
滅多に他言しないことの一つに「人生の目的」というものがないでしょうか。誰もが胸の内にしまい込んでいるものだと思います。
人はそれぞれ何か目標や考えを持ち、それに向かって生活を営むものだと思います。しかし、何かの拍子にそれらが消えてしまったり、疑問をいだくようなとき、その不安は言葉では表現できないものだと思います。
それは行き先となる目印がなくなったり、自分のこれまでの歩みを自問自答することになるわけですから、きっとその不安は恐怖に近いもではないでしょうか。
おそらく、このような状態になってしまう大きな理由の一つは、これまで極力考えることを避けてきた自分の人生の終着点がよぎってしまうからだと思います。
つまり。「死」という問題です。これが一気に突きつけられるように感じてしまい、不安が募ってしまうと思うのです。
「人生の目的」を明確にすることは、決して簡単なことではないと思いますが、今回は「生きる指針」を失って生じる不安を緩和できる考え方があるので、ぜひ参考にしていただければと思います。
何のために生きているのかわからなくなったとき、まずはその理由を考えてみましょう。おそらくその理由は、千差万別だと思います。
しかし、どんな理由であろうとも、突き詰めてみると原因は一つに絞られてくると思います。それは「自分に自信を失った」ということではないでしょうか。
自信を失ってしまうと、自分がわからなくなってしまい、混乱してしまうのではないでしょうか。この状態が「生きる指針」を失ったことの背景にあると思うのです。
できることならば、このような状態に陥りたくはないと思いますが、実はこの状態は新たな生き方を探すことができる貴重な「ご縁」とも考えることもできます。
その理由を説明したいと思います。おそらくこれまで漠然としてでも生きがいや生きる目的を持っていたと思います。
しかし、それは正直なところ、世間体や暗黙の了解で決められた社会的基準を気にしてきたという側面もあるのではないでしょうか。
「自分の自信を失った」というのは、これまでの自分自身の考えや生き方に疑問を抱くという否定的な面もありますが、これまでの自分の想像や価値観を超えた新たな自分を発見していくという面もあると思います。
これは周りと比較せず、自分の納得のいく独自の新しい生き方の模索とも言い換えることができるのではないでしょうか。
しかし、問題は言葉ではいくらでも簡単に言うことはできますが、実際に未知の世界へ踏み出すというのは難しいということです。
頭では分かっていても、やはり周りの目やこれまでの生き方が気になったりしてしまうのでしょう。
「生きる指針」を失ったときの不安には、葛藤から生まれる恐怖も含まれていると思います。それなりの人生経験を重ねていれば、この感覚はなおさらだと思います。
しかし、そんな感覚に寄り添い、新しい自分を模索することを後押ししてくれる詩があるので紹介します。
『私と小鳥とすずと』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴るすずは私のように、
たくさんな唄は知らないよ。すずと、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。『金子みすゞ童話集 わたしと小鳥とすずと』
(JURA出版局)
これは、金子みすゞさんという方の詩です。
この方の詩の特徴は、優しい言葉の中に仏教の教えが蓄含されているところにあります。