NATOによる10年がかりでの、国防費の3.5%(および関連予算1.5%)のコミットメントは、米国からの圧力に応える側面もあるが、同時にそれを奇貨として自らを強化し、選択の余地を増やそうとする動きにもみえる。従来の米国との同盟を基軸にする戦略をプランAとすれば、国防費の増加はそれを発展させるプランA+の動きでありつつ、新しい戦略に基づくプランBでもあるのだろう。
日本においても同様の声がある。米国の頼りがいが失われ、同盟の損得勘定は日本にとって明らかに分が悪いと見えれば、そのような動きが出てくるのは自然だ。仮に防衛予算を米国が求めていると言われるGDP比3.5%の水準にすれば、実のところ日本は自らが決定できる余地が増え、皮肉にも同盟の重要性は低下する。そのように安全保障と経済の両面で米国の信頼が失墜し続け、日本が対応を余儀なくされれば、同盟が維持されたとしても、真に対等なパートナーシップへの移行を求める声が高まるのは当然だろう。
とはいえ、既存の同盟体制を意図的に解体へと導くような政策的選択に踏み切るべきかどうかは、極めて慎重な判断が求められる。そのような急進的な転換は、国際社会にさらなる不安定化をもたらし、地域的軍拡の連鎖を誘発する「軍拡のドミノ効果」を引き起こしかねない。
自律性を高めることは当然だとしても、日本と世界を利するルール重視の国際秩序を超大国不在でどのように維持するのか、かつてないほどに「荒ぶる米国」とどう付き合えば良いのか、生き残るための戦略が日本には必要とされている。
グローバル化が進んで以降の約35年間、自由主義や民主主義などの価値観を前提に、比較的予測可能性が高い時代を私たちは生きてきた。しかし、これからは宗教やポピュリズム、イデオロギーの力が増し、ルールも規則性が見失われる真逆の世界に突入していく。米国の動きは決して例外ではなく、国際秩序を遠慮なく揺さぶり続ける。従来の思考の延長線上、いわゆる正常化バイアスの範疇を超える準備が必要である。
このような混沌の時代においては「多面的」な備えこそが重要であり、防衛予算の総額を上げることだけが最適解とは言えない。
国家レベルでみれば外交力が重要である。米国以外のG7諸国や豪州、韓国との協力関係の構築は言うまでもなく、インドネシアなどBRICSに惹きつけられているグローバルサウス諸国が重要だ。欧米流に最初から高いハードルでの協力を求めるのではなく、例えばアジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)が好例だが、各国の発展段階に応じた協調を促進していく仕掛けが必要となろう。秩序の総崩れを防ぐためには相手を選り好みすべきではない。
しかし、米国との付き合い方こそ何よりも今見直すべきと、ここでは主張したい。まず企業だ。日本には米国に対するインテリジェンス機能とロビイング活動の強化が必要だが、まずはインテリジェンスである。
1990年代までの日米貿易摩擦期には官民挙げて米国情報を分析したものだが、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことで、米国を知る人材は先細ってきた。マネジメント層は高額なコンサルタント料を米国企業に払っているが、足元に十分な調査能力や情報を生かす体制が整っていなければ意味がない。
経済安全保障への対応に力を注ぎ始めた大手企業も多いが、問題はルールへの対応だけでなく、それを生み出す政治のダイナミクスを広く分析する力が不足していることにある。地政学の時代にあっても、依然として超大国であり、各国に新たな対応を生み出す原因でもある米国にまず焦点を当てなければならない。日本社会は米国分析の難しさを理解してこなかったようにもみえる。産官学それぞれのセクターに、?筋金入り?の米国のプロを育てる仕組みが急務である。