられない宿命なんだ。
 こんなのが目に入って、買わずにいられるか?
 【フィル、肉っ!】
 コクヨウがフードの下からフガフガ顔を出す。
 「わかってるよ。まずは先に一口」
 俺は肉にかぶりつく。
 美味いっ! ジューシーで柔らかくて、塩だけで充分だ。
 その後、肉を裂いてコクヨウにもあげながら、あっという間に完食してしまった。
 こっちの肉は美味しいなぁ。ソーセージとかも作りたい。ペロリと指先を舐めながら考える。
 キョロキョロと他の出店も覗いていると、近くのお店の人が声をかけてきた。
 「あら坊や、一人かい? 迷子じゃないだろうね」
 「ち、違うよ! あそこのお兄さん達と来たの。お小遣いで何か買ってもいいって言うから」
 そう言って、少し離れたところにいる私服姿の近衛兵を指差す。近衛兵達はどうして気づいたのかとめっちゃ焦っている。
 そりゃあねぇ、父さんの近くにいる近衛兵だから、顔知ってるしねぇ。
 お忍びで、コクヨウやヒスイもいるから護衛はいらないと言ったのだが、心配した父さんが近衛兵をつけてくれたんだろう。
 「あらーそうかい。よかったね」
 そのおばちゃんの店で指輪を買っていると、遠くから何やら争っている声が聞こえてきた。
 「やめてください!」
 喧騒の中心から、女の子の声がする。
 「いいから来いっ!」
 威圧するような男の声とそれに続く小さな悲鳴に、何だか不穏なものを感じた。
 何だ?事件か?
 人混みの中心に入って行くと、五歳くらいの女の子と、その子を今まさに捕まえようとしている大男がいた。
 「え、何っ? どんな状況?」
 「何か、あそこのボンクラ坊ちゃんが、あの女の子に惚れちゃったみたいでねぇ」
 はて? ボンクラ坊ちゃん?
 覗き込むと、向こう側の人混みの前に、別の大男を従えた少年がいた。
 十歳くらいだろうか? 赤毛で目は細く、ぽっちゃりの顎にでっぷりしたお腹。両手にはあのマンガ肉を持ってもしゃもしゃ食べている。その様子は、子供ながらにふてぶてしい。
 うわぁ、明らかに甘やかされボディの坊ちゃんだな。
 しかもあのマンガ肉っ! 俺、中サイズにしたのに。あれ特大だっ! 二つも食べられるのか?
 「きゃあっ!」
 再び悲鳴が上がって見ると、少女の腕が大男に掴まれていた。
 見てる場合じゃない。助けないと!
 すぐさま柔術を使って、大男を地面に転がす。あっという間に少女を助け出したので、皆ポカンとした。
 そんな俺に、キンキンとヒステリックな怒鳴り声が浴びせられる。
 「誰だお前っ!! ボクのアリスちゃんに近づくなっ!」
 髪の色と同じくらい顔を真っ赤にしながら、坊ちゃんがマンガ肉を振り回す。
 「アリス?」
 少女に尋ねると、コクリと頷いた。
 何だ?名前を知ってるってことは知り合いか?
 だが事情を聞いたところ、この坊ちゃんとは初対面なのだそうだ。しつこいので名前を教えたのだが、お茶を断った途端大男を使い彼女を誘拐しようとしてきたらしい。
 誘拐はいけないだろう。誘拐は。
 その上で、周りにいた人たちが、止めに入れなかった理由もわかった。
 この坊ちゃん。その名を、シュバルツ・ダスタール。
 ドラーギ国の貿易商の息子だ。父親の権力を笠に着て、やりたい放題をしている困ったちゃんらしい。
 そして遅れて現れた父親のアイゼルバッハ・ダスタールも、また困ったちゃんだった。
 自分に逆らうなら、ドラーギがグレスハートに薬を売らないようにすると言うのである。
 「ですが、貿易商は何もあなただけじゃないはず。それにドラーギの国王としても、そんなこと勝手に決められては困るでしょう」
 他国への販売をやめるなんて大きなこと、一介の貿易商が決めていい問題ではない。二国間の国交にも影響しそうだし。だいたい、これは子供の小競り合いなのだ。
 目を覚まさせるため忠告したのだが、アイゼルバッハは余裕の表情を崩さなかった。
 「ドラーギ国の現国王陛下の母上は私の妹であるからな。貿易に関しては私が相談役になっておるのよ」
 「はーっはっはっ!」とダスタール親子は、お腹を揺らしながら高笑いしている。
 マジかー……。薬草の高騰騒ぎはアイゼルバッハのせいか。
 呆れていると、アイゼルバッハによって再び大男に指示が出される。
 親子そろって思考が似てるってどうかと思うよ?
 その時、怖がったアリスが俺のフードを掴んだ。ヤバいと思った瞬間には、俺の髪の毛が露わになる。
 皆が驚きの表情で固まった。……俺が王子だとばれた瞬間だった。

 ◇ ◇ ◇

 今日はアリスの案内で街観光だ。鼻歌交じりで足取りも軽い。
 初めての城下町観光は、まったくお忍びできず。
 フードが取れた後、追いついた近衛兵の二人が助さん格さんのように「フィル王子様であらせられるぞ!」とやらかしたものだから、街中に「三男の王子」がいると広まってしまった。
 アイゼルバッハの横暴も、この国の王子として何とか対応して事なきをえたけれど…。
 もうあんなプレッシャーは勘弁だ。
 ま、知れ渡ったおかげで、街で隠れなくてもすむようになったんだけどね。
 しかしアリスが、まさかあのドジっ子メイド、アリア・カルターニの娘だなんてなぁ。
 アリアは天然ボケのドジっ子で、アリスはしっかりしている、イメージが全然違う。
 だけど言われてみたら、ふんわりした笑顔なんかは似てるんだよな。
 俺が考えごとをしている間に、目的地に着いたようだ。アリスは小走りで先に行くと、ある建物を指差した。
 「着きましたよ。ここです」
 建物には石の看板がかかっていた。「こうせきや」と書かれている。
 「鉱石屋?」
 「そうです。グレスハート王国の職人と言ったら鉱石工房です」
 鉱石屋に入ると、親方のハルク・テイラがいた。
 「鉱石屋ってどういうことをするの?」
 キョロキョロと見物しながら聞いた。赤い石、緑の石、黄色い石、水色の石……色々ある。
 宝石なのかなー? それにしては色とりどりすぎるか?
 宝石は磨くことで光るものだが、これは原石だというのに、すでにキラキラと輝いている。
 こっちの世界の常識をよく知らないから、宝石なのかわからないな。そういや、俺が先日買った指輪にも鉱石が入っていたっけ。
 「これも鉱石かな? 『水の気』があるらしいんだけど、どういうことかわかる?」
 指輪を掲げながら親方に聞くと――。
 「なっっ!!」
 親方は電撃でも食らったみたいにビックリして、再び指輪にかじり付いた。「そうか水か」とブツブツ何か呟いている。
 俺が眉を寄せ、首を傾げていると、それに気づいたらしいアリスが説明してくれた。
 「鉱石には、それぞれの色特有の力があるんです。赤い石なら火、緑の石なら風、黄色い石なら土、水色の石なら氷です」
 「へぇ。召喚獣みたいなもの?」
 俺の問いにアリスは軽く頷く。
 「そうですね。ただ、召喚獣より力はないです」
 「そうなんだ。知らなかった」
 それからふと指輪を見て、思った。
 「鉱石って、召喚獣ほどじゃないにせよ、力があるんだよね? それってどうやって使うの?」
 「あ、やってみせましょうか? 私もひとつ持ってるので」
 アリスはにこりと笑い、自分の首元に手をやる。
 服で隠れていたが、ネックレスを着けていたみたいだ。その留め金を外すと、チャリッと音を立て手の平に置いた。ネックレスには小さい赤い石がついている。
 赤い石ってことは、火か。
 俺が興味津々でその赤い石を見ていると、アリスはキョロッと工房を見渡した。
 「ちょっと待ってください、準備しますから。親方さん、テーブルお願いします」
 言うとアリスは近くにあった燭台から大きなロウソクを持ってきた。親方は古ぼけた小さなテーブルを、工房の開けたスペースに用意する。そしてアリスはその上にロウソクを立てた。
 「では、始めますね。大切なのは、唱える言葉の文字数とイメージです」
 アリスは先生のような口調で話し出した。その様子が可愛らしい。
 「文字数とイメージ?」
 俺は首を捻った。
 「たとえばここに用意したロウソク。これに火をつけたい場合、『あかるくする』とか、『ともす』とか、『ひをつける』とかいろいろあります。何でもいいですが、言葉の文字数は少ないほうが効果は大きいです。やってみますね」
 アリスはそう言ってネックレスを持ったほうの手を前に出し、ロウソクを見つめる。
 「あかるくする」
 すると、小さな炎がポッと出てロウソクに火がついた。アリスはフッと息を吹きかけそれを消す。
 「ともす」
 同じ姿勢のまま、違う言葉を唱える。さっきより大きい火がボッと上がり、ロウソクにつく。
 「おおーっ!」
 パチパチと拍手する。
 なるほど、文字数が少ないほど、効果はでかくなるわけだ。
 文字数六でライターの「極小」、文字数三で「大」くらいの火力か。それでも召喚獣よりは威力が全然ないな。確かに子供のお守り程度かもしれない。
 うーん、ある程度威力があれば、何か使えることもあるかと思ったけど……難しいかなぁ。
 「イメージっていうのは、その、何をイメージすればいいの?」
 そう聞くと、アリスは人差し指を立てて大事なところだとばかりに頷く。
 「唱えるだけじゃダメなんです。唱えながら、その言葉に火をつけるイメージを重ねるんです。言葉そのものには、言葉以上の意味は与えられませんから」
 あぁ、そうか。こっちの世界には、例の平仮名みたいな文字しかないもんな。漢字のように、それだけで意味を表すものがないのか。
 「フィル様もやってみます?」
 俺がコクコクと頷くと、アリスは俺にネックレスを手渡した。
 ロウソクを正面にして立ち、ネックレスを持ちながらふと思う。
 これ……漢字を意識しながら唱えたらどうなるんだろ。
 たとえば「着火」。漢字なら文字数二だけど、言葉で唱えたら四だ。
 わからないから、とりあえずやってみるか。
 俺は乾いた唇をペロリと舐め、ネックレスを握りながら唱えた。
 「着火!」
 すると――ロウソクを立てたテーブルを中心に、ゴオッと大きな火柱が上がった。
 「えっ! ちょっっ! ええええっっ!!」
 ロウソクに火をつけるどころの騒ぎじゃないじゃんっ!! ヤバイヤバイ、火事になるっ!!
 俺は慌てて指輪をはめたほうの手を出した。
 「消火っ!」
 叫ぶと同時に、ザッパァーンと音を立てて上から大量の水が降ってきた。
 その水はテーブルに上がった火柱を抑えつけ、その勢いのまま、周りにいた俺達に襲いかかってくる。
 「きゃっ!」
 「うわっぷ!」
 勢いに負けて流されかけた俺とアリスを、親方が体で受け止めた。
 水が収まった頃合いを見て起き上がる。濡れた顔を拭って目にしたのは、焼け焦げたテーブルと、水浸しの工房だった。
 「やっちゃった……」
 マズイ。これはマズイ。
 これじゃ、貰い事故って言えない。今回に関しちゃ明らかに俺自身がトラブルメイカーっ!
 漢字を意識したくらいで、こんなことになるとは思わなかった。
 しかも、アリスがやった時より威力がすごかった。
 やはり唱える文字数は、漢字を意識すればそれが優先されるようだ。それに、漢字にしたことでイメージもより明確になったんだろう。
 「これはいったい……」
 親方の呟きに、考え込んでいた俺はハッとする。
 「ご、ごめんね。やっちゃった」
 慌てて駆け寄り、アリスと親方に深々と頭を下げて謝る。
 前髪からポタポタと雫が流れ落ちるのがわかった。
 三人ともプールに落ちたみたいにぐっしょり濡れている。
 俺は少し考えて、緑の石の入っている原石と、赤い石のついたネックレスを両手に持った。
 さきほどその赤い石で火柱が上がったのを見ていた二人は、俺がまたネックレスを掲げたことにギョッとする。
 「な、何するんですか?」
 青ざめたアリスに聞かれて、俺は返答に困る。
 「試しに、ちょっと乾かそうと……」
 そう言ってヘラッと笑う。
 「た、たた、試しにって……フィル様……」
 アリスよりさらに真っ青になっている親方は、ぶるぶると震えていた。
 いや、大丈夫なはずだ。……たぶん。
 火と風でできること。んで、さっきのことがあったから、言葉のチョイスは慎重に考えて。
 イメージは、そうだな、暖かな春風のように……。
 「乾かす」
 俺が唱えると、あったかい風が体にまとわりついた。全身にドライヤーを当てられているみたいだ。そして次第に、服や髪が乾いていくのがわかる。
 よーし! 成功したっぽい。
 漢字と平仮名を組み合わせたら、ちょうどいい感じになった。
 イメージしたとおりの乾かし方ができているから……イメージもやはり大事なんだな。
 もう少し色々試してみなきゃ。
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