8月15日に読む

2019.08.15 WEDGE Infinity
『焼き場に立つ少年』の写真を手に持つローマ法王( REUTERS/AFLO)

 フランシスコ・ローマ法王が手に持つこの写真は、『焼き場に立つ少年』として知られる。昨年、ローマ法王が「戦争が生み出したもの」として、カードにして配ったことで、再び注目された。従軍カメラマンのジョー・オダネル氏によって撮られた写真だ。『トランクの中の日本』(小学館)には、写真と共に撮影した状況が綴られている。

 敗戦後の長崎、10歳くらい少年が死んだ弟を背負い、焼き場の前に立っていた。少年は弟が焼かれる間も直立不動の姿勢を崩さず、そのまま立ち去って行ったという。

 オダネル氏は、こう語っている。

 「少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風に動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない」

 オダネル氏は、少年のそばにいってなぐさめてやりたかったが、「もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう」と思ったという。

 オドネル氏の言う通り、何か外部から接触があれば、少年の張りつめた糸が切れてしまうような、そんな表情である。

 この少年は、どういう状況でこの焼き場にやってきたのだろうか。両親を亡くし、たった一人で肉親である弟も失ってしまったのか。それとも、病気、あるいは負傷して動けない母親(父親)が火葬場までいくことができないため、たすき掛けに死んだ弟を背負わせてもらい、一人でやってきたのか……。

 もし彼の両親がこの光景をもし見るようなことがあれば、それこそ地獄の苦しみだろう。敗戦後、戦災孤児は12万人にも上ったとされる。この少年がこの後どうなってしまったのかは、いまだに分かっていない。

 日本では74年前の悲しい出来事であるが、世界に目を向ければ、このような惨劇が日常的に起きているのである。こちらの写真を見てほしい。

 『They were screaming and crying at the top of their lungs… SY24』

 シリアのニュース社「SY24」が撮影したものだ。7月25日、シリア政府軍によって空爆され、崩壊した自宅の瓦礫に埋もれた少女(5歳)が、1歳にも満たない妹を片腕でなんとか支えている。この後、姉のほうは亡くなったという。絶望の表情で二人を見る男性は父親なのだろうか。この記事からそれは分からない。

 74年前に弟を失った少年、そして先月、妹を助け自らは命を落とした少女。子どもが被害者になる再生産は今も続いている。

いまだ健在の1940年体制

 74年前、4歳だった野口悠紀雄氏。東京大空襲で九死に一生を得るという経験をした。しかし、出征した父親は帰ってこなかった。こんな原点を持つ野口氏は、『戦後経済史』(日経ビジネス人文庫)のなかで、敗戦後の発展の背景には「1940年体制」があると指摘する。

 これは、1940年代に、岸信介など革新官僚と呼ばれる人たちが、戦争遂行に向けて「総力戦体制」を構築すべく「産業の国家統制」をはじめたことを振り出しに、金融統制(直接金融から間接金融へのシフトによって、銀行による企業支配を強める)、源泉徴収の導入(所得税徴収の強化)などへ統制が広がった。