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気配
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新築の一軒家に引っ越して半年。夫の健司と小学一年生の娘、紗良、そして私の三人家族は、この閑静な住宅街での新生活を満喫していた。共働きで忙しい毎日だが、憧れだったマイホームでの暮らしは、ささやかながらも幸福に満ちていた。
しかし、些細な違和感が積み重なり始めたのは、去年の夏が終わりを告げる頃だった。
始まりは本当に取るに足らないことだった。
朝、出かける前に施錠を確認したはずの窓が、帰宅すると少しだけ開いている。
寝る前に消したはずのリビングの電気が、夜中にふと目を覚ますと煌々と点いている。
洗濯機を回した後、乾燥機に移したはずのタオルが、なぜか洗濯槽の中に残っている。
いずれも、健司も私も「歳のせいか」「疲れのせいか」「紗良のいたずらだろう」と、笑い飛ばせるような出来事だった。
特に紗良は、最近「見えないお友達」と遊んでいると言い始めた。「今日ね、テレビの横のね、人がね、笑ってたんだよ」と、曖昧なことを言うたびに、私たちは「きっと想像力が豊かなんだね」と、微笑ましく思っていた。
違和感は、ある日から少しずつ形を変えていった。
夜中に、妙な物音で目が覚めるようになった。カタン、カタン、と何かを置くような音。キィ、と床が軋む音。耳を澄ませても、すぐに音は止む。健司を起こしても「気のせいだろ」と寝返りを打つだけだった。
私が最も不気味だと感じたのは、洗濯物の異変だった。
ある日、畳んだばかりの私の下着が、なぜかいつもと違う場所に畳まれて収納されていた。最初は間違えたのかと思ったが、それが何日か続いた。そして、健司のワイシャツの襟元に、覚えのない口紅の跡がついていたことがあった。健司は「俺のじゃない! 会社の誰かだろう!」と激しく否定したが、私は一瞬、胸がざわついた。しかし、すぐに「まさか」と思い直し、揉め事にはしなかった。
ある週末、家族で買い物を終え、リビングに戻った時のことだ。
ソファに置いてあった、私が毎日使っているマグカップが、洗面所のシンクに置かれていた。それだけならまだしも、中には飲みかけのコーヒーが残っていた。
「ねえ、健司? これ、飲んだ?」
「いや、俺じゃないよ。お前じゃないのか?」
紗良は目を丸くして首を振る。
私たちの間を、沈黙が流れた。
その時、紗良がリビングの壁を指差した。
「あのね、ママ。あの人、今、テレビの後ろに隠れたよ」
紗良が指差す先には、テレビと壁のわずかな隙間。人が入れるようなスペースではない。
健司は慌ててテレビを動かしたが、そこには何もない。ただの白い壁があるだけだ。
翌日から、私たちの心はざわつき始めた。
紗良は「お友達」と遊ぶ時間が明らかに増え、リビングで一人で遊んでいるはずなのに、まるで誰かと会話しているかのように楽しそうに笑い、時には怯えたように「ごめんね」と謝ることもあった。
健司は家にいる間中、無意識に電気の点灯や窓の施錠を確認するようになった。
そして、私も。
ある夜、寝室でスマホをいじっていると、ふと、部屋の隅の暗がりに何かの影が揺れたような気がした。目を凝らすが、もちろん何もいない。
その代わり、ひんやりとした冷気が、足元から這い上がってくるような感覚があった。
次の瞬間、私の隣で眠っていた健司の息が、わずかに荒くなったように感じた。そして、耳元で、微かな囁きが聞こえた気がしたのだ。
――お邪魔します。
それは、人の声のようでもあり、そうでないようでもあった。
その日を境に、紗良が言う「見えないお友達」は、リビングだけでなく、子供部屋、寝室、バスルーム…家の中のあらゆる場所に現れるようになった。
紗良は、まるで私たちには見えない来訪者に、家の隅々まで案内して回っているようだった。
「あっちだよ。こっちだよ」
私たちの家のどこかに、私たちには見えない誰かが、ひっそりと「居候」している。そう確信した時、私たちの家は、もはや安らぎの場ではなくなっていた。
今も、家のどこかから、かすかな物音が聞こえる。
それは、私たちが寝静まった頃に、リビングで誰かがテレビを点ける音だったり、夜中に冷蔵庫の扉が開閉する音だったり、あるいは、私たちが普段使わないはずの客間の窓が、ゆっくりと開く音だったりする。
私たちはもはや、それが気のせいだとは思わない。
この家は、私たちのものなのだろうか。それとも、あの「気配」のものなのだろうか。
私たちの日常は、もう、侵食されてしまったのだ。
しかし、些細な違和感が積み重なり始めたのは、去年の夏が終わりを告げる頃だった。
始まりは本当に取るに足らないことだった。
朝、出かける前に施錠を確認したはずの窓が、帰宅すると少しだけ開いている。
寝る前に消したはずのリビングの電気が、夜中にふと目を覚ますと煌々と点いている。
洗濯機を回した後、乾燥機に移したはずのタオルが、なぜか洗濯槽の中に残っている。
いずれも、健司も私も「歳のせいか」「疲れのせいか」「紗良のいたずらだろう」と、笑い飛ばせるような出来事だった。
特に紗良は、最近「見えないお友達」と遊んでいると言い始めた。「今日ね、テレビの横のね、人がね、笑ってたんだよ」と、曖昧なことを言うたびに、私たちは「きっと想像力が豊かなんだね」と、微笑ましく思っていた。
違和感は、ある日から少しずつ形を変えていった。
夜中に、妙な物音で目が覚めるようになった。カタン、カタン、と何かを置くような音。キィ、と床が軋む音。耳を澄ませても、すぐに音は止む。健司を起こしても「気のせいだろ」と寝返りを打つだけだった。
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「あのね、ママ。あの人、今、テレビの後ろに隠れたよ」
紗良が指差す先には、テレビと壁のわずかな隙間。人が入れるようなスペースではない。
健司は慌ててテレビを動かしたが、そこには何もない。ただの白い壁があるだけだ。
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紗良は「お友達」と遊ぶ時間が明らかに増え、リビングで一人で遊んでいるはずなのに、まるで誰かと会話しているかのように楽しそうに笑い、時には怯えたように「ごめんね」と謝ることもあった。
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そして、私も。
ある夜、寝室でスマホをいじっていると、ふと、部屋の隅の暗がりに何かの影が揺れたような気がした。目を凝らすが、もちろん何もいない。
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