木天蓼 圭

木天蓼 圭

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読書を愛する皆様へ

人の文語のボキャブラリーで何年経っても変わらずに使い続ける言葉が存在することに私は感慨深くなってしまう。

書く人間がいなければ、文章は生まれないし物語は成立しないわけだが 物語を紡ぐ当人の生活環境や人生観の変化がその永年文章にも現れるはずだ。

しかし、そのボキャブラリーの中で何年経っても使い続ける言葉が存在し、自然と増えていく語群の中でもそれを使用するのは当人にとってその言葉に対する何かしらの印象や思い入れがあるはずだと考える。

それが、街を歩いていた時に見かけた看板であったり当時付き合っていた相手の口癖だったり、好きな小説の一節の中の言葉だったり。

そう考えていると、小説とは作者の人生そのものではないのだろうかと私は思う。

こういった文章を私はあまり書いたりしないが今回そう思った理由として、受験勉強の合間に読んでいる西尾維新さんのデビュー作であり最近オリジナルビデオアニメーション化している「クビキリサイクルー青色サヴァンと戯言遣い」という小説の一節p70に忘却という言葉が使用されていた時に私が思い浮かんだのが2014年に刊行された「掟上今日子の備忘録」の主人公の掟上今日子の肩書きである忘却探偵というフレーズを思い出しました。この連想からの考察が前文です。2002年刊行されたシリーズの作中の言葉を2014にも使用していることに対してちょっとした感動をおぼえてなりませんでした。

きっと、この事は空論に過ぎないかもしれませんが読者皆さん、これから小説を書こうと思っている皆さん。そして、これから本屋で1冊の本を手にする皆さんにその本は作者の人生の一部なのかもしれないと思っていただけたら、きっとこれからの読書がより身になっていくのではないかと思います。


長々とした文章読んでいただきありがとうございました!

木天蓼 圭でしたぁー
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登録日 2016.10.13 15:49

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