カズオ・イシグロが語る「AIが生む哲学的格差」

カズオ・イシグロ氏が考えるAIが人類に突きつける新たな問題とは(写真:REUTERS)
人工知能(AI)の存在が「当たり前」になったとき、人々の暮らしや価値はどう変わるのか――。
イギリス人作家のカズオ・イシグロ氏による長編小説『クララとお日さま』は、AIロボットであるクララが、ある秘密を抱える家族に購入されるところから始まる。一家の娘のジョジーの希望を叶えるべく奔走するクララの姿は献身的にも見え、従来の「人類 vs AI」という構図とは大きく異なる。しかし、物語の背景にはAIが浸透した世界で起きている厳しい現実も見え隠れする。
AIが社会の一部になることによる、本当の問題とは何なのか。イシグロ氏が語った。(前編:カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ)。

「AIが人類を支配する」ことは脅威ではない

――クララはAIロボットでありながら、彼女を購入した家族のためを考えて行動する、非常に優しさを感じさせる存在でした。特に小説や映画では、AIはどちらかというと人類にとっての脅威と描かれがちなので意外でした。

テクノロジーによって生まれる機会もあれば、危険もあります。今日のAIがどれだけパワフルか、私たちはいまひとつ認識していません。『クララとお日さま』は、サイエンスフィクションでも、将来の話でもなくて、今まさに起こりうることです。

私自身はAIがもたらす危険性や危機についての話には関心がなく、AIは人類に対する脅威だという話を書きたいとは思っていませんでした。

たしかにAIに対する根本的なおそれのようなものは人間にあるのでしょうが、私自身はAIを脅威には感じていません。危険もあるとは思いますが、今私たちが心配するべきは「AIが人類を支配する」ということではないと思います。

それよりも『クララとお日さま』の背景に感じられる、多くの人が仕事を失って、日々の生活を営むほど稼げなくなり、雇用が縮むレベルにまでAIが台頭するということのほうが、私たちが憂うべき事態なのではないでしょうか。そして、これは単に雇用が消える、というよりも大きな問題をはらんでいます。

格差は貧富間だけでなく、働ける人と、働けない人の間にも存在するようになります。これは、社会に貢献できる人と、社会に貢献できない人という、より哲学的な格差につながるでしょう。人間にとって大きな脅威です。

そうなったとき、はたして人は自らの価値をどう測るのか。企業で働くといった古いスタイルの社会貢献が奪われてしまったとき、どうやって社会に貢献をしていったらいいのか……。AIの台頭は、人々が仕事を失われた後、どうなるのかという大きな問題を抱えていると思います。

例えば、国の20%しか働けなくなったとき、どうしたらいいのか、という問いに対しては、多くの人が答えを出していますが、いまだに説得力のあるものを聞いたことはありません。私たちの大半はずっと「誰もが働かなければいけない」という考えのもとに成長してきましたが、このこと自体を根本的に考え直さなければいけなくなるのです。私たちが生き方を完全に見直さないかぎり、暴力や戦争、あるいはひどい貧困が起きる危険性があります。

AIが下す決定に人間が関与できるのか

もう1つ、AIが抱える問題は、AIシステム自体が持ちかねない偏見やバイアスです。これまでの世界であれば、何かブラックボックス的な状況があれば、「この決定は人種差別的、性差別的な偏見に基づいている」という指摘ができました。

しかしAIの世界では、例えば、保険の審査にしても、医療方法にしてもAIが決めることになり、その決定において新たなブラックボックスが発生します。それでも、私たちにはAIがなぜそう判断したかを知ることは困難です。これは人間にとって大きなチャレンジとなります。AIの決定プロセスに人間がどう関与できるのか、という問題です。