漫画家へGO プロ漫画家インタビュー

No. 3異世界で『黒の癒し手』って呼ばれています
村上ゆいち先生

わたしの履歴書

第1回 まわりにはヒミツ! だからこそ育まれた、絵を描くことへの情熱

趣味バレ厳禁? 内緒でハマった「ガンダムSEED」

――ソフトの使い方はどうやって学んだんですか?

その頃はいわゆるお絵描きソフトの黎明期で、ネットでパソコンを使ったイラストのメイキングを公開するサイトが出始めた頃だったんです。Pixiaというソフトが一番メジャーだったんですけど、SAIはソフトがまだ出たてでメイキングサイトがなくて。なのでPixiaのメイキングを見ながら、独学でSAIを習得していきました。その時初めて、好きに色を使って絵が描けたことに感動したんです。それでデジタルで絵を描く楽しさに目覚めました。

――ツールは何を使っていましたか?

最初は年賀状ソフトに付いていた、本当にタバコの箱くらいの大きさしかないペンタブレットで描いてました。高校生になってバイトを始めて、自分が自由に使えるお金ができたのでFAVOという初心者向けのペンタブを買って。しかもその時FAVOの付属ソフトとしてPhotoshop Elementsが付いてきたので、さらにいろいろいじれるようになって、デジタルすごい! と。ますますその魅力にハマっていきましたね。

村上先生が初めて買ったペンタブレット、FAVO。プロデビュー後もしばらく使っていたほど愛用していたとか。
©Wacom

――デジタルで最初に描いたイラストはオリジナルでしょうか。

「ガンダムSEED」(創通・サンライズ)のカガリです。当時から女の子を描くのが好きだったので……あれ? いや、もしかしたらイージスガンダムかもしれないです! 「ガンダムSEED」にハマっていた時、シードの絵がたくさん載ってる雑誌があると聞いて本屋に行ったら、イージスが表紙の「Newtype」(2003年1月号/KADOKAWA)を見付けて。かっこいい! と即行で買って帰って、表紙を模写した覚えがあります。

――キャラよりもモビルスーツの方に(笑)。ということは、デジタル絵を描き始めた頃はアニメにハマっていたんですね。アニメを見るようになったきっかけとなった作品は?

中学生の時に深夜の再放送で見た「ラーゼフォン」(2001 BONES・出渕裕/Rahxephon project)です。後から知ったんですけど、その時見たのが有名な「ブルーフレンド」という回で、アニメでこんな重い話をやるんだ! と感動して。それで他の深夜帯のアニメも見始めたら、坂を転がるようにアニメにハマっていってしまいました。うちは親が厳しいというか、アニメはちょっと、というタイプだったので、テレビも見られる携帯電話にイヤホンを差して、夜中に布団を頭からかぶって見てましたね。アニメを録画したい時は、親が寝静まったのを確認してから、テレビの前で携帯を構えて動画モードで記録したり……。

――(笑)。涙ぐましい努力ですね。ご両親はアニメを見ることに対してかなり厳しかったんですか?

絶対ダメというわけではなかったんですけれど、私の地元は不良が一番かっこいいとされる風潮があったんですよ。その中でアニメが好き、というとかなり肩身の狭い感じがあって。私の親が同級生の親に比べて年齢が高かったせいもあって、そういう雰囲気があまりわからないから、私がアニメ好きと知ったら周囲に普通に「うちの子はアニメや漫画が好きで」って言ってしまうという確信があったので、とにかく親には隠してましたね。私も楽しい青春が送りたかったんで……!

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