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翼 アフェアーズ

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第2章 初登校

第7話 痴漢を撃退

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 次の瞬間、僕は翼を守る為の行動を反射的に取っていた。それは普段の僕からは絶対に考えられないほど勇ましくくカッコ良すぎる行動だった。

 僕はすぐに翼の腰を抱いていた手を離した。そして、翼が僕に助けを求めた事に気が付いた痴漢野郎が手を引っ込める寸前、翼のお尻を撫で回していたその手を捕まえる事に成功した。

 僕はその手首を骨もろとも握りつぶすほどの勢いで強く握り、出来るだけ低い声で言った。

「おい、お前、僕の大切な彼女に何してるんだ!」

 その一瞬、翼の真後ろに立ちながらずっと不自然に翼から顔を背けていた男が、驚きで表情を失った顔をこっちに向けた。僕はこの時初めて、こいつが翼のお尻を撫で回していた犯人だと分かった。だって僕は確かに犯人の手を摑まえてはいた。しかし、その手の位置はまだ人ごみに紛れて、それが誰の手であるかはこの時まで分からなかったからだ。

 実はその時、後から考えればもう一つ自分でも不思議な事があった。それはこの時、何故、僕は翼を『自分の大切な彼女』と叫んだかと言う事だ。この時、僕は、翼の胸の膨らみから翼が本物の女の子ではないかと思っていたのは確かだ。でもそれを何で『彼女』、しかも『大切な』なんて仰々しい形容詞まで付けて叫んだのかは今もってはっきりとは分からない。ただ、その時は自ら守ると宣言した翼を目の前でおめおめと痴漢されてしまった事に、凄まじい怒りを覚えていたのは確かだった。

「何言ってやがる。
 お前、自分で彼女の尻撫でまわして痴漢プレイを楽しんでたんだろ?
 それを彼女に嫌がられたら、
 傍に居た俺を犯人呼ばわりして逃げてんじゃねぇぞ!」

 でも、奴はすぐに逆切れして、わざとらしい怒りを露わにした顔で僕の睨み付け怒鳴った。

「僕の手は彼女の腰を抱いてた。
 もう片方は鞄を持ってる。
 僕には三本も手はない。
 僕の掴んでるあんたの手は間違いなくさっきまで彼女のお尻を触ってた!」

僕も負けずにその痴漢野郎を睨みつけて怒鳴り返した。

 一瞬、静まりかえった車内がざわざわとし始めた。周りの乗客はみんな、僕らの方を見ている。後ろの方に居た客たちも何が起こっているのか確かめようと皆、背伸びしたりしてこちらを確認しようとしていた。


 しかし、タイミングが悪くちょうどその時、僕らが乗った市電は三高下停留所に到着してしまった。そして、同時に運転手さんの真横にある降車専用のドアが開いてしまった。

 その一瞬を逃さず、その痴漢野郎はまさに火事場の馬鹿力って言うとんでもない力で僕が握っていた手を振り解いた。そして周りに居た乗客を力任せにかき分け、律儀に料金分の小銭を料金箱に投げ込むと、そのまま市電から飛び降り脱兎のごとく逃げ出した。

「あっ! 待て、この痴漢野郎!」

 僕は奴の手首を離してしまった悔しさにそう叫んで、すぐにその後を追おうとした。しかしそんな僕の腕を翼が掴んで止めた。

「兼光。僕はもう大丈夫。
 だから、君は僕の傍に居て……」

 翼はそう言って笑顔を見せた。その笑顔は、先ほどまでのどうしたら良いのか分からず怯えていた表情とは打って変わって、嫌な感覚と想いから完全に解放された事を実感した安堵の笑みだった

「まあ、君がそう言うなら……」

 僕はそれでも釈然としなまま犯人の男を追うのを諦め、電車の窓越しにそいつを目で追った。そいつは電車を飛び下りると一瞬、誰かが追いかけてくるかどうか確認するかの様にこっちを振り向いた。そしてすぐに狭い路地へ全速力で駆け込んで行った。

 見えたその痴漢野郎はサラリーマン風のスーツを着てはいたが、その顔と髪型はどこかヤンキー風でちぐはぐな感じがした。おそらく、この時間帯に乗っていても怪しまれない様にサラリーマンを装っていたのだろう。おそらく一緒に乗り合わせた可愛い女子高生などを痴漢する目的の為だけに市電を利用する悪質な常習犯だった様な気がした。そう感じた僕はやはりここで奴を取り逃がした事は大きな間違いじゃなかったかと思った。

 しかし、結果的に今回、翼を痴漢した事が奴にとっては致命的なミスだった事が後で判明する。奴はその数日後、少し乗る時間を遅目にずらした市電の中で、今度はOLさんを痴漢している所を、私服で警戒に当たっていた警察官に逮捕されたのだ。ざまぁ見ろ!

 翼の事情を知っている者からすればこんな結論、当たり前の事だった。だって奴は、よりによってその市電を運営する会社の御曹司を痴漢したのだ。会社としてそんな野郎を野放しにして置くわけがなかった。如月家経由でその事実を知った会社はその日の内に大ヶ埼警察署に通報し、大ヶ埼警察署は直ちに私服警官を市電に乗せて犯人を待ち伏せていたのだ。


「兼光、ありがとう。僕を助けてくれて」

 市電を降り翼を気遣いなら三高へと向かう通学路を歩き始めると、翼が僕の方を見てそう言ってにっこり笑った。ああ、いつものあの素敵な笑顔だ。その笑顔を見ただけで僕は、痴漢野郎を取り逃がした悔しさでぐちゃぐちゃしてた気持ちが一気に晴れた。

「いや良いって。と言うより当たり前のことをしたまでだよ。
 僕は君を守るって約束したからね。
 それよりこれでまた学校に来るのが嫌になっちゃわないか僕は心配だよ」

 僕も出来るだけ明るい笑顔を浮かべてそう翼に聞いた。実際、この痴漢騒ぎで僕が一番心配になったのがこの事だった。あの人込みや満員の市電を体験しただけであれほど不安げな表情をしていた翼が、よりによって通学初日に痴漢されたのだ。これがトラウマになってまた登校拒否になる可能性だって十分あった。

「いや、僕は大丈夫だよ。
 だって同じ事が起こっても、また君が助けてくれるだろ?」

 そう言って翼は小首を少し傾げて僕を見た。

「もちろんさ!」

 僕はサムアップした右手を翼に突き出し、思いっきり良い笑い顔を見せた。いや、正確には、自分では良い笑顔になっていたと思ってるだ。

 僕は、この言葉は翼自身が今日だけじゃなく、明日からも毎日僕と一緒に通学するんだと言う意思をはっきり示しんだと確信した。そう思うともう嬉しさで体が地面からふわりと浮きあがりそうだった。
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