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翼 アフェアーズ

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第3章 最初の一日

第9話 そして終わる一日

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 午後の一番の授業である五時限目が終わった後の休み時間、僕はまたあの東九条とその一派からねちねちとした尋問を受けた。内容はもちろん、ランチタイム中、翼を独り占めにして何をしていたかと言う事だった。そこまで気になるなら、お前たちも一緒に食堂に来たら良かったんじゃないのかよ、と僕は悪態をつきたかった。しかし、東九条相手にそんな恐ろしいことする勇気など僕にはとてもなかった。そこで僕は、しかたなく柔道部の鬼塚先輩との一件を正直に話した。すると東九条は、一瞬、侍女三人組と顔を見合わせた後、にやにやと意味ありげな艶っぽい笑みをその口元に浮かべて言った。

「暮林君、あなた、これから色々大変よ……」

「大変ってなんだよ、東九条」

「ふふふっ……まあ、その内、嫌でも分かるわよ」

「くそっ、いったい何だってんだよ」

 聞き返した僕に東九条はそう言って答えをはぐらかした。僕は翼なら何か分かったんじゃないかと、問いかけるような顔で翼の方を見た。しかし、翼も両手を広げながら小首を傾げ苦笑するだけだった。

「まったく鈍感なんだからあんたは……」

 そのやり取りを傍で見ていた犬養 真子が呆れた様な顔で呟いた。

 それでもまだ、その時の僕は東九条の言った言葉の意味を正しく理解出来ずにいた。


 翼は結局その日一日中、彼への興味が尽きないクラスメイトに授業時間以外はいつも取り囲まれる状態だった。それでも、これと言った大きな問題は起こらず翼の初登校日は無事に終わった。


 そして行きとは違い、暇してる帰宅部の連中に取り囲まれながら、僕と翼は市電に揺られて一緒に帰った。その時一緒に来た帰宅部の中には、当然の様に僕が苦手とする東九条と侍女三人組も混じっていた。しかし幸いなことに彼女らは大型商業施設『アイオイモール』へ寄り道する為、途中の『戸先町』で降りてくれた。

 『大ヶ埼駅前』に到着した僕らは駅前のロータリーへ向かった。翼が連絡を入れていたのだろ、そこにはすでにあのメイドさんの白いシビックRが他の車たちに紛れる様にちょこんと停まっていた。さすがベテランのメイドさん、翼が近づいて来るのを注意深く探していたのだろう、僕らが近づくとすぐに車から降りてリアドアを開けた。

「おかえりなさいませ、翼ぼっちゃま。
 それに暮林様……」

 メイドさん、いやもう親しみを込めて僕も小倉さんと言うべきだろうか? は朝と同じあの素敵なメイド服に身を包みドアに片手を添え、軽く頭を下げてそう言った。まさか僕の名前まで呼んでくれるとは思ってもなかったので、僕は少し驚いた。その一方、僕は、まるで僕までセレブの仲間入りしたみたいでとっても誇らしく思えた。

「うわっ……本物のメイドさん、俺、初めて見た」

「それに何、あの人、すっごく綺麗……」

 暇に任せて僕らについて来たクラスの連中はメイドの小倉さんを見て小声でそう囁きあっていた。そりゃそうだ。この僕だって小倉さんを初めて見たときはすっごく感動したんだ。いや、今だって感動してる。もし小倉さえ、うんと言ってくれれば、歳の差などものともせず僕は小倉さんと結婚しても良いと思ってる。そう思いながら僕は、もし、翼が本物の女の子ならここはすごく悩むところなんだろうなとも思った。

 結局、僕はそのまま小倉さんの車で自宅まで送ってもらった。もちろん、その間は朝と同じくリアシートで翼と二人並んで座っていた。ただ、帰りのリアシートでは僕と翼の間の距離が、朝の時より少しだけ近づいたような気がした。

 朝は結構しっかりしていたシャンプーの甘い香りはさすがにこの時間ではほとんど消えかけ微かに匂うだけだった。そして、その消えかかった甘い香りの代わりに少し甘酸っぱい匂いがした。さすがに蒸し暑さも出て来たこの時期の夕方である。身ぎれいにしてる翼と言えど、この時間ともなれば汗などが原因の体臭がある程度は出てくるのはやむを得ないのだろう。でも不思議と翼のそれは、一部マニアックな人間以外は拒否反応を示す思春期の男子の物とはちょっと違っていた。それはまるで、この時期の女の子の様な完熟一歩手前のフルーツの様な魅惑的な香りだった。

 心の中に少しマニアックな楽しみを隠しながら、僕は家に着くまで翼と彼の初登校の感想など聞きながら過ごした。翼は今まで登校拒否をしていたとは思えぬほど、楽し気に今日あった事を振り返る様に話した。翼が初登校でいきなり痴漢されたり、アイドルになったみたいにクラス中、いや学校中の注目を集めてしまった事に少し不安を感じていた僕は、そんな翼の様子をとても安心した。

 僕の家の前に車を停めた小倉さんは、まるで僕が彼女の主であるかの様に運転席から降りてわざわざリアドアを開けてくれた。僕が車から降りると、僕の背中に翼が声を掛けた。

「今日はありがとう、兼光。
 久しぶりにとても新鮮で楽しい体験をしたよ。
 明日からも僕と一緒に学校へ行ってくれるかな?」

 その声に僕は、くるりと体を翻して、車のリアシートに座り少しうつむき加減で恥ずかしそうにしていた翼に言った。

「もちろんだよ、翼!」

 そう言って出来るだけ爽やかに笑うと、翼の顔がぱぁっと明るくなるのが分かった。

 小倉さんが僕が降りる為に開けたドアを閉めた。すると翼は、わざわざそのドアににじり寄りその窓を開け、僕を見上げてまたあの素敵な笑顔を見せながら言った。

「じゃあ、兼光、また明日!」

「うん、翼、また明日!」

 僕もそう答えてちょっとカッコつけて片手を上げた。

「では明日もまた同じ時間にお迎えにあがります」

 そんな僕に小倉さんはそう言って軽く頭を下げた後、運転席へ戻って行った。

 そして、4ドアセダンと言う大人しい外観の割に少し勇ましい排気音を残して、小倉さんの運転するシビックRは僕の家から離れあのでかいお屋敷に向かって走り去って行った。それを見送る僕の視線の先に、リアウインドウ越しに翼が後ろを振り返りいつまでも僕に手を振っているのが見えた。

 そんな翼の姿を見ると何だが胸の辺りがきゅんと締め付けられる様な感じがした。明日もまた会えるのに、そしてこんなに一日楽しかったのに、何でちょっとの別れがこんなに寂しく感じられるんだろう。僕はまだ女の子とデートなどしたことないけど、デートの最後ってこんな感じなんだろうかって僕はちょっと思った。
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