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隣家の眼差し
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都会の喧騒から離れた、少し古びた一軒家に引っ越してきたのは、一年前のことだ。隣の家とは庭を挟んで隣接しており、リビングの窓からお互いの家の様子がうっすらと見える。引っ越しの挨拶に伺った際、隣の住人である初老の女性、田中さんは、柔和な笑顔で「お隣さんね、よろしくね」と言ってくれた。その時は、親切な隣人ができて幸運だと思った。
異変に気づいたのは、引っ越して数週間が経った頃からだった。
朝、カーテンを開けると、田中さんの家の窓に人影が見える。私の視線に気づくと、サッと引っ込む。気のせいかと思ったが、それがほぼ毎朝のことだと気づき、少しだけ違和感を覚えた。
庭の手入れをしていると、決まって田中さんが外に出てくる。そして、特に会話をするわけでもなく、じっとこちらを見ているのだ。目が合うと、にっこりと微笑んでくるのだが、その笑顔が、なぜかとても不気味に感じられた。まるで、獲物を観察するような、あるいは何かを値踏みするような視線だった。
ある日、仕事から疲れて帰宅し、ポストを開けると、見慣れない手紙が入っていた。差出人の名前はない。恐る恐る開けてみると、そこには私の今日の服装や、立ち寄ったコンビニの店名、購入した商品のことまで、詳細に書かれていた。そして、最後に「いつも見ていますよ。頑張っていますね」という一文と、田中さんの家のイラストが添えられていた。
心臓が大きく跳ねた。背筋に冷たいものが走る。誰かに見られている。しかも、それは間違いなく田中さんだ。恐怖が、じわりと胸の中に広がり始めた。
それからというもの、私の生活は田中さんの「眼差し」に支配されるようになった。
洗濯物を干していると、田中さんの家の二階の窓が、わずかに開いている。
シャワーを浴びていると、外から微かな音が聞こえる気がする。
夜、電気を消してベッドに入ると、なぜか隣の家だけ、煌々と電気が点いている。
私の行動を全て把握されているような感覚に陥り、外出するのも、家にいるのも、怯えるようになった。
ある夜、インターホンが鳴った。モニター越しに田中さんの顔が見える。「あら、お宅の郵便物、間違ってうちに来てたわよ」と、朗らかな声。しかし、その手には、明らかに私宛のものではないダイレクトメールが握られていた。郵便物を渡された時、田中さんの手が私の手に触れた。ひんやりと冷たく、乾いた感触。そして、その目に、ゾッとするような奇妙な光が宿っていたのを、私は見逃さなかった。
「おやめください」
一度、勇気を出してそう言ってみたことがある。庭で私が電話をしている最中、田中さんがこちらをじっと見つめていた時だった。「すみません、少し邪魔なので、やめていただけますか」と、努めて冷静に伝えた。
田中さんは一瞬、顔から笑顔を消し、まるで初めて見るかのような冷たい目で私を見た。そして、ゆっくりと、しかし確実に、田中さんの家の窓が閉められていく。私は安堵した。これで、少しは落ち着ける。そう思った矢先だった。
翌朝、玄関のドアを開けると、目の前に小さな木の箱が置いてあった。中には、私の髪の毛らしきものと、数枚の写真。それは、私が自宅でくつろいでいる姿を、部屋の中から撮ったものだった。カーテンを閉め切っていたはずなのに。どこから撮ったのか、全く検討がつかない。
田中さんは、私が見えない場所から、私を見ている。
そして、私の知らない間に、私の家に侵入している。
この時、私の恐怖は頂点に達した。田中さんの親切そうな笑顔の奥に潜む狂気。それはもはや、私が理解できる範疇を超えていた。
引っ越したい。この家から逃げ出したい。
そう思ったが、契約期間の縛りや、金銭的な問題で、すぐに引っ越すことはできない。
警察に相談することも考えたが、確たる証拠がない上、もし田中さんの逆鱗に触れてしまったら、何をされるか分からない。
私は、田中さんの家の窓から私を見つめる「眼差し」に怯えながら、今日もこの家に住み続けている。
私の日常は、完全に「隣人」に侵食されてしまったのだ。
異変に気づいたのは、引っ越して数週間が経った頃からだった。
朝、カーテンを開けると、田中さんの家の窓に人影が見える。私の視線に気づくと、サッと引っ込む。気のせいかと思ったが、それがほぼ毎朝のことだと気づき、少しだけ違和感を覚えた。
庭の手入れをしていると、決まって田中さんが外に出てくる。そして、特に会話をするわけでもなく、じっとこちらを見ているのだ。目が合うと、にっこりと微笑んでくるのだが、その笑顔が、なぜかとても不気味に感じられた。まるで、獲物を観察するような、あるいは何かを値踏みするような視線だった。
ある日、仕事から疲れて帰宅し、ポストを開けると、見慣れない手紙が入っていた。差出人の名前はない。恐る恐る開けてみると、そこには私の今日の服装や、立ち寄ったコンビニの店名、購入した商品のことまで、詳細に書かれていた。そして、最後に「いつも見ていますよ。頑張っていますね」という一文と、田中さんの家のイラストが添えられていた。
心臓が大きく跳ねた。背筋に冷たいものが走る。誰かに見られている。しかも、それは間違いなく田中さんだ。恐怖が、じわりと胸の中に広がり始めた。
それからというもの、私の生活は田中さんの「眼差し」に支配されるようになった。
洗濯物を干していると、田中さんの家の二階の窓が、わずかに開いている。
シャワーを浴びていると、外から微かな音が聞こえる気がする。
夜、電気を消してベッドに入ると、なぜか隣の家だけ、煌々と電気が点いている。
私の行動を全て把握されているような感覚に陥り、外出するのも、家にいるのも、怯えるようになった。
ある夜、インターホンが鳴った。モニター越しに田中さんの顔が見える。「あら、お宅の郵便物、間違ってうちに来てたわよ」と、朗らかな声。しかし、その手には、明らかに私宛のものではないダイレクトメールが握られていた。郵便物を渡された時、田中さんの手が私の手に触れた。ひんやりと冷たく、乾いた感触。そして、その目に、ゾッとするような奇妙な光が宿っていたのを、私は見逃さなかった。
「おやめください」
一度、勇気を出してそう言ってみたことがある。庭で私が電話をしている最中、田中さんがこちらをじっと見つめていた時だった。「すみません、少し邪魔なので、やめていただけますか」と、努めて冷静に伝えた。
田中さんは一瞬、顔から笑顔を消し、まるで初めて見るかのような冷たい目で私を見た。そして、ゆっくりと、しかし確実に、田中さんの家の窓が閉められていく。私は安堵した。これで、少しは落ち着ける。そう思った矢先だった。
翌朝、玄関のドアを開けると、目の前に小さな木の箱が置いてあった。中には、私の髪の毛らしきものと、数枚の写真。それは、私が自宅でくつろいでいる姿を、部屋の中から撮ったものだった。カーテンを閉め切っていたはずなのに。どこから撮ったのか、全く検討がつかない。
田中さんは、私が見えない場所から、私を見ている。
そして、私の知らない間に、私の家に侵入している。
この時、私の恐怖は頂点に達した。田中さんの親切そうな笑顔の奥に潜む狂気。それはもはや、私が理解できる範疇を超えていた。
引っ越したい。この家から逃げ出したい。
そう思ったが、契約期間の縛りや、金銭的な問題で、すぐに引っ越すことはできない。
警察に相談することも考えたが、確たる証拠がない上、もし田中さんの逆鱗に触れてしまったら、何をされるか分からない。
私は、田中さんの家の窓から私を見つめる「眼差し」に怯えながら、今日もこの家に住み続けている。
私の日常は、完全に「隣人」に侵食されてしまったのだ。
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