ロシアに初出店した日本のラーメン店の正体

「FUJIYAMA55 St.petersburg」オープン当日の12月2日、澤竜一郎社長(前列左から3人目)とスタッフ(写真:55style)

寿司と同様に、世界中で食べられているラーメン。今や日本を代表する食文化となっているが、海外へ進出しているのは、なにも「一蘭」や「一風堂」など有名店だけではない。名古屋・大須に総本店を構え、東海地方を中心に39店舗を展開する「つけ麺・ラーメン フジヤマ55」は、タイやインドネシア、香港、台湾、中国、フランス、オランダに出店している。そして、今年12月、日本のラーメン店として初めてロシア・サンクトペテルブルクに出店した。

世界を股にかける敏腕社長は「ラーメンおたく」

「オープンまでの数日間、ホテルから毎朝歩いて店へ通いました。歴史的建造物が建ち並ぶサンクトペテルブルクの美しい街並みを眺めながら、ラーメンおたくだった僕は今、ロシアにいるんだ!って感慨深いものがありましたね」と話すのは、「フジヤマ55」グループを運営する55styleの代表取締役、澤竜一郎さんだ。

「つけ麺・ラーメン フジヤマ55」を運営する55styleの澤竜一郎社長(筆者撮影)

大須の総本店がオープンしたのは、2009年9月。それまでほかのラーメン店で修業していたわけではない。澤さんは大学卒業後、大手ゼネコンへ就職。高速道路建設の部署へ配属され、岡山県の山奥にある飯場で建設作業員と寝食を共にしていた。週末になると、下山してラーメンの食べ歩きを楽しんでいた。

「就職してからずっと地元には帰っていなかったんです。1997年の年末に帰省すると、実家がラーメン屋になっていたんです(笑)。父はどこかで修業したわけではありませんが、そのラーメンが素朴で美味しかったんです。そこで初めて趣味が仕事になるということに気が付いたんです」

澤さんの父親が営んでいたのは、今でも地元で人気の「中華そば あおい」。昔ながらの中華そばが看板メニューで中高年の常連客も多かった。

つけ麺・ラーメン フジヤマ55 大須総本店(写真:55style)

そんな父親の姿を見ているうちにラーメン店をやりたいという気持ちが日増しに強くなり、2000年にゼネコンを退職。有名ラーメン店で接客のアルバイトをしながら店の物件を探し、名古屋・鶴舞に「中華そば 鶴舞一刻屋」をオープンさせたのは2003年のこと。地元のテレビや雑誌にも採り上げられ、評判は上々だった。そんな中、父親がヘルニアを患い、このまま店を閉めるか、澤さんが店を継ぐかの選択を迫られた。

「一刻屋は、ラーメン屋をやりたいと言っていた高校時代の同級生に任せることにして、父の店を継ぐことにしました。それまでメニューになかった味噌ラーメンやまぜそばも新たに加えたところ、若い世代のお客さんが食べに来てくれるようになりました」

店を始めてからもラーメンの食べ歩きは続けていた。名古屋市内のみならず、東京にも足を運んで最新のトレンドを研究した。その中で澤さんに衝撃を与えたのが、当時東京でブームになっていた濃厚なスープで食べるつけ麺だった。これを名古屋でも食べることができればと、大須で「フジヤマ55」をオープンさせた。

フジヤマ55 大須総本店の名物「濃厚つけ麺」820円(写真:55style)

これが名物の「濃厚つけ麺」。その名のとおり、パンチのある濃厚な魚介豚骨スープとモチモチ食感の自家製極太麺は相性抜群。各席に設置されたIHクッキングヒーターで加熱して食べる名物のチーズリゾットも絶品だ。この味に魅了され、瞬く間に行列のできる人気店となった。大須はラーメン店がオープンしても長く続かず、「ラーメン不毛の地」と揶揄されていたが、その定説を打ち破った。