資金も人脈もゼロから…よさこい祭り、「絶対に不可能な」米NY公演実現させた女性の物語

「ドリーム夜さ来い祭りin New York」の様子

「よさこい」は、もともと高知の祭りであるが、今や日本各地でイベントが開かれるなど、全国区の祭りとなった。

 去る5月29日には、米ニューヨークタムズスクエア前で「ドリーム夜さ来い祭りin New York」が開催された。今年で3回目の公演であり、鳴子の高らかな音と共に「ドリーム夜さ来い」の舞いは、タイムズスクエアを往来する多くの人々の足を止めた。

「ドリーム夜さ来い祭り」を主催する、ドリーム夜さ来い祭りグローバル振興財団理事長の扇谷ちさと氏は、「この成功にとどまらず、さらなる躍進を目指す」と野望を語る。財団成立までの軌跡とこれからの財団の展望について、扇谷氏に話を聞いた。

●1本の電話から世界へつないだ有言実行の精神

 東京・お台場で「ドリーム夜さ来い祭り」を初開催してから15年が過ぎた。お台場での祭りを開催するまでも紆余曲折、いろいろな試練があったという。

 扇谷氏が高知から上京し10年がたつ頃、「大井町どんたく」という町おこし祭りでのよさこいの指導をしたことがきっかけとなり、その後も各地での祭りやイベントでよさこいの指導にあたった。扇谷氏は、よさこいはその自由さが魅力だと話す。

「よさこいのチームは数多くあり、踊りも自由でチームによってさまざまな特色があります。踊り子を見送るチームも受け入れるチームも、なんの垣根もなく自由。私は、踊り子一人ひとりが祭りの顔だと考えています。踊り子全員に輝いてほしいという思いで指導に当たっています」(扇谷氏)

 そんな扇谷氏の元に多くの踊り子たちが集まり、1999年に「TOKYO夜さ来いCOMPANY」を設立した。その後、「首都圏夜さ来い祭り振興協議会」会長となり、各地でよさこい祭りのプロデュースを手掛けた。さらなる普及振興が必要と考えた扇谷氏は、お台場での祭りの開催を目指した。

 前例のないお台場での祭りイベントに多くの人から「無理だ。あきらめる勇気も必要だ」と言われたそうだ。

「土佐の方言で『ヘゴな』という言葉があります。簡単に言うと、理不尽なといった意味なのですが、お台場の祭りの開催を頭ごなしに無理だといった人は、私にとっては『ヘゴなやつ』そのものです。今思えば、特に人脈もなく組織力ゼロ、資金ゼロ、ノウハウゼロですべてゼロからのスタートだったので、『無理だ』と言われるのも納得なのですが、当時は怖いもの知らずの猪突猛進で結果、有言実行しました」(同)

 お台場での祭りの開催を目指したものの人脈などがなかった扇谷氏は、当時お台場にフジテレビもかかわる「臨海副都心まちづくり協議会」があることを知り、フジテレビに電話をかけるところから始めた。扇谷氏のあきらめない精神が祭りの開催実現まで導き、「第1回ドリーム夜さ来い祭り」は2002年11月、2000名の参加者が集まる大成功を収めた。このときの祭りのキャッチフレーズは、「東京から日本の夢を世界に発信」である。この「ドリーム夜さ来い祭りinお台場」が、後のニューヨーク公演へと導いたことは間違いない。

●お台場の次はニューヨーク!

 今や「ドリーム夜さ来い祭りinお台場」は東京を代表する祭りのひとつとなり、80万人もの集客があるイベントに成長した。実は、扇谷氏は、第1回のお台場での祭りの直後には、すでにニューヨークでの開催を考えていた。「よさこい祭りを定着させるための活動を10年続けたら、ニューヨークでやると心に決めていました」と明かす。

 とはいえ、タイムズスクエア広場での公式公演やイベントはハードルが高く、大手日本企業でもなかなか手が出せないのが現状だ。日本人で公式公演を行ったのは、約50年前のクレージーキャツというから、多くの人が扇谷氏の志に難色を示したのは言うまでもない。しかし、「ヘゴなやつ」に出会うと俄然火が着く扇谷氏の負けん気の強さと有言実行の精神で、ニューヨーク公演も見事に成功へと導いた。これも、「ニューヨーク市長に手紙を書く」という一歩から始めたという。