
前々回、前回を通して、頭の中がぐちゃぐちゃでまともにものを考えられなくなったときは、日記を書けばスッキリするし、向き合うべき問題に気づけるようになるよ、という話をしました。
日記は考えを整理するのに便利なツールだと思うものの、それでもやっぱり、ちゃんと誰かに話すのはとても大事だと思います。
というのも、一人で考えていると、同じことでずっと悩んじゃったり、極端な考え方になったりしがちなんですよね。
それに、フリーで仕事をしている方はわかると思うんですが、何日、何ヶ月、何年レベルでまともに人と交流してない期間が続くと、だんだん鬱っぽくなります。人付き合いがたくさんだとコミュ障は辛いのですが、だからと言ってゼロにするのもまたしんどい。なので、人付き合いの少ない気楽なフリーといえど、意識的に人と会話したほうが良いと感じます。
でも、コミュ障ぼっちな人だと話せる相手を見つけるのはすごく難しいですよね。私もこの連載をしているくらいなので、フランクに会話できる人なんてほとんどいないし、実際、母くらいしかいません(笑) ただ、身近にいる母が話し相手になってくれるというのは、すごく恵まれた状況だと思います。
今回は、そんな母との交流を経て気がついた、人との会話の大切さと、コミュ障はどういう人と交流すべきかについてお話ししたいと思います。
現在、私は実家暮らしをしており、ほぼ毎晩、夕食後に母と2時間ほど、ずっと会話しながら散歩しています。
きっかけはポケモンGOでした。ポケモンGOに飽きてドラクエウォークになったりもしたのですが、始めたときから4年以上経ってゲーム自体はやめた今でも、夜散歩の習慣は続いています。
母と私はお互い、毎日引きこもって家事したり仕事したりしているだけなので、共通の話題も新しいトピックもありません。母は絵や園芸など多趣味ですが、私の興味はお金と仕事のことだけ。時々は親戚の誰々がどうしたとか、週末におもしろいお店に行ってみようとか、次の旅行はどこに行きたいとか、新鮮な話題で盛り上がることもあります。でも基本的に会話のネタは「明日のご飯何にする?」くらい。お互い、翌日には何を話していたかよく覚えていません。
ポケモンG Oやドラクエウォークをやっていた時は、あっちに新種が出ているだの、メタスラレーダーがなくなっただのとゲームに関して話すことはありましたが、それも飽きちゃったあとは、エンドレスしりとり、エンドレス山手線ゲーム、即興物語り(一人がテーマを与えて、もう一人が即興でお話を作る)などのゲームに興じたり、変な語尾(〜でゲスね、〜ごわす、等)で喋ったり、星座を覚えながら歩いたりしました。母とSiriの全く噛み合っていないやりとりを聞いたり、ひょんなことからけんかに発展して(後述します)無言で3メートルくらい離れたまま延々家まで歩いたり、暗闇を怖がって走り出す母を追いかけたり……
そんな感じで、とくに内容のない会話ばかりしているのですが、母との夜散歩は、今の私にとってなくてはならないものになっています。
私はよく、思い切りが良いとかおもしろい発想をするとか、本来の自分とは全く違う褒められ方をするのですが、これは間違いなくこの夜散歩のおかげです。お気楽な母と話すことでいろんな決心ができたり、悩みすぎずに済んでいるのが大きいのです。