暗い夜に怯えたい【怖い話】

シマシマ

文字の大きさ
14 / 24

気配

しおりを挟む
新築の一軒家に引っ越して半年。夫の健司と小学一年生の娘、紗良、そして私の三人家族は、この閑静な住宅街での新生活を満喫していた。共働きで忙しい毎日だが、憧れだったマイホームでの暮らしは、ささやかながらも幸福に満ちていた。

しかし、些細な違和感が積み重なり始めたのは、去年の夏が終わりを告げる頃だった。

始まりは本当に取るに足らないことだった。
朝、出かける前に施錠を確認したはずの窓が、帰宅すると少しだけ開いている。
寝る前に消したはずのリビングの電気が、夜中にふと目を覚ますと煌々と点いている。
洗濯機を回した後、乾燥機に移したはずのタオルが、なぜか洗濯槽の中に残っている。
いずれも、健司も私も「歳のせいか」「疲れのせいか」「紗良のいたずらだろう」と、笑い飛ばせるような出来事だった。

特に紗良は、最近「見えないお友達」と遊んでいると言い始めた。「今日ね、テレビの横のね、人がね、笑ってたんだよ」と、曖昧なことを言うたびに、私たちは「きっと想像力が豊かなんだね」と、微笑ましく思っていた。

違和感は、ある日から少しずつ形を変えていった。
夜中に、妙な物音で目が覚めるようになった。カタン、カタン、と何かを置くような音。キィ、と床が軋む音。耳を澄ませても、すぐに音は止む。健司を起こしても「気のせいだろ」と寝返りを打つだけだった。

私が最も不気味だと感じたのは、洗濯物の異変だった。
ある日、畳んだばかりの私の下着が、なぜかいつもと違う場所に畳まれて収納されていた。最初は間違えたのかと思ったが、それが何日か続いた。そして、健司のワイシャツの襟元に、覚えのない口紅の跡がついていたことがあった。健司は「俺のじゃない! 会社の誰かだろう!」と激しく否定したが、私は一瞬、胸がざわついた。しかし、すぐに「まさか」と思い直し、揉め事にはしなかった。

ある週末、家族で買い物を終え、リビングに戻った時のことだ。
ソファに置いてあった、私が毎日使っているマグカップが、洗面所のシンクに置かれていた。それだけならまだしも、中には飲みかけのコーヒーが残っていた。
「ねえ、健司? これ、飲んだ?」
「いや、俺じゃないよ。お前じゃないのか?」
紗良は目を丸くして首を振る。
私たちの間を、沈黙が流れた。
その時、紗良がリビングの壁を指差した。
「あのね、ママ。あの人、今、テレビの後ろに隠れたよ」
紗良が指差す先には、テレビと壁のわずかな隙間。人が入れるようなスペースではない。
健司は慌ててテレビを動かしたが、そこには何もない。ただの白い壁があるだけだ。

翌日から、私たちの心はざわつき始めた。
紗良は「お友達」と遊ぶ時間が明らかに増え、リビングで一人で遊んでいるはずなのに、まるで誰かと会話しているかのように楽しそうに笑い、時には怯えたように「ごめんね」と謝ることもあった。
健司は家にいる間中、無意識に電気の点灯や窓の施錠を確認するようになった。

そして、私も。
ある夜、寝室でスマホをいじっていると、ふと、部屋の隅の暗がりに何かの影が揺れたような気がした。目を凝らすが、もちろん何もいない。
その代わり、ひんやりとした冷気が、足元から這い上がってくるような感覚があった。
次の瞬間、私の隣で眠っていた健司の息が、わずかに荒くなったように感じた。そして、耳元で、微かな囁きが聞こえた気がしたのだ。
――お邪魔します。
それは、人の声のようでもあり、そうでないようでもあった。

その日を境に、紗良が言う「見えないお友達」は、リビングだけでなく、子供部屋、寝室、バスルーム…家の中のあらゆる場所に現れるようになった。
紗良は、まるで私たちには見えない来訪者に、家の隅々まで案内して回っているようだった。
「あっちだよ。こっちだよ」
私たちの家のどこかに、私たちには見えない誰かが、ひっそりと「居候」している。そう確信した時、私たちの家は、もはや安らぎの場ではなくなっていた。

今も、家のどこかから、かすかな物音が聞こえる。
それは、私たちが寝静まった頃に、リビングで誰かがテレビを点ける音だったり、夜中に冷蔵庫の扉が開閉する音だったり、あるいは、私たちが普段使わないはずの客間の窓が、ゆっくりと開く音だったりする。
私たちはもはや、それが気のせいだとは思わない。
この家は、私たちのものなのだろうか。それとも、あの「気配」のものなのだろうか。
私たちの日常は、もう、侵食されてしまったのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/7:『どろのあしあと』の章を追加。2025/12/14の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/6:『とんねるあんこう』の章を追加。2025/12/13の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/5:『ひとのえ』の章を追加。2025/12/12の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/4:『こうしゅうといれ』の章を追加。2025/12/11の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/3:『かがみのむこう』の章を追加。2025/12/10の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/2:『へびくび』の章を追加。2025/12/9の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/1:『はえ』の章を追加。2025/12/8の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

静かに壊れていく日常

井浦
ホラー
──違和感から始まる十二の恐怖── いつも通りの朝。 いつも通りの夜。 けれど、ほんの少しだけ、何かがおかしい。 鳴るはずのないインターホン。 いつもと違う帰り道。 知らない誰かの声。 そんな「違和感」に気づいたとき、もう“元の日常”には戻れない。 現実と幻想の境界が曖昧になる、全十二話の短編集。 一話完結で読める、静かな恐怖をあなたへ。 ※表紙は生成AIで作成しております。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

残酷喜劇 短編集

ドルドレオン
ホラー
残酷喜劇、開幕。 短編集。人間の闇。 おぞましさ。 笑いが見えるか、悲惨さが見えるか。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...