暗い夜に怯えたい【怖い話】

シマシマ

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幻の駅そば

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あれは、去年の冬のことだ。私は仕事の都合で、滅多に使わないローカル線を乗り継いで、北関東の取引先へ向かっていた。雪がちらつく寒い日で、乗り換えのために降り立ったのは、名前も知らない小さな無人駅だった。次の電車まで一時間以上ある。吹きさらしのホームは凍えるほど寒く、駅前にはコンビニどころか商店一つ見当たらなかった。

途方に暮れて駅舎の中をうろついていると、ホームの隅に、ぽつんと明かりが灯っているのに気づいた。近づいてみると、それは「きさらぎ」と掠れた文字が書かれた、古びた立ち食いそば屋だった。こんな寂れた駅に、と意外に思いながらも、暖を求めて迷わず引き戸に手をかけた。

店の中は、外の寒さが嘘のように暖かかった。人の良さそうな白髪の老婆が一人、カウンターの向こうで「いらっしゃい」と優しく微笑む。メニューは壁に掛けられた木札のみ。「天ぷらそば」と「月見うどん」、そして「きつねそば」。私は天ぷらそばを注文した。

出されたそばは、驚くほど美味かった。出汁の香りが高く、天ぷらは揚げたてで衣がサクサクしている。冷え切った身体に、温かいそばつゆがじんわりと染み渡っていく。夢中でそばをすすりながら、私は老婆と他愛もない話をした。この駅の昔のこと、雪の日の客足のこと。会計を済ませ、店を出る時、老婆は「お気をつけて」と、また優しい笑顔を向けてくれた。おかげで、待ち時間は少しも苦ではなかった。

奇妙なことに気づいたのは、その出張から半年ほど経ってからだ。会社の経費精算で、領収書の整理をしていた時のこと。私はふと、あの日のそば屋の領収書がないことに気がついた。確かに現金で払い、受け取ったはずだ。まあ、紛失したのだろうと、その時は大して気にも留めなかった。

しかし、先日、別の用事で再びあのローカル線を使う機会があった。せっかくだから、もう一度あの絶品のそばを食べよう。私は、あの駅での乗り換えを心待ちにしていた。

駅に降り立ち、逸る気持ちでホームの隅へ向かう。だが、そこにあった光景に、私は言葉を失った。

そば屋があったはずの場所は、がらんとした空き地になっているだけだった。コンクリートの土台が残っているが、その上には錆びついた鉄骨が転がり、雑草が生い茂っている。どう見ても、ここ数年、何かが営業していたとは思えない荒れ果てた姿だった。

まさか、駅を間違えたのか? しかし、駅名もホームの風景も、半年前の記憶と寸分違わない。狐につままれたような気分で、私はスマートフォンの地図アプリを開いた。そして、駅周辺の情報を検索して、背筋が凍った。

私が探していた立ち食いそば屋「きさらぎ」は、確かにかつてこの駅に存在した。だが、それは15年も前の話。店主だった老婆が亡くなったのを機に店をたたみ、建物もその数年後に取り壊された、と町の古いブログ記事に書かれていたのだ。

では、あの雪の日に私が食べた天ぷらそばは、一体何だったというのか。あの優しい老婆は誰だったのか。払ったはずのお金は、どこへ消えたのか。

答えの出ない問いが頭を巡る。ただ一つ確かなのは、今でも舌の奥に、あの滋味深いそばつゆの温かい記憶が、幻のようにこびりついて離れないことだけだった。
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