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第3話 ザ・バットとパペッター

02:ヨス・トラゴンの頭

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    02:ヨス・トラゴンの頭

 指尻ゑ梨花は、少し分析に疲れていた。
 仕事は、6係から依頼されるものだけではないのだ。
 時間の制約があるものを、先に片付ける。
 その後、6係の依頼に取り組む事になる。
 時には都心にあるオフィスで、仕事を片付ける為に泊まる事もある。
 今日は、分析を早い目に切り上げた。
 ヨス・トラゴンと名付けられたヘルメットを被って、加害者の記憶を再構築する作業は相当に疲れるからだ。

 早くといっても、終電の時刻には自宅近くの夜道を歩いている程度の時刻なのだが。
 ゑ梨花の自宅がある地域では、近くに小さな山脈を望むことが出来て、夜中に帰ると、それが闇にうずくまった子牛のように見えることがある。
 そしてその腹を舐めるように、遠くに走る電車の窓から漏れる光の筋が流れて行く。
 早春の春の夜、ゑ梨花が列車の生み出す光の筋を眺めながら思い出すのは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だった。
 指尻が「銀河鉄道の夜」を初めて読んだのは小学生の頃、、、つまり実の母親が残した下着に顔を埋めて泣いたころの事だ。
 (後で指尻は「その人」さえも実母でなかったのを知ったが)
 指尻は「銀河鉄道の夜」という小説がとても有名で、誰にも親しく読まれているという大人達の説明が不思議でならなかった。
 これほど悲しくて、これほど恐ろしい小説が、なぜ多くの人々に受け入れられるのかが、ゑ梨花にはよく理解出来なかったからだ。
 特にジョバンニが、北十字の前を通り白鳥停車場の20分停車の間に、プリオシン海岸へ行き、化石の発掘現場を見る下りから、ジョバンニが彼の仲間とも言える「死人の魂」達に置き去りにされていく銀河鉄道の車内風景が、あまりにも寂しいように思えたのだ。
 帰り道、闇の中で漂う白木蓮の甘くて強い香りが、ゑ梨花の中に残っている清純な性欲を呼び覚ます。
 道路を走り抜けていく車のヘッドライトが一瞬、庭先にある白木蓮の植え込みを照らし、その厚みのある白くて清楚な花を浮かび上がらせていく。
 ゑ梨花の夢想の中で、女の子に化けたカムパネルラは、己の頭と顔全体に張り付けた黒いゴムの頭巾に、ザネリ達の大量の精液をなすりつけ、その匂いに酔いながら泣いている。
 カムパネルラのアナル産道はすでに、自らの空洞を埋めてくれる「肉」を待つようになっている。
 ジョバンニの友情の誓いなどいらない。それよりも「春」よ、来い。
 ジョバンニの血肉の行為こそが、「春」だ。
 そしてこのビザランティスに、春の嵐を吹かせろと。


 俺は、からかわれているんじゃないかと思って男の顔を見た。
 普通、この手の男は、本当に自分が気に入った作品は、他人には売ったりしないものだ。
 それに、つい先ほど、『これは売り物ではない』と言った筈だ。
「、、、実は金に困ってましてね、、。この店も商品付きで明日にでも明け渡さないといけないんですよ。コイツも含めてね。道楽が過ぎたんです。、、でも今は、全部、まだ私のものです。訳のわからん処分はしたくない。それにコイツだけは、手元に置いておいてもいいんだが、これを見てると、又、作りたくなる。」
 男は長い夢から、今目が覚めたという表情でそう言った。
「で、いくらですか?」
「50万」
「50万。ですか、、。」
「作るのには、2倍ほどかかっている。」
「売れなければどうするんです。持っていても困るような口ぶりだったけど。」
「難しいな。どうせ手放すなら、自分の手で手放したい。でも、はした金でコイツを売りたくはないんだ。いざとなったら、壊すかな、、。」
 男の顔に、苦悶の表情が浮かんだ。
「買いますよ。50で、金を用意してきますから、待っててください。」
 別段、男の気持ちに揺さぶられたわけではない。
 そのヘルメットが「我れを買え」と俺に囁きかけたからだ。
 これは俺のいつもの「買い物」の流儀だ。
 俺はカードローンを組みに、その店を出た。
 今という時代は、「欲望と破滅」を実に簡単にかなえてくれる。
 問題は、誰がその帳尻を合わせるかと言うことだけだった。

 俺は、これというほど、腕っぷしがあるわけでも、運転技術があるわけでもない。
 だがそんなものが、奴ら相手の戦争に必要があるとは思えなかった。
 確かに奴らは、好き勝手にやっている。
 だが、奴らに特別な力や能力が在るはずはない。
 何が、奴らと一般の人間の境目を分けているかといえば、それははっきり言って常識の有無や判断力の差だろう。
 奴らの薄くて軽いおつむでは、自分の中にある子どもじみた激情を押さえ込むことは無理な相談だ。
 奴らは、後先考えずに、いや考える力そのものがないから好き放題する。
 それに引き替え、一般的な人間達は、守るべきものが多すぎる。
 要するにそういう事に過ぎない。
 だが今の俺には、その守るべきモノが少なくなって来ていて、加えるに、俺の中の狂気は日に日にその圧力を上げているのだ。
 あとは俺の中の狂気を、吹き出させる儀式があればそれでいい。
 バットマンが、バットマンになるのは、彼の生い立ちや狂気のせいではない。
 彼がバットスーツを身につけた時から、ソレが始まるのだ。
 俺には、ソレがある。あのヨス・トラゴンの頭だ。
 それに車も準備できた。
 この時ばかりは、俺の勤め先が中古車販売店である事が役にたった。
 あとは社長の隠している日本刀を、ちょろまかす事が出来れば、いう事はない。
 その日も残業を申し出た。
 特別視されないように、ここのところ、週に3日は残業をしている。
 同僚は、俺があちこちで金を借りまくっているのを知っているので、それを不思議がる様子はなかった。
 車に乗り込む前に、従業員用のシャワールームで体を念入りに洗った。
 次にアダルトショップで手に入れたラバー製のキャットスーツを身につける。
 現場に髪の毛一本落とすつもりはなかった。
 上着は作業義専門店で購入した格安のつなぎを着る。
 もう少しコスチュームにこりたい所だが、あのヘルメットが、俺が犯せる冒険の上限だろう。
 それに、一番上には黒革のロングコートを羽織るつもりだ。
 学生の頃に買ったものだし、それなりの雰囲気が出せて、おまけにアシも付きにくい筈だ。
 お次は、車だ。
 目立たない車だった。
 まだ整備は完全に上がってはいないが、一晩ぐらいの荒い運転で、どうにかなってしまう華奢な車ではなかった。
 何より都合がいいのは、こいつが「社長」が通常とは違うルートで入手した車の一台だということだ。
 勿論、俺は警察が、実際に事件が起こった時、どんな捜査方法をとるのかを知っているわけじゃない。
 辛うじて、TVの特番で得た、うっすらとした知識があるだけだ。
 だが、もしもの時は、その「ルート」の違いが、俺に逃亡のための時間を提供してくれるだろう。
 勿論、警察に鵜の目鷹の目で追われるような、大それた事をやるつもりはない。
 仕置きに使う車だって、多少の損壊程度で済むのなら、元の場所に戻して、なんとか誤魔化すつもりだ。
 ちょと奴らに、きついお仕置きをしてやるだけだ。
 奴らには、この社会のルールを教えてやる必要がある。
 誰もが、本当はそう考えている筈だ。

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