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第1話 法廷のシーメール

08:性嗜好障害の罠

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   08:性嗜好障害の罠

裁判官・・・「犯行当時の記憶が残っていないのは、不自然なことではないのですか?」 
鑑定医指尻・「はい、不自然ではありません。」 
裁判官・・・「脳しんとうというのは、本人の口から聞いたのですか?」 
鑑定医指尻・「調書の脳神経外科の診断書を参考にしました。」 
裁判官・・・「脳神経外科の診断ということですが、脳しんとうを起こして後から診察しても、診断はつくものなんですか。」
鑑定医指尻・「つきます。意識レベル、顔のむくみ、外傷など脳神経外科が、いろんな角度から診断していればつけられます。」 
裁判官・・・「意識が回復するのは、徐々に回復するものですか、それともすぐに回復するものですか?」 
鑑定医指尻・「徐々にです。」 
裁判官・・・「先生の経験ですが、診察で性嗜好障害を見たのはどのくらいですか?」 
鑑定医指尻・「20〜30件あります。」 
裁判官・・・「せん妄状態の患者はどのくらいありますか?」 
鑑定医指尻・「数え切れないほどあります。」 
裁判官・・・「先生の判断で、今回の場合、脳しんとうはどの段階で起きたと思われますか?」
鑑定医指尻・「はい。彼女たちのプレイはまず、掃除機のホースをつかんで振り回し、Mの頭を殴る。その時点で、脳しんとうを起こしていたのではないかと思われます。たまたま使用人小屋の側を通りかかった家主の神室氏が、大きな物音を聞いており、それは被疑者が1人で出かけて戻ってきた時間の直後です。」 
裁判官・・・「本人の記憶で、寝ていたら起こされたとありますが、それはどの時点ですか?」 
鑑定医指尻・「彼が帰ってきた後です。」 
裁判官・・・「脳しんとうの意識障害が伴う『短時間』という表現はどのくらいの時間ですか?」 
鑑定医指尻・「長くても6時間、最小は数分です。」 
裁判官・・・「被告人が飲酒しているのは(意識障害に)影響しますか?」 
鑑定医指尻・「供述調書にあった分量を飲んでもらいましたが、臨床も脳波も変わらず、影響はゼロに等しいと判断しました。」

 裁判官の質問が一通り終わると、裁判長は「証拠を採用し取り調べたいと思います」と述べ、証拠調べの手続きが終了した。
 鑑定医指尻が退出する際、M被告に軽く会釈すると、被告も深々と頭を下げて応えた。
 続けて男性検察官が立ち上がり、事件当時のM被告の精神状態について一般論を交えつつ、改めて詳述した。
 検察側の意見か、鑑定医ゑ梨花の証言を要約したものなのか不明だが、「意識障害があったが、犯行時に善悪を判断する能力はあった」と締めくくり、この日の審理は、終了した。
 被告人席に座り、証人尋問などを聞いていたM被告の表情は、その長い髪によって、私のいる傍聴席からはほとんど垣間見ることはできなかった。
 しかし、被告人席の背もたれにもたれかかることもなく、背筋を伸ばし続ける姿に、彼が昔“男優”だった一面が垣間見えた。
 次回公判は、明日12日午前10時から。被告人質問と論告求刑、弁護側の最終弁論などが行われ、早々に結審する予定になっていた。

 この日、私はこの精神鑑定医に話を聞く機会を得た。
 失礼だと思ったが、私は自分の立場を伏せておいた。
 ジャーナリストというのは、身分詐称には便利な職業だ。
 ハッキリと、そう名乗らなくても、工夫次第では、相手にそう思わせる事が出来る。
 そうしたのは、こちらの立場を明かせば指尻ゑ梨花女史の本音が聞き出せないと思ったからだ。

 毒々しく真っ赤に塗り込めたルージュの間から、フー、とたばこの煙を吹き出す様を眺めていると、その様子が女史の年齢に似合わず、あまりにも貫禄たっぷりで感心してしまった。
 何か場末のバーのママのような雰囲気だ。
 ところが女史の容姿の方は、フッション感度の高い女子大生が高級クラブにバイト努めをしているという感じだから、そのアンバランスに頭がクラクラする。
 真紅にマニキュアした長い爪の間に、はさんだ煙草の白い吸い口がべっとりと赤く濡れているのが目にとまった。
 その色合いといい、濡れた感じといい、奇妙な猥褻感にあふれている。
 だがそれらは全て、「擬態」のようなものなのだろうと私は思った。
 証言台に立った指尻女史を観察していて、この人物がニコチン中毒になったり、立ち振る舞いに関して洗練された感覚を持ち合わせない等と言うことは、考えられないからだ。
「擬態」とは、動物が攻撃や自衛などのために、身体の色や形などを周囲の物や植物・動物に似せることをいう。
 この擬態には、自らを背景に似せ目立たなくする隠蔽的擬態と、目立つことにより、捕食者・獲物を欺く標識的擬態がある。
 又、獲物を得る為に、擬態するものを攻撃擬態と呼ぶが、ゑ梨花女史の場合は、標識的攻撃擬態なのだろう。
 指尻女史の獲物とは「何」なのか?
 この頃の私には、まだその正体が、良く判らなかったのだが。

 指尻女史は「まず最初にこの裁判の全体的な感想をお聞かせ下さい」という私の質問に、こう答えた。
 彼女曰く、「この裁判自体が茶番だわ。確かに、MさんがAさんの背中を刺したのは事実だし、彼女、いえ彼がそのAさんを放置したから、こういう結果になったのは確か。でも、背景にあるものがまったく語られていないわ。法廷では、ああしか証言できなかったけど、私、後悔してる。」 
「しかし背景と仰っても、警察でMが話した事情聴取通りで、裁判を聞いた限り、状況にはまったくズレがありませんよね。」 
「私、SMと刺した刺された以外の話は、全部、嘘だと思う。」 
「警察の聞き込みは、当然、神室家にまで及んでいると思いますがね。そこでも、状況については矛盾はなかった。」 
「・・・でしょうね。」 
 この人は、この事件に裏がある事に気づいている。
 その時、私はそう思った。 
 もっとも事件の全容が判ったのは、この鑑定医の活躍もあって、それからずっと後の事だったが。 

 今から思えば当時、6係が掴んだ裏情報を、他部署の継続事案に持ち込めて入れば、神室家での第二・第三の惨劇は防げたのではなかったかと、後悔している。 
 とにかく、私はこの日の会見によって、この精神鑑定医を、我々、特殊犯捜査第6係の外部コンサルタントとして迎え入れたいと、強く印象づけられたのである。
 そして、私の直接の上司である亀虎眞魚管理官の尽力と、奇妙な巡り合わせの力が働いて、そう長い時を待たずに、指尻ゑ梨花は我々の仲間となったのである。

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