みずほFG、業界内でくすぶる、ゆうちょ銀行との合併説

みずほ銀行(写真:金田啓司/アフロ)

 みずほフィナンシャルグループ(FG)は、4月1日付で佐藤康博社長が会長に退き、後任にみずほ証券の坂井辰史社長が就く。

 証券子会社の社長からFG社長という前例のないルートをたどるトップ人事は、2重の意味でサプライズだった。

 ひとつは、本命が外れたこと。もうひとつは、旧日本興業銀行支配が続くことだ。

 みずほFGは日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の3行が合併して誕生したが、ずっと旧行同士の権力争いに明け暮れてきた。こうした旧行意識の弊害が、度重なる不祥事として噴出した。

 そのため、「One MIZUHO」を掲げて佐藤氏は旧行意識の払拭に力を入れてきた。だからこそ、「ポスト佐藤は誰か」というのは、金融界がもっとも注目していた人事だった。

 みずほFGのトップ人事は、5名の社外取締役で構成される指名委員会で決定する。元新日本製鐵副社長の関哲夫氏、元日立製作所会長の川村隆氏、元最高裁判事の甲斐中辰夫氏、元経済財政政策担当大臣の大田弘子氏、元メリルリンチ日本証券社長の小林いずみ氏が委員を務める。

●後継を目されていた3人

 このメンバーに社長候補者のリストが配布された。当然、指名委員会は候補者たちとも面談を行い、立ち居振舞いから質問への回答ぶりなどを、つぶさにチェックした。そのなかで、佐藤氏の後継として下馬評が高かったのは、以下の3人だ。

 旧第一勧銀出身者では、みずほFG傘下の中核銀行、みずほ銀行の藤原弘治頭取。3メガバンクのなかでもっとも若い頭取だ。1997年の第一勧銀の総会屋利益供与事件のときは、「改革派4人組」の部下で、企画部一番の若手だった。ニューヨーク支店で国際業務も経験。国内では企画部門を歩み、みずほFGの中期経営計画策定を主導した。みずほ銀行の頭取が持ち株会社の社長に就任すれば、それは想定通りの人事だ。藤原氏は「将来のトップ候補の呼び声が高かった」(みずほFGの元役員)ため、“無風”といえる。

 旧富士銀行出身者では、みずほFGのリテール・事業法人カンパニー長の岡部俊胤・執行役副社長が有力視されていた。佐藤氏との関係は良好で、「佐藤氏は自分の後継と考えていたが、岡部氏は長く総会屋担当をしていたため、“ヤクザローン”事件で処分を受け、頭取レースから脱落した」(同)とみられている。

“ヤクザローン”事件とは、オリエントコーポレーション(オリコ)の販売提携ローンを通じて、みずほ銀行が反社会的勢力に融資を行っていた不祥事。この事件で、当時のみずほ銀行の塚本隆史会長らが辞任。みずほFG社長の佐藤氏がみずほ銀行の頭取を兼務する布陣が変更され、ワントップ体制が一時、崩れた。みずほFGは委員会設置会社に移行し、取締役会議長に大田弘子氏が座った。この事件は、みずほFGにとって転換点となった。

 旧興銀出身者では、みずほFGのグローバルコーポレートカンパニー長の菅野暁・執行役副社長。旧興銀勢が推す大本命だった。

 佐藤氏は旧行意識の払拭に努めていたことから、「興銀による政権のたらい回しとの非難を避けるため、興銀出身でない人を選ぶのではないか」(ライバルのメガバンク役員)との観測があった。その場合は、岡部氏が最有力と目されていた。

●坂井氏が後任に選ばれたワケ

 ところが、指名委員会が下した判定は、サプライズそのものだった。

 新社長に坂井氏の名が発表されると、ライバル銀行はもとより、みずほグループ内部からも驚きの声が挙がった。坂井氏は社長レースの下馬評にも上っていなかったからだ。

「菅野氏は、事業会社のトップの経験がないことがマイナス点となった。坂井氏は、グループ企画部長として銀行中枢を経験しているし、投資銀行部門、国際部門の責任者を務めた。さらに、みずほ証券という事業会社の経験もあるということで、総合点が一番高かった」(みずほFGの現役役員)