水商売を漫画にした67歳原作者の剛勇な人生

倉科さんが複数の雑誌を股にかけ大活躍されている時、筆者(村田)はマイナーな出版社のマイナーな雑誌で仕事をしていた。マイナーな雑誌には、小学館や講談社など大出版社で活躍している作者はほとんど描かない。

その雑誌に倉科さん原作の連載が始まった。大物作家が自分がかかわっている雑誌に寄稿している。なんだか光を当ててもらったようで、とてもうれしい気持ちになったのを覚えている。

「そうですね、当時は来た仕事は断らないというスタンスでした。仕事を選ぶようになったら終わりだなって思ってましたね」

倉科さんは漫画家の知り合いはほとんどいないという。

若い頃、漫画家をあきらめて去っていく友人を見送るのがとてもつらかった。だから以来、漫画界に友達を作るのをやめた。

ただ例外的に、谷岡ヤスジさん(『ヤスジのド忠犬ハジ公』など)とは親密で、とてもかわいがってもらっていた。

「谷岡ヤスジさんは常々、『俺は三流雑誌から始まっているから、仕事をくれるならどこでも何でも描く』って言っていました。そのスタンスがとても格好よかったんですよね。自分ももし万が一売れたら、ピンからキリまで全部の雑誌で描きたいと思いました」

仕事数がピークの時に開催した忘年会では、担当編集者だけで50人以上来たという。

「それまでの経験として1本ヒットすれば、10年は持つというのがわかりました。42、3歳で原作者として成功したので、あと10年はなんとかなるなと思って馬車馬のように仕事をしました。その間に離婚して、再婚もしました」

気がつけば65歳になっていた。

引退作だと思い、2016年『ビッグコミック』(小学館)で始めた作品は『荷風になりたい~不良老人指南~』だった。ケン月影さんと組み、男としてありのままに生きた小説家、永井荷風を描いた。

2017年の9月に最終巻である4巻が発売された。

「出版社からはありがたいことに『まだ引退はさせませんよ』って言われているんですよ。いい企画が浮かんだら書こうと思っています。だけど、この年まで書き続けられたなら十分ですよね(笑)? よく人気のある作家が引退する話になると

『周りが引退を許さない』

とか、

『雑誌に売りがなくなって売れなくなる』

とか言いますけど、実際にはそんなことはないんです。

そりゃ売り上げなどは一時は落ちるかもしれないけど、すぐに代わりの人が出てきて、いつの間にか変わらずに回り始める。漫画界は、そういう世界なんですよ。野球界、芸能界も同じですよね」

身の丈に合ったことをするのがいちばん

倉科さんは3年ほど前からは、舞台製作に取り組んでいる。

「創造するというのは、漫画も舞台も同じですから……発表の場が舞台になったということです。今年から大きい舞台をやってみようと思いまして『女帝』を舞台化することにしました。4年前に脳梗塞をやりまして、奥さんには『もうやめてほしい』って言われているんですけど。『最後の道楽だから。あと2~3本大きい舞台をやったらやめるから』って説得していますね。70歳になったら完全に引退しようと思ってます」

倉科さんは完全に引退した後はどのような生活を考えているのだろうか?

「あまりたくさんの現金を貯金していないんです。人間、現金をたくさん持つと気が大きくなりますから、全部不動産にしています。不動産ならゼロになることはないですからね。引退後は、一つひとつ切り売りして食べていこうと思ってます。編集者からは『倉科さんは稼いでいるわりに地味ですね。高級車にも乗らないし』ってからかわれます。そもそも運転免許証持ってないんです(笑)。大邸宅に住もうとも思わないですしね。人間身の丈に合ったことをするのがいちばんです」

作品がブレークしても、収入が増えても有頂天にならず、俯瞰の視線を持ち続ける倉科さん。その視点こそが、時代を超えて何作もヒット作を生み出した秘訣なのかもしれないと思った。

(文=村田 らむ:ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター)