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礎
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郊外に小さな一軒家を建てたのは、三年前のことだった。
新しく造成された住宅地で、隣近所も皆、俺たちと同じような若い家族ばかり。週末には芝生の手入れをする音が聞こえてくるような、絵に描いたような平穏な場所だった。
あの男が、最初に現れたのは、日曜の昼下がりだった。
俺が庭で子供の自転車の補助輪を外していると、どこからともなく、スーツ姿の初老の男が歩み寄ってきた。白髪をきれいに撫でつけ、品の良い笑みを浮かべている。どこかのセールスかと思った。
「素晴らしいお土地ですね」
男は、俺の足元の土を眺めながら言った。
「清浄で、力が満ちている。いかがですかな、ここに、神社をお作りになりませんか」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。神社? 作る?
新手の宗教の勧誘だろうか。だとしても、あまりに突飛すぎる。
「いえ、うちは特にそういうのは……」
曖昧に断ると、男は「そうですか」と、意外なほどあっさりと頭を下げ、静かに去っていった。
気味の悪いセールスだったな、とすぐに忘れた。
だが、その一週間後。今度は、妻が男に会った。
スーパーの駐車場で、買い物袋を車に積んでいると、背後から声をかけられたという。
「奥様。あのお土地を、遊ばせておくのはあまりに惜しい。どうか、神社を」
妻は、俺から話を聞いていたのですぐにピンときて、気味悪さに足早に車に乗り込んだという。
その日からだった。日常が、静かに軋み始めたのは。
朝、ポストを開けると、見慣れない封筒が入っている。中には、小さな祠の精巧な設計図だけが、一枚。
深夜、家の固定電話が鳴る。出てみると、何も言わずに切れる。ただ、受話器の向こうから、鈴の音のようなものが微かに聞こえた気がした。
俺たちは、明らかに狙われていた。
警察に相談したが、実害がない以上、パトロールを強化します、という以上の対応はしてもらえなかった。
恐怖が確信に変わったのは、娘の幼稚園の参観日だった。
教室の後ろで父兄が並んで見ている中、俺のすぐ隣に、あの男が立っていた。いつの間に。なぜここに。
男は、園児たちではなく、俺をじっと見て、口だけを動かした。声は出ていない。だが、その唇の動きは、はっきりと読み取れた。
『つ・く・り・ま・せ・ん・か』
俺は、耐え切れずにその場から逃げ出した。
車に飛び乗り、エンジンをかける。家に帰るのが怖かった。あいつらがいるかもしれない。当てもなく、隣町のファミリーレストランに駆け込んだ。
ドリンクバーでコーヒーを注ぎ、席に戻ると、向かいの席に、若い女が座っていた。
切れ長の目に、血の気のない白い肌。喪服のような黒いワンピースを着ている。
「はじめまして」
女は、人形のように無表情なまま、頭を下げた。
「父が、いつもご無理ばかりを。申し訳ありません」
父、という言葉に、あの初老の男の顔が浮かぶ。
「父はもう、長くはないのです。代々、我らの家系は、清浄な土地を探し、社を建て、神をお迎えすることを生業としてまいりました。この土地は、何十年もかけて、父が見つけ出した、最後の場所なのです」
その目は、まるで感情というものが欠落しているようだった。
「どうか、お考え直しください。これは、あなた様にとっても、悪い話ではないはず」
「冗談じゃない! いい加減にしてくれ! ストーカーで訴えるぞ!」
俺が声を荒らげると、女は静かに立ち上がった。
「……もう、お時間は残されておりませんのに」
そう呟くと、彼女はするりと席を立ち、店から出ていった。
その夜、俺は決意した。こんな家、売ってしまおう。こんな土地、捨ててしまおう。
不動産屋に連絡するため、パソコンを開く。
検索窓に「土地 売却」と打ち込もうとした、その指が、なぜか動かない。
まるで、自分の意思ではない、何者かに止められているような感覚。
『ここを、はなれては、いけない』
頭の中に、直接、声が響いた。男の声でも、女の声でもない、もっと大勢の、混ざり合ったような声。
金縛りにあったように動けないでいると、ふと、庭の方から、音が聞こえてきた。
ザク、ザク、と土を掘るような音。
恐る恐る、カーテンの隙間から覗き込む。
月明かりに照らされた庭に、いる。
あの初老の男と、若い女。そして、その周りには、今まで見たこともない、何十人もの、黒い人影。
彼らは全員、無言で、一心不乱に、俺の家の庭を掘り返していた。
そして、何かを埋めている。
四角い、木箱のようなものを。
やがて、彼らは作業を終えると、こちらを一瞥もせず、闇に溶けるように消えていった。
翌朝。俺は、夢ではなかったことを知った。
庭の真ん中に、小さな盛り土ができていた。そして、その中心に、一本の木の杭が打ち込まれている。
杭には、墨でこう書かれていた。
『御神体鎮座之地』
呆然と立ち尽くす俺のポケットで、スマートフォンが震えた。
見知らぬ番号からの、メッセージが一件。
『礎が築かれましたことを、心よりお祝い申し上げます。次は、鳥居の建立となります。資材は、明朝お届けいたします』
逃げられない。
俺の意思とは関係なく、俺の家は、俺の日常は、着々と、彼らの「神社」に作り替えられていくのだ。
新しく造成された住宅地で、隣近所も皆、俺たちと同じような若い家族ばかり。週末には芝生の手入れをする音が聞こえてくるような、絵に描いたような平穏な場所だった。
あの男が、最初に現れたのは、日曜の昼下がりだった。
俺が庭で子供の自転車の補助輪を外していると、どこからともなく、スーツ姿の初老の男が歩み寄ってきた。白髪をきれいに撫でつけ、品の良い笑みを浮かべている。どこかのセールスかと思った。
「素晴らしいお土地ですね」
男は、俺の足元の土を眺めながら言った。
「清浄で、力が満ちている。いかがですかな、ここに、神社をお作りになりませんか」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。神社? 作る?
新手の宗教の勧誘だろうか。だとしても、あまりに突飛すぎる。
「いえ、うちは特にそういうのは……」
曖昧に断ると、男は「そうですか」と、意外なほどあっさりと頭を下げ、静かに去っていった。
気味の悪いセールスだったな、とすぐに忘れた。
だが、その一週間後。今度は、妻が男に会った。
スーパーの駐車場で、買い物袋を車に積んでいると、背後から声をかけられたという。
「奥様。あのお土地を、遊ばせておくのはあまりに惜しい。どうか、神社を」
妻は、俺から話を聞いていたのですぐにピンときて、気味悪さに足早に車に乗り込んだという。
その日からだった。日常が、静かに軋み始めたのは。
朝、ポストを開けると、見慣れない封筒が入っている。中には、小さな祠の精巧な設計図だけが、一枚。
深夜、家の固定電話が鳴る。出てみると、何も言わずに切れる。ただ、受話器の向こうから、鈴の音のようなものが微かに聞こえた気がした。
俺たちは、明らかに狙われていた。
警察に相談したが、実害がない以上、パトロールを強化します、という以上の対応はしてもらえなかった。
恐怖が確信に変わったのは、娘の幼稚園の参観日だった。
教室の後ろで父兄が並んで見ている中、俺のすぐ隣に、あの男が立っていた。いつの間に。なぜここに。
男は、園児たちではなく、俺をじっと見て、口だけを動かした。声は出ていない。だが、その唇の動きは、はっきりと読み取れた。
『つ・く・り・ま・せ・ん・か』
俺は、耐え切れずにその場から逃げ出した。
車に飛び乗り、エンジンをかける。家に帰るのが怖かった。あいつらがいるかもしれない。当てもなく、隣町のファミリーレストランに駆け込んだ。
ドリンクバーでコーヒーを注ぎ、席に戻ると、向かいの席に、若い女が座っていた。
切れ長の目に、血の気のない白い肌。喪服のような黒いワンピースを着ている。
「はじめまして」
女は、人形のように無表情なまま、頭を下げた。
「父が、いつもご無理ばかりを。申し訳ありません」
父、という言葉に、あの初老の男の顔が浮かぶ。
「父はもう、長くはないのです。代々、我らの家系は、清浄な土地を探し、社を建て、神をお迎えすることを生業としてまいりました。この土地は、何十年もかけて、父が見つけ出した、最後の場所なのです」
その目は、まるで感情というものが欠落しているようだった。
「どうか、お考え直しください。これは、あなた様にとっても、悪い話ではないはず」
「冗談じゃない! いい加減にしてくれ! ストーカーで訴えるぞ!」
俺が声を荒らげると、女は静かに立ち上がった。
「……もう、お時間は残されておりませんのに」
そう呟くと、彼女はするりと席を立ち、店から出ていった。
その夜、俺は決意した。こんな家、売ってしまおう。こんな土地、捨ててしまおう。
不動産屋に連絡するため、パソコンを開く。
検索窓に「土地 売却」と打ち込もうとした、その指が、なぜか動かない。
まるで、自分の意思ではない、何者かに止められているような感覚。
『ここを、はなれては、いけない』
頭の中に、直接、声が響いた。男の声でも、女の声でもない、もっと大勢の、混ざり合ったような声。
金縛りにあったように動けないでいると、ふと、庭の方から、音が聞こえてきた。
ザク、ザク、と土を掘るような音。
恐る恐る、カーテンの隙間から覗き込む。
月明かりに照らされた庭に、いる。
あの初老の男と、若い女。そして、その周りには、今まで見たこともない、何十人もの、黒い人影。
彼らは全員、無言で、一心不乱に、俺の家の庭を掘り返していた。
そして、何かを埋めている。
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やがて、彼らは作業を終えると、こちらを一瞥もせず、闇に溶けるように消えていった。
翌朝。俺は、夢ではなかったことを知った。
庭の真ん中に、小さな盛り土ができていた。そして、その中心に、一本の木の杭が打ち込まれている。
杭には、墨でこう書かれていた。
『御神体鎮座之地』
呆然と立ち尽くす俺のポケットで、スマートフォンが震えた。
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