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第5章

雲居鼠の瞳

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*くもいねずのひとみ*



賑やかな夕餉が終わり、俺たちは宿屋の部屋に通された。
エルフが営む宿ということで、個室もエルフサイズ仕様。
人間としては規格外の俺の身体でも足を延ばせるほどベッドがでかい。これは本当に有り難い。
ベッドと机だけの簡素な部屋だったが、チリ一つない清潔な床。アーさんが客人を持て成すために用意をしたと言っていたから、徹底的に掃除をしてくれたのだろう。エルフ族、素晴らしい。
温泉に入れて、美味い飯を食えて、エルフのやつらとも仲良く酒を飲めて、なんて居心地がいいのだろうか。おかげでゆっくりと眠ることが出来た。

蟹出汁の衝撃は凄かった。
あの独特の味と風味に歓喜したのは言うまでもない。ふふ。気付くのがおせーんだよ。
蟹の美味さに目覚めたチームのやつらがすぐさま蟹狩りに行くぞと席を立った時は慌てたが、女王様との謁見の約束があることを強く言い聞かせると納得してくれた。そのうち蟹狩りに行かなくてはならないな。まったくもう。

そして翌日。

「ピュヒィ…ププププ」
「ビー、ほら起きろよ。俺の、ローブを、は、な、せ」
「ピュイィ〜ムグムグムグ」
「食うなって……」

寝る子は育つと言うが、ビーは本当に寝起きが悪い。俺も寝起きがいいほうではない。しかし今日はエルフの郷に滞在しているということで半ば興奮しているため、朝も早くから目が覚めた。
ビーは相変わらず俺の一張羅のローブをぐちゃぐちゃにし、ヨダレまみれにしている。なんの夢を見ているのかはわからないが、随分と楽しそうな夢を見ているようだ。ふらふらと左右に揺れる尻尾が可愛い。

コン、コン

扉を叩く音。
まだ夜は明けたばかりだから、随分と早い時間。俺は興奮していてたまたま早く起きてしまっただけ。
こんな朝早くに誰だろう。

「……タケル様、宜しいでしょうか」

若い女性の声。聞いたことがある。
扉を開けると、赤毛のエルフ。王宮で大判焼きを一緒に食べた侍女の一人だ。

「おはようございます、どうしました?こんな朝早くに」
「おはようございまする。執政様がタケル様をお呼びでございまする」

侍女は深く頭を下げ、手で外へと促す。
約束していたとはいえ、こんな早い時間だったとは。

「俺だけ?他のやつらは?」
「栄誉の竜王様は戦士団の朝稽古に参加しておられまする。ヴェルヴァレータ様は別件でのご用事で出かけておられまする。古代馬アルタトゥムエクルウスみことは朝日を浴びに天空へと羽ばたかれました」

あれ。俺が一番の寝坊助だったか。あいつら起きるの早いんだからなあ。

「ピュヒュ…ジュルッ…プピッ」

いや、一番の寝坊助はこいつか。
置いていくと拗ねて半日くらい不貞腐れるから、眠っていても連れて行ってやろう。
ヨダレまみれになったローブは後で清潔クリーンをかけるとして、鞄に入れておく。眠ったままのビーの首根っこを掴んで頭に乗せ、侍女の後に続いた。

まだ外は薄暗い。鬱蒼とした森だから、太陽が昇ってもしばらくは陽が射さないのかもしれない。
暑くもなく寒くもない気温は丁度過ごしやすく、エルフ達の服装も様々だ。
戦士らしいエルフは半袖短パンの超軽装。子供たちも身軽な格好をしている。王宮に努めているエルフ達は、侍女や侍従なども含めて綺麗なローブを着ていた。ローブを着ているのがハイエルフなのかな。

「朝餉の用意もしておりまする。昨夜タケル様がお教えいただきました目玉焼き、なるものを作るのだと料理長が息巻いておりました」
「それはありがたい。新鮮なガロプーラの卵は美味しいですからね」
「うふふ。左様でございまするな」

嗚呼、こういう穏やかな女性とのおしゃべりって久しぶり。
穏やかに話ができる女性というのは、ベルカイムでは図書館司書のマイラさんか、グリットの奥さんのチェルシーさんくらいだからな。マデウスの女性って基本的に肉食で、ぐいぐい来る人が多い。それが悪いわけではないが、彼女たちの大半が俺の財布目当てだからな…。

宿屋の調理長ともすっかり仲良くなった。屈強な筋肉のマッチョエルフなのだが、手先が器用で料理好き。朝は何を食べているのだと聞かれ、目玉焼きとパンとサラダだと答えた。
水を入れて蒸して半熟目玉焼きを作るのだと教えたら、調理法に目を輝かせて驚いていた。後は燻製肉を薄切りにして添えれば完璧。

「ええと、侍女さん」
「わたくしはアンバールーセントイリュイアと申します。アンバール、とお呼びくださいまし」
「はい、アンバールさん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

大樹に向かって歩きながら、聞きたかったことを聞いておく。
ハイエルフの中にもブロライトのように外の世界に興味を持つ者はいないのかと。エルフ族の中には外の世界に出て新たなる知識を得る者もいるらしいが、ハイエルフ族だけは頑なに郷の外に出ようとしないのだ。
だが、いくら掟だとはいえ開かれている扉の先に一切の興味がわかない、というのはちょっと信じられなかった。

「わたくしは、わたくしからは……とても」
「内緒にします。誰にも言いません」

アンバールは歩みを止め、両の手を握りしめて小さく小さく言った。

「……わたくしもハイエルフのはしくれでございまする。郷の掟は命よりも大切にしなければならぬこと。わかっておるのです。わかっておるのですが」

それでも外の世界が知りたかった。見てみたかった。
蒼や碧以外の色を知りたかった。それはブロライトやアンバールだけではない。年の若いハイエルフならば誰もが強く願うことだった。
それと同時に恐怖心もあった。興味と恐怖は紙一重。知らないことが恐れに繋がる。
ブロライトが外の世界に出たきっかけは、郷を襲った謎の奇病だった。ハイエルフ族に蔓延した原因不明の病魔。

「どんな病気だったんですか?」
「とても、とても恐ろしい病でございまする。生まれる子供が全て…ああ、あんな恐ろしい」

五十年前からはじまったという、ハイエルフの赤ん坊にだけ現れる病。腕が欠け、足が欠け、目が、耳が、鼻が欠け、形の不完全な呪われた姿の赤ん坊。
赤ん坊はそのすべてが数日も経たないうちに死んでしまった。

「どうしてそんな」
「わかりませぬ。わからないのです!ううっ…わたくしの、わたくしの子、も」

アンバールは膝をついて泣き出してしまった。
彼女もまた、ハイエルフの業を背負っていた。
子供を産めば呪われた姿でおちる。ならば産まなければよいだけ。そうして、ハイエルフは子を作らなくなった。
郷で遊びまわっていた子供は全てエルフ族の子。そのエルフの中にも近年呪われた子が産まれ、数日で死ぬということが続いている。

その呪いをなんとかしたくてブロライトはとうとう郷の外に出た。
呪いというのは、ハイエルフの伝承でもある『尊き血は失われ 大地は乾き死を招く』ではないかと思ったのだろう。それを解決するには『異なる血を抱きしもの』が必要だと。
掟を破って何があるかわからない郷の外に出た。それが興味本位であったとしても、ものすごい勇気がいることだったはずだ。
ブロライトって能天気なように見えて、実は凄いヤツだったんだな。

呪いって。
なんで呪われるんだよ。何をしたらそんな赤ん坊が生まれるんだ。

なんの呪いなんだ?


+++++


「ピュイィィ〜〜?ピャアアァァ…」
「やっと起きたか。ははは、でっかい欠伸。これからエルフの女王様に会うから、大人しくしていろよ」
「ピュイピュー」

頭の上でヨダレを流していたビーがやっと覚醒した頃、俺は大樹の最上階へと案内されていた。
昨日訪れた時は螺旋状の枝を冷や冷やしながら登ったが、今回は自動昇降機で一気に上昇。もうここ樹のどの部分なの、っていう立派な扉の前でそれが開くのを大人しく待っていた。この先は謁見の間になっていて、玉座があるらしい。
アンバールさんはひとしきり泣いて、それでも毅然として俺を案内してくれた。俺には子供がいないから、生まれたばかりの子供を失う気持ちはわからない。想像することしかできない。

「ピュイ?」

ああああ、想像は出来る。ビーが死んだら俺きっと気が狂う。廃人になる。ペットロスどころじゃない。哀しみに暮れてビーに出会えたことすら恨むかもしれない。
前世で同僚だった女性がペットロスで会社を三日休んだことがある。あの時はわからなかった気持ち。今ならよくわかるよ鈴木さん。元気出せよなんて無責任なこと言ってほんとごめんなさい。

「わんぱくでもいいんだ。たくましく育ってくれ…」
「ピューイ!」

感極まってビーと熱い抱擁をかわしていると、扉がゆっくりと開き始めた。
重厚な音を響かせながら開いた扉の向こうには、薄暗い部屋があった。部屋の入口に白いローブを纏ったアーさん。そして、数名の正装をしたハイエルフ。
ビーが慌てて背中に隠れると、アーさんが俺を手招いた。

「タケル殿、こちらに」

甘い花の香りが漂う部屋に入る。壁には樹の枝と生い茂る葉。金と銀の細工がされた柱が四方に立ち、六角形の高い天井を支えていた。
まるで教会のようだな、と荘厳な雰囲気に圧倒されてしまう。
薄く白い布の向こうに見えるのは玉座。そこに、誰かがいた。

アーさんが膝を折るのと同時にハイエルフ達も膝を折る。
え、ちょ、俺も?俺も同じ格好すればいいの?

「貴殿が異なる血を抱きし者、と」

すっと響き渡った透明な音。
それが声だと気付くのにしばらく呆けてしまった。膝をつこうとした間抜けな格好のまま、声の主を探す。
アーさんが小さく頷くと、玉座の左右に控えていたものたちが白い布をめくった。

おやまあ。

玉座に悠然と座っていたのは、例えようのないほど美しい女性だった。全身真っ白。白髪に白い肌と白い衣装。耳がピンととがったエルフ。
アーさんとブロライトのお母さまだったよな?このひと子持ちなの?あんなおっきい子供いるってことはけっこうなご年齢?でもエルフだからな、そういうの考えるって野暮だよな。いやでも若い。ブロライトと同い年くらいに見える。

「タケル殿、こちらは我がエルフ族全知全能の母、メルケリアオルデンヴィアであらせられる」

メリケン…ビア、さん?
まるで神様みたいだ。女神様って言葉がぴったり。恐れ多い。
ぼんやりと仄かに光る女王様は、うつろな瞳で俺をじっと見下ろした。その瞳は灰色。

「人の子にしては不可思議な色をしておるの」
「えっ?はっ?あっ?はい、はい。俺は、タケルと、いいます…」

慌てて膝を折って頭を深く下げた。
ふわりと微笑んだ女王様を直視できず、思わず目を反らしてしまう。
今まで数々の美女と目を合わせてきたが、この女王様は別格。目すら合わせるのが申し訳ない気持ちになってくる。全身に清潔クリーンをかけてくるんだった。髪の毛整えてくるんだった。ローブ着てくるんだった。
俺が不可思議な色?真っ黒なだけだと思うんだけど、不可思議な色なのかなこれ。

「我が国に蠢きし悪しき闇を取りはろうてくれたとか」

静かな部屋にこだまする声。風呂場みたい、なんて余計なことを考えていると、女王様は右手をすっと上げた。
それが合図かのように、控えていたハイエルフ達がそそそと部屋を出ていく。残ったのは小さな身体のアーさんのみ。

「悪しき闇…あの濃い魔素のことですか」
「うむ。アージェンシール」

女王様はゆっくりと頷くと、アーさんも頷いた。
アーさんは俺を立たせ、玉座に近い場所にある長椅子に座らせる。楽にしろってことだろう。
ぱんぱん、とアーさんが手を叩くと、控えていた侍女らがお茶の用意をはじめた。また玉露味のお茶が飲めるのかと思うと有難い。

「郷を覆う魔素はもともと濃度が高いものでござった」
「何故魔素が濃くなったのか、その理由はわかります?」
「うむ…」
「いつもと違うことが突然起こったとか、ええと…地震!地震があったとか!」
「じ、しん?」
「大地が激しく揺れませんでした?」

ドワーフ王国の坑道内の異常は地震によるものだった。地震によってトランゴ・クラブが目覚めモンスターが蔓延るようになったのだから、もしかしてエルフの郷にもそういった異常があったのかもしれない。
アーさんは目を大きくして深く頷いた。

「大地が揺れ、河の水が溢れるようになったのだ。郷の近くを流れるレソの河は、本来流れも穏やかな河であったのに」

トバイロンの森からここまで飛ばされた先に見た断崖絶壁。あのはるか下に流れている河はとても流れが早かった。あの河のことだろう。
俺の想像にすぎないことだが、ボルさんの復活により魔素の流れが変わった。そもそも魔素ってどうやって生まれるのか未だにわかっていないのだが、それにより大地が激しく揺れた。
大陸の最南にまでその影響が出ていたとしたら、エルフの郷でも魔素が溜まるようになってしまったんじゃないかな。
これをどう説明すればいいか。相手はエルフの女王様と執政様。嘘や誤魔化しは通じないだろう。
神秘の種族と言うのなら、同じく神秘の種族であるビーのことを打ち明けるしかない。

「あの、女王様、アーさん、宜しいですか?これは俺の想像なんですけどね」
「構わぬ。何か思いつくことがあれば遠慮せずに話してくれぬか」
「ええとですね、こいつ…ビー、ちょっと顔出してくれ」
「ピュー…?」
「こいつに逢ったことが事の発端でしてね」

背中に隠れていたビーが腹に移動して顔を見せると、女王様が息を飲んだ。
暫くの沈黙後、女王様は玉座からふらりと立ち上がった。その身体はかたかたと震えている。

「母上様!」
「おお、おお…、今生こんじょうにて御会いできるとは思いませなんだ…」
「母上様、無理をなさいまするな!何を成されまする!」
「アージェン、アージェンシール、無礼な真似を致すではない。そちらの黒き肢体を纏われし龍の御子を何と心得る」

女王様の身体を必死に支える小さなアーさんを気にとめず、女王様は無理をしてでも頭を下げようとしていた。動きがおかしい。どこか悪くしているようで、時々ギュッと目を閉じて何かを堪えているようだ。

「無理をしないでください。いいんです、そんなことしなくても」

慌てて女王様とアーさんの身体を支えると、ビーが驚いて羽を広げる。
樹の枝から零れる朝日に照らされたビーの黒い身体は、きらきらと神々しく輝きだした。

古代竜エンシェントドラゴン…!」

俺に身体を支えられた女王様が静かに涙を流した。
さすがのエルフの女王様。ビーがただのブラックドラゴンじゃないと気付いたわけだ。


さっきまでヨダレ垂らして寝ていたんですけどね、この子。



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