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第5話 やって来たアサシン・ドール

08:香革の顔

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    08:香革の顔

 僕は全身を洗浄された後、目の粗いネット状のハンモックに宙吊りにされた上で、温風を吹きかけられいていた。
 つまり乾燥作業だった。
 風が徐々に収まり、それにつれて僕の身体もふわりと床の上に舞い降りた。
 ことんと後頭部が床に着いたとたん、ドアの開く振動が伝わってきた。
 脚を掴まれ股と膝を折り曲げられる。
 そのまま身体を持ち上げられ、パイプ椅子のようなものに座らされた。
 身体を掴まれたとき、肌が引攣るような、弾力を増したような、不思議な感触がした。
 感覚はあるのだが、なんというか薄膜越しのように鈍い感じがする。
 細い金属棒のようなものを突き込まれて、鼻と耳の栓を引き抜かれた。
 口のマウスピースはそのまま残された。
 目の前でシュッという音がして、閉じた瞼に何か吹きつけられた感触があった。
 両方の瞼へ均等に吹きつけされ、続いて下瞼と目尻に何かが吹きつけられた。
 しばらく間があり、頬にもシュウシュウと何かが吹きつけられる。

  バシンという音とともに瞼の裏で感じていた光が消えたと思ったとたん、唐突に瞼が押し上げられ、まぶしさににじむ視界いっぱいに、目前に立ち塞がるグロテスクな昆虫人間が映り込んだ。
 弱い光といえど、長期間閉ざされていた目には痛みが生じるものだが、そんな痛みさえ忘れるほどの異様な風体だった。
 それは全身を足先から頭部まですっぽりと黒いラバースーツに包み、顔面にガスマスクを嵌め込んだ人間だった。
 ガスマスクの見た目と黒光りする身体が昆虫を連想させたのだ。
 体型は男だった。
 ガスマスクの横から伸びた太い呼吸用ホースが、背中のタンクに繋がり、タンクのベルトが胸に食い込んで胸筋を強調している。
 マスクから漏れ出す呼吸音がせわしない。
 ゴム男は手に細筆を握り、その筆先を僕の目に突き込んできた。
 目玉を突かれるかと怯んだものの、筆先はやや上に向かい、瞼の縁にアイラインを引き始めた。

  僕はお化粧を施されているらしい。
 しかし、ただの化粧してはこの男の重装備は物々しい。
 男が筆先を浸す小さなガラス瓶のラベルに髑髏マークが印刷されているのが見えたことといい、僕に施されている化粧は特殊なものだと推測できた。
 ゴム男が薬瓶を乗せたサイドワゴンを引き寄せたとき、その上に乗せられたガラスケース入りのティファニータートガール・フィギュアが目の隅に入ってきた。
 ゴム男はティファニータートガール・フィギュアと僕を見比べ、一筆一筆、慎重に化粧作業を進めている。
 ティファニータートガール・フィギュアの横に置かれたピストル型の器具も見えた。
 ピンク色の液を満たしたガラス瓶が上面に差し込まれている。
 これはエアーブラシというものだろう。
 先ほどはこれでアイシャドウとチークを吹きつけられたのだろうと見当がつく。
 一心不乱で制作に打ち込む画家のように、一筆加えては顔を寄せ、次いで数歩離れて眺めるといった具合で、ゴム男は一筆一筆のできばえを確認しながら、忙しく動き回った。
 瞼の縁に線を入れるだけで何色もの色が重ねられていく。
 目の周りが終わると、額に透明なプラスティックの眉型が押し当てられ、精密に眉が描かれた。
 たかが左右の眉を描くだけでこれほど時間がかかろうとは思わなかった。
 眉が終わると、新たな絵筆で唇に色鮮やかな紅が差された。
 唇の輪郭が精密図面のように慎重に描かれ、輪郭の内側が丁寧に塗り重ねられる。
 唇の裏まで捲り上げられて色づけされた。
 絵筆を持ち替えたゴム男が僕の視界の下へ身を屈めた。

 真円の穴が開いたプラスティック板が乳房の頂に押し当てられ、僕の豊胸された乳房がくすぐられる。
 どうやら乳輪が描かれている様子だった。
 筆先が敏感な乳首にまで進んだとき、感じるはずの快感が以前に比べて鈍いような気がした。
 やはり、全身に塗布された薬液のせいで感覚が鈍くなっているようだ。
 作業を終えたゴム男は、数歩離れ、僕の周りを回って、あらゆる確度からできばえをチェックしている。
 その様子からどうやら会心のできらしいことがうかがえた。
 ゴム男の背中でタンクが警告音を発した。
 エアー切れのようだ。
 ゴム男がサイドワゴンを押して部屋を出ていく。

 しばらくの間僕は放置され、ドーム状の部屋の壁しか眺めるものがなかった。
 湾曲した壁には空気孔と太陽灯が交互に設置され、壁中を埋め尽くしている。

 ドアが開いて、ゴム男がサイドワゴンを押しながら再登場した。
 ワゴンの上はずいぶんとさっぱりしていた。
 目の前まで運ばれたワゴンの上には、なにやら大きな蛍光ピンクのゴムの塊と、花びらほどで不揃いな大きさの真っ赤なチップが数十個、そして小さな透明ケースと透明な液体に満ちたガラス瓶が一本、筆が数本見て取れ た。
 僕の視界はやや上向いているため、間近に置かれてしまうとワゴンの上は視界の外れになり、細部まではわからない。 ゴム男は透明ケースを取り上げ、中から黒い羽毛のかけらのようなものを取りだし た。
 細筆を取り瓶の液体をその羽毛に塗りつけている。
 ゴムに包まれた黒い指先が 僕の目に迫り、右の瞼を押さえてその羽毛を瞼の縁に沿わせるように貼りつける。
  そこまでされて、僕はようやくそれがつけ睫だと気がつく。
 なにせ生まれてこのかた、つけ睫など間近で見たこともないし、ましてや自分で装着したこともない。
 今更、自慢などをしても仕方がないが、僕の睫は元から女の子のように長かった。
 その睫を抜き取られてから、睫のない視界に慣れていただけに、黒くて長い睫が被さると世界が暗く感じてしまう。
 つけ睫は下瞼にも貼りつけられた。
 瞬きすれば風が起きそうなくらい長い睫で、瞬きができない身体にされているから不便はないが、もしできていたらそうとう重く感じていただろう。

 続いてゴム男がピンクの塊に手を伸ばした。
 軟体生物のようにぶりぶりと撥ねる塊が拡げられると、不思議な形のヘルメットになった。
 ゴム男が内側に接着剤とわかった液体を塗っている。
 僕の頭に被せるためにくるりとひっくり返されたそれを見て、ようやくそれがゴムで造られたカツラだと理解できた。 髪の毛を頭頂部で結ぶポニーテールの形を模して、その外側には髪の毛を意識してか何本もの筋が彫られている。
 ガポッと頭に被せられ、縁から空気を逃がしながら僕の頭に密着する。
 化粧をし、本物ではない眉と睫を取り戻し、カツラを被った僕の見た目は、少しは人間らしくなったのだろうか。
 こんなゴム製のカツラもどきでは無理なように思える。
 だが人間らしくはなくても、よりティファニータートガールらしくはなっただろう。 
 ようやく目が使えるようになったものの、胸を張り、やや上向いた姿勢では、視界の中に自分の身体が入ってこない。 ゴム男が自分の作業をやりやすくする為に、僕の腕を曲げ、初めて僕は自分の手を見ることができるようになった。

 一瞬何も変わっていないように見えたけれど、じっくり観察すると今までとは艶が違っている。
 僕の肌は、まるでニスでも塗られたような光沢を帯びていた。
 パリスが皮膚の修復を終えた後の僕の肌を称して、ビニールみたいだといっていたが、それ以上に滑るような光沢だと思った。
 おそらくそれが全身に噴霧された薬品の効果なのだろう。
 弾力があって滑るように光る肌、色は黒だったが、僕の肌と同じ質感のものがすぐ目の前にある。
 それはゴム男のゴムスーツ。
 オイルで磨き上げたようなぬるぬる感がそっくりだった。
 それにしても、僕の肉体が加工されるにつれ、僕の存在はどんどん無視されるようになり、今ではまったくの物扱いで、生きている人格として話しかけてくれる人間がいなくなってしまった。
 ゴム男も説明どころか、話しかける気もまるでないようだ。 
 だから僕は推理するしかないのだが、おそらく僕の皮膚は、特殊な薬品によってゴム化されてしまったのだろう。
 筋肉や骨格の状況を考えれば、上面に塗られただけでなく細胞の中まで完璧にゴム化された可能性もある。
 しかもその事に虫達は順応しているようだ。
 筋肉や骨がそうであるように、皮膚の新陳代謝は止まり、もう垢となることもないんじゃないだろうか。

 完璧な人形とは、持ち主に身体を洗わせ、垢を落とさせるような手間のかかるものであってはならない。
 ヨンパリなら、そう言いそうだ。
 車のように、ときどき水洗いしてもらい、ワックスでもかけてもらえれば望外な幸せと思わなくてはいけないのだろう。
 願わくば、それを寥虎がしてくれますように。
 ゴム男が僕の指先に真っ赤なゴムのつけ爪を貼りつけていくのを、ぼんやりと眺めながら、僕はそんなことを考えていた。
 そして、気がついてみると僕の加工工程はすべて終了していた。
 ゴム男が数歩引いて全体のできばえを確認していた。
 ゴム男はひとり頷くとワゴンを押して出ていった。
 最後まで顔を見ることも、彼から話しかけられることもなかった。
 だがふと僕は、この男の正体はあのティファニータートガール・フィギュアを作った作家のブルーではないかと思った。
 僕は、ぽつねんと取り残され次の運命を待ち続けた。



「香革の顔がみたいな、、。」
 丑虎巡査部長が、思わずそう漏らした。
「私からは戸橋君に一切、働きかけません。アクションが許されるのは戸橋君の方からだけ。でないと、潜入がばれてしまいます。そう考えて、二人ともやってるんです。」
 私は指尻女史の能力に安心しきっている丑虎巡査部長に若干の苛立ちを感じながら、「正解ですよ。今の丑寅の言葉は、忘れてください。戸橋が写真を撮らないのは、撮れないからだ。」と言った。
 私は今日、指尻女史から良い返事を聞くことが出来なくとも、女史には戸橋巡査との連絡役を止めてもらうつもりでいた。
「私、今日で連絡役を止めます。今の真澄警部の言葉で自分の中でのケリがつきました。それに、新しい人を、門戸の所へ送り込むセッティングも終わりましたし。」
 この言葉を聞いて丑虎巡査部長は泣きそうな顔をしたが、私は、「君は退席しなさい。後は私と指尻さんの話だ」と彼に告げた。

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