一生折れないビジネスメンタルのつくり方

名越康文 男を「フラリーマン」化させないためのこれからの「家族」のかたち

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なぜ「フラリーマン」は増えているのか

皆さんは「フラリーマン」という言葉をご存知でしょうか。何年か前にNHKでも特集されましたが、仕事が早く終わってもなかなか帰宅せず、「ストレスを解消したい」「自分の時間がほしい」という理由で、カフェや本屋さんに行ったり、家電量販店に1人で立ち寄ったりして、時間を潰す……。そうやって街をフラフラとふらつく30~40代の男性サラリーマンのことを指す言葉です。

なぜ、フラリーマンが増えているのか。一説には、近年の「働き方改革」の影響もあり、残業せずに早い時間で退社することが増えたものの、帰宅しても家では居場所もやることもなく、街でなんとなく時間を潰す人が増えているのではないか、と説明されています。

もし、そういう「フラリーマン」が実際に増えているのだとすれば、その背景の1つには、家庭における「父親」の役割が、かつてないほど曖昧になっている実情があるのではないかと僕は考えます。

こう申し上げると、反発もあるかもしれません。それは考え方が古い。今は男も女も関係なく、家事や子育てに参加するべき時代だ。家庭における父親の役割なんて、以前よりも増えているぐらいじゃないか。街をふらつかずに、さっさと家に帰って家事や育児に参加すればよいではないか……、と。

おっしゃることはわかります。でも、人は「役割」を与えられて初めて、社会や集団の中で落ち着いて振舞うことができる生き物であることも事実なのです。

英語で「人格」を表すパーソナリティという単語の語源は、仮面(persona)です。私たちの人格は、内面から滲み出るものではなく、どのような「仮面」をかぶるかで決まる。
役割モデルとは、社会の中でいかに過ごすかという「仮面」のことなのです。

いまの社会のなかで「フラリーマン」が増えている背景には、会社から帰宅した男性が、家族の中でどのように振る舞えばよいかという役割、すなわち「父親の仮面」がなくなったことが、確実に影響しているのはないかと思います。
その結果として、フラリーマンが街に溢れるようになったのではないかと思うのです。

家族の中での役割を再構築する

男は会社で仕事をし、女は家を守り、子育てをする。かつての日本社会には、そうした役割モデルが明確にあり、「家族」というのは、そうした「仮面」の上に成り立っていました。誤解のないように申し上げておきますが、僕はこれを「正しい姿」とか「本来のあり方」といっているわけではありません。日本という国の、ある時代において、そういう「家族のあり方」とか「家族内での役割分担」が当たり前のように通用していた時代があった、と言っているだけです。

今は、少なくともそうしたかつての「家族」や「役割分担」は機能しなくなっています。そして、その変化にはよい面がたくさんあります。かつての家族には、パワハラ的な構造もありましたし、男女平等という観点から見てもたくさんの問題がありました。
日本的な家族のあり方が崩壊しつつあることで、そうした問題は以前に比べれば、解消されつつあるという側面があります。

ただ、フラリーマン現象を含めた、今の社会で起きているさまざまな問題の背景には、かつての家族の構造が崩壊し、人々が家族内での「役割」を見失ったということがあるのも、また事実だと思います。

私たちは今、誰もが会社の外で演じる適切な「仮面(ペルソナ)」を持っていません。だから会社から一歩出た途端、どのように振る舞えばいいのかがわからなくなってしまう。
「フラリーマン」化する若い男性が増えているのは、その結果だと言えます。

ついでに言うと、家族の結束が急速に弱まっているという傾向は、実は日本だけではなく、どうやら世界的な動きでもあるようです。
近年のベストセラー「サピエンス全史」はその発行部数に恥じないスケールの著作ですが、親密なコミュニティの衰退というテーマにかなり多くのページを割いています。この場合のコミュニティとは主に血縁家族、ついで血縁に基づいた数十人単位の部族のことを指しています。

仮面を失った人間は幼児退行する

では、こういう意見もあるでしょう。「父親」や「夫」といった仮面が失われたのであれば、その場その場に応じて自分で考え、家族の中で必要な役割を果たしていけばよいではないか。それは、正論です。
でも現実には、仮面(ペルソナ)を失い、役割モデルを失った人間は、そんなに器用に家族に適応はできないのが普通です。それどころか、役割を演じられない不安のために、自分の殻に閉じこもり、幼児退行してしまうということもしばしば起きます。

自分に居場所がないのは、家族や周囲の人間が自分に優しくないからだ。自分は悪くない。自分の好きなようにしたい。自分が失敗したら優しく慰めてほしい。不満をぶつけられるのではなく、不満を相手に投げつける側になりたい。非難されるのではなく、非難する側でいたい……。

「子供の仮面をかぶった大人」は、いつもムスッと不機嫌な顔で、日々を過ごしています。それはいわば、13~14歳ぐらいの思春期のような心境です。13~14歳の中学生は、もう自分が何をやっても許されるような「子供」ではないことはわかっています。その一方で、まだまだ自分が、一人前の「大人」として振る舞えるほど自立はしていない(そもそも自立とは何なのか、という難問があるのですが、ここではスルーします)。
だからいつも不機嫌な顔をして、相手が心配して、「どうしたの?」と声をかけてくれるのを待っている……。

フラリーマンの心の中は、そんな中学生のように不平や不満でいっぱいになっているのかもしれません。そして、そのフラリーマンたちの帰宅を待つ家族もまた、同じように「子供」の仮面をかぶって、不平不満を心の中に貯えているのかもしれません。

というのも、仮面を失ったのは「父親」や「夫」だけではないからです。「母親」や「妻」といった仮面(ペルソナ)もまた、今の時代にしっくりとは合わなくなってきています。
そうやってさまざまな「仮面」が失われた結果、意外に家の中は誰にとっても居心地がよくない、少なくとも「かなり不安定な空間」になってしまっているわけです。

そう考えると「フラリーマン現象」というのは、ただ、街をふらついているサラリーマンだけではなく、日本全体(あるいは近代社会全体)の問題だと捉えることもできるでしょう。
その影響は、家庭内だけにとどまらず、働く人みんなの生産性にも、あまりよくない影響を与えると考えられます。

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プロフィール

名越康文
名越康文

精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。専門は思春期精神医学、精神療法。
臨床に携わる一方、TVやラジオ番組でのコメンテーターや映画評論、漫画分析など、さまざまな分野で活躍する精神科医。
近著に『「SOLO TIME」ひとりぼっちこそが最強の生存戦略である」』などがある。

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