8月15日に読む

2019.08.15 WEDGE Infinity

 さらには、自動車製造事業法によって、自動車の製造を許可制として、フォードなどアメリカ車を日本国内から実質的に追放した。電機においては東芝、日立が、そして日本製鐵もそれぞれ合併して誕生した。

 「40年体制は、50年代、60年代の資源・資金不足の局面において、戦略的な産業部門に資源配分を優先的に行うことを可能にし、それによって戦後の復興と日本の工業化を助けました。それして70年代においては、石油ショックという外からの危機に対して、日本経済全体にとって最適となる対応を可能にするという、大きな機能を発揮したのです」

 こうした成功体験によって、いまだに「日本礼賛=40年体制礼賛」が根強く残っていると、野口氏は指摘する。1990年代以降、情報通信革命などによって、外部環境が大きく変化しているにもかかわらず、その状況に対応した経済体制を構築することができていない。

 日本がアメリカの自動車産業や半導体産業をキャッチアップしてきたように、韓国、中国勢によって、日本がキャッチアップされるのも当然なのだ。だからこそ、新しい経済体制、成功体験が必要で、それを認識している人も少なくないように思えるが、いまだに次の展望は見えてこない。

 野口氏は「豊かになるには、まじめに働くしかない」という。ただし、その方向性が間違っていれば意味がないわけで、産業構造を世界経済の条件に適合させる必要がある。「日本の経済政策は将来において日本を支える産業を生み出すことに集中しなければなりません」と指摘する。

 「経済政策を転換させなければ、『焼夷弾が落ちても、バケツリレーと日本精神で消火できる』と言っていた戦時中の指導者たちと同じように、無責任なことになります」

 これまで日本経済を支えてきた自動車産業も、電動化、MaaS(Mobility as a service)など、その根底からひっくり返されるよう状況が進展しつつある。電機業界においては、スマートフォン、テレビなどのコンシューマー商品など、日本勢の存在感はなくなってしまった。次の時代「この国は何で食っていくのか?」、早急に考えなければならない。

総力戦体制の実態とは?

 総力戦体制という形はあっても、それを運用するにもあらゆる「物資」が不足していた。『昭和経済史への証言』(毎日新聞社)を読めば、その実態を知ることができる。上中下の3巻からなるこのシリーズの「中巻」において、『軍需生産の崩壊』として、海軍や商工省で物資動員を担当した岡崎文勲氏(海軍大佐)に聞いている。

 戦前における日本の国力(各種生産力)のピークは、昭和12(1937)年だったという。この年、日中戦争を開始しているが、日中戦争が泥沼化していき、国力が落ちた段階で、さらに太平洋戦争を開始しているのである。

 「米・英・蘭・仏から輸入がストップした場合、わが国の貿易は七割以上縮小する」
 「日米間の昭和16(1942)年における物的国力の差は78対1」

 など、日米の国力の差は当時も明らかであり、それにもかかわらず、戦争に突入した。その背景にある最も大きな要因が、ガソリンだった。

 「戦争を開始して1年半以内に南方から石油が入ってくれば、戦争は続けられるんじゃないか。そうせずに座っておいても訓練もしなければならんし、民間にもある程度流さなければならない。こうしてなし崩しに石油がなくなってしまえば、肺病やみが野たれ死にするようなことに国がなるんだ。だから一つ撃って出て、南方の石油を確保できれば」

 これが、戦争にふみきった根本理由だという。

 一方、『帝国陸軍と航空機工業の崩壊』では、航空兵器総局長官だった遠藤三郎氏(陸軍中将)に聞いている。

 戦争の主役が航空機であることは、日本海軍が真珠湾攻撃や、イギリス海軍のレパルス、プリンスオブウェールズを沈めたことで、世界に知らしめたが、その後、日本は後手に回ってしまった。その航空機生産においては、陸海軍の型式多種不統一(陸海軍合計で、90種の基本形式と164種の変種がつくられた)によって、生産性が悪かったという。

 以上「8月15日に読む」、3冊を紹介した。終戦から74年。日本の歴史上最大の失敗とも言える敗戦から得られる教訓は多い。

(文=友森敏雄)