道を極める

「やりたいことを極めれば、やるべきことが見えてくる」
唯一無二の妥協なき靴づくりへの挑戦

2017.01.17 公式 道を極める 第12回 山口千尋さん

100以上の工程を4カ月間。使い手と職人の対話を通して顧客専用の木型を基に、丹念に製作されるビスポーク(bespoken=顧客と話し合う)靴。その第一人者が、本場イギリスに学び、「Master Craftsman(マスター・クラフツメン)」の称号を授けられた山口千尋さん。代表を務めるシューメーカー「Guild of Crafts(ギルド・オブ・クラフツ)」の銀座直営店には、一足15万円以上、フルオーダーともなると40万円は下らないという価格帯にもかかわらず、国内外から「自分の足に本当に合った靴」を求める客足が絶えません。既製品の安価な靴が主流であった時代の中、いかにして「唯一無二の妥協なき靴づくり」は支持されていったのか。山口さんの「価値観を共有する環境づくり」の軌跡を辿りながら、真にやりたいことを成し遂げる道の極め方を伺ってきました。

(インタビュー・文/沖中幸太郎

靴づくりの仲間と居場所
職人集団『Guild of Crafts』

山口千尋(やまぐち・ちひろ)

1960年、大阪生まれ。1980年綾部トーヨーゴム株式会社に入社し、靴の企画・デザインを担当。87年、靴づくりのすべてを学ぶため同社を退社し渡英、靴学校コードウェイナーズカレッジへ入学。卒業後、さらに英国で学び続け91年、日本人初となる、英国名匠の証である「ギルド・オブ・マスタークラフツメン」の資格を授与される。帰国後は独立デザイナーとして活動し、ドクターマーチン等のデザインを担当。96年、「ギルド・オブ・クラフツ」を設立。店舗のある銀座には、国内外から多くの顧客が製靴に訪れる。日本のビスポーク靴の第一人者として、人材育成のための学校運営(サルワカフットウェアカレッジ)、『製靴書』(誠文堂新光社)の出版など、広くその製靴技術と哲学を広めている。

山口千尋氏(以下、山口氏):『Guild of Crafts(ギルド・オブ・クラフツ)』は、ビスポーク靴における職人集団です。ビスポーク靴は、使う側のさまざまな要望が優先的に取り入れられ、使い手と職人が、文字通り「話し合い=bespoken」ながら、手仕事で仕上げられていく魅力を持っています。

一人ひとりの足の形はもちろん、同じ人間の足でも左右で違いますし、ましてや使用目的となると千差万別です。使い手の好むデザインや素材、色などを確認しながら作られる「唯一無二」の靴は、工業製品と比べかなり高価ではありますが、丁寧に履けば50年以上履き続けることも可能です。

ギルドでは100以上の工程を経て4カ月以上をかけ丹念に製作致しますが、代表である私の仕事は浅草にある工房で、靴のデザイン、木型切削、型入れ、底付けなどの靴制作のほか、銀座店舗での仮縫いと、その時々の状況に応じて割合を変えながら携わっています。

職人として、靴づくりにおけるすべての工程にずっと携わっていたいという想いもありますが、それではただの趣味で終わってしまいます。靴を製品として、しっかりと世の中に広めていく場づくりまでしなければ、せっかくの先人が積み上げてきた製靴技術を殺してしまうことにもなりかねません。“孤高の職人”ではなく、集団(=ギルド)として、より多くの方に最上の靴をお届けすべく、工房の仲間たちと連携し、競いながら取り組んでいます。

――ひとりでは仕事にならないし、技術を継承、発展できない。

山口氏:どんな仕事もひとりではできませんし、仲間や価値感を共有できる土壌がなければビジネスには広がりません。そもそも私が英国から帰国したころ、まだ日本ではビスポーク靴はまったく支持されていませんでした。むしろ大量生産の安価な靴が求められていた時代の中で、どうやって魅力を知ってもらうか。まずは自分の周辺から、価値観を共有し発信するための仲間づくり、居場所づくりを手がけることから始めなければなりませんでした。

「好き」を見守ってくれた父と母
挫折しながら味わった「学ぶ」喜び

山口氏:私のものづくりと学びの出発点は、絵を描くところから始まりました。絵や美術が好きな母が、毎週のように美術館や百貨店の展示会へ連れて行ってくれたこともあって、物心ついた時からずっと絵を描いていましたね。石工(いしく)であった父の仕事場にもよく遊びに行って、神社の狛犬などが彫刻される様子などを眺めていて、それを真似て描く。学びの空気は自然と肌身で感じていたように思います。

小学生のころはクラスメイトに頼まれて、漫画の模写もしていましたが、基本は静物画。目に映るものは何でも描いて、家に帰ってからも、何度も繰り返し描いていました。

――ご両親から、絵を描くことを期待されていたのでしょうか。

山口氏:将来の職業にとか、未来の教養にという明確な意図が自分にも家族にもなく、ただなんとなく「この子には、こうさせておくのがいいだろう」程度のものだったそうです。うちは比較的厳しい家庭だったと思いますが、こと将来については、人さまに迷惑をかけない限り自由で、「こうすべき」というようなことは一切口出しされませんでした。

そのせいか、クラスメイトが文集などに将来の夢に、具体的な憧れの職業を書く中、自分はあまり考えず、ただ「強くなりたい」と抽象的なことを書いていました。昔から負けん気が強かったのですが、たしかケンカに負けた悔しさからそんなことを書いたんだと思います。

「強くなるため」に中学から始めたラグビーでしたが、高校受験時には、全国大会を目指して私立の強豪校に推薦入学するまでのめり込んでいました。ところが入学早々、全国から集まったラグビーの猛者たちの雰囲気に、私はすっかり圧倒されてしまって、レギュラー入りも諦めざるを得ない状況に立たされてしまいました。

――初っ端から、推薦入学生としての存在意義が危うい状況に……。

山口氏:その時、実は一度ドロップアウトしてしまいました。そんな状態の中、生きるために働いていた時期が半年ほどあったんです。けれど、そのころの周りの温かい仲間のおかげで持ち直し、翌年、再度高校を受験し直すことに。

「ずっと好きだった絵を学ぼう」と、工芸高校の美術科を目標に据えたのですが、時間も限られ高倍率でした。しかし、勉強や学校そのものに対する受け取り方も半年の間に大きく変わっていて、学びたい一心で勉強することができた結果、なんとか入学できることに。入学後は学校生活に異様なほどのめり込んでいたように思います。

今まで独学で描いていた絵も、学校なら道具の手入れから絵の具の溶き方まで、すべて教えてくれる。こんな素晴らしいところはないと気づいたんです。高校の3年間は、自分が所属していた日本画コースだけでは飽き足らず、洋画など他のコースにも足を運んで教えてもらうなど、ありがたい学びの時間を過ごすことができました。

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アルファポリスビジネス編集部
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アルファポリスビジネス編集部は厳選した人物にインタビュー取材を行うもので、日本や世界に大きく影響を与える「道」を追求する人物をクローズアップし、その人物の現在だけでなく、過去も未来の展望もインタビュー形式で解き明かしていく主旨である。編集部独自の人選で行うインタビュー企画は、多くの人が知っている人物から、あまり知られることはなくとも1つの「道」で活躍する人物だけをピックアップし、その人物の本当の素晴らしさや面白さを紐解いていく。

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