60 / 67
番外編 逃がさないけどね ~一ノ瀬君side~ その17
しおりを挟む
「はい。熱いから気をつけてね」
そう言って、彼女はコーヒーが入ったマグカップを俺の前に置いた。そして自分の分をテーブルの上に置き、俺の向かいに腰を下ろした。
「有難うございます。………えっ!…あの、それって茶碗じゃ…?もしかして新しいタイプの食器ですか?いや茶碗型のコーヒーカップって斬新ですね?」
俺の目は彼女の前に置かれたコーヒーに釘付けになった。正確にいうと、コーヒーが入っている器にだ。
形状も大きさも抹茶碗に近いが、抹茶のように適温のお茶が少量が入っているわけではなく、熱いコーヒーがなみなみと注がれている。そもそも器の底に高台もないから、コーヒーが冷めるまで持つのも大変そうだ。あれで火傷せずに飲むのは至難の業だろう。
そんな事を考えていると、彼女が真っ赤な顔をして、「…そんなんじゃないわよ。だってこれ、ドリンク用じゃないし…。仕方ないじゃない。他になかったんだから。あ、でもご飯茶碗じゃないからね?シリアル用のボウルだから」と恥ずかしそうに答えた。
……マグカップが一つしかない?
いくら一人暮らしとはいえ、そんな事があり得るだろうか?割ってしまってそのままだとか?…いや、どちらにしても、今まで人が来た時どうしてたんだ?
そのまま疑問をぶつけると、彼女はムキになってガラスのコップなら二個あるのだと言った。そして、この部屋には誰も来た事がないから今まで困った事なんてなかったのだと。恥ずかしいから、あまり突っ込まないでくれと言ったのだ。
……今まで誰もこの部屋に来た事がない?
さすがにそれはないだろう。言い訳にしても無理がある。
人に部屋に入られるのが苦手な人間は一定数いる。相手がどんなに親しい友人でも、嫌なものは嫌なのだろう。そういう人間は絶対に人を自分の部屋に招かない。
けれど、彼女は過去、あの男と不倫関係にあったのだ。
後ろ暗い関係だから、俺達以上に人の目を避けなければならなかった筈だ。そんな二人が逢瀬を重ねるとしたら彼女の部屋以外考えられない。
「今まで客が来た事ないって…。友達は?間嶋さんの奥さんとかも来た事ないんですか?……あの男は頻繁に来てたんじゃないんですか?」
自分で訊いておきながら、あの男がこの部屋に足繁く通っていたのだと思うと胸が灼けるように痛んだ。
「あの男って…もしかして富永さんの事?富永さんはここの場所すら知らない筈よ?別れた後、ここに越してきたから。その時、食器とかいろいろ処分しちゃったのよ…。
それに紗耶香と会う時はいつも紗耶香の家にお邪魔してるし。他の友達と会う時は外で会うから。……私、自分のテリトリーに入られるのが苦手で…」
あの男がここの場所すら知らないと聞いた瞬間、不思議な事に先程までの胸の痛みは綺麗に消え失せた。逆に、この部屋に初めて足を踏み入れたのが俺だという事実に、言いようのない高揚感を覚えていた。
寧ろ、食器や諸々も全て処分しておいてくれてよかったと思った。下手にペアのマグカップなんかでコーヒーを出されたら、あの男の影を感じてかなりモヤモヤしただろう。それならば、茶碗入りコーヒーの方がよっぽどマシだ。
今度、彼女と一緒に買い物にいこう。彼女が捨てたという様々な物を買い集めに行こう。
そこまで思った時、『自分のテリトリーに入られるのが苦手』だという言葉が耳に届いた。
俺は即座に謝った。
元々、俺は彼女の部屋に上がりこむ気など全くなかった。彼女に会う事ができたなら、個室のある店か、俺の部屋に移動するつもりだった。
だが、思い掛けず、彼女が部屋に誘ってくれたから、嬉しくてついお邪魔してしまったのだ。
…もしかして迷惑だっただろうか?マンションのエントランスで待っていたのも、彼女からしたら、押し掛けられたように感じたかも知れない。
俺が俯きかけると、彼女は俺の両腕を掴んで迷惑なんかじゃないのだと否定した。俺ならば構わないのだと、寧ろ嬉しいのだと言いながら、珠のような涙を流し始めた。
そして泣きながら、何度も何度もごめんなさいと謝罪の言葉を口にしたのだ。
そう言って、彼女はコーヒーが入ったマグカップを俺の前に置いた。そして自分の分をテーブルの上に置き、俺の向かいに腰を下ろした。
「有難うございます。………えっ!…あの、それって茶碗じゃ…?もしかして新しいタイプの食器ですか?いや茶碗型のコーヒーカップって斬新ですね?」
俺の目は彼女の前に置かれたコーヒーに釘付けになった。正確にいうと、コーヒーが入っている器にだ。
形状も大きさも抹茶碗に近いが、抹茶のように適温のお茶が少量が入っているわけではなく、熱いコーヒーがなみなみと注がれている。そもそも器の底に高台もないから、コーヒーが冷めるまで持つのも大変そうだ。あれで火傷せずに飲むのは至難の業だろう。
そんな事を考えていると、彼女が真っ赤な顔をして、「…そんなんじゃないわよ。だってこれ、ドリンク用じゃないし…。仕方ないじゃない。他になかったんだから。あ、でもご飯茶碗じゃないからね?シリアル用のボウルだから」と恥ずかしそうに答えた。
……マグカップが一つしかない?
いくら一人暮らしとはいえ、そんな事があり得るだろうか?割ってしまってそのままだとか?…いや、どちらにしても、今まで人が来た時どうしてたんだ?
そのまま疑問をぶつけると、彼女はムキになってガラスのコップなら二個あるのだと言った。そして、この部屋には誰も来た事がないから今まで困った事なんてなかったのだと。恥ずかしいから、あまり突っ込まないでくれと言ったのだ。
……今まで誰もこの部屋に来た事がない?
さすがにそれはないだろう。言い訳にしても無理がある。
人に部屋に入られるのが苦手な人間は一定数いる。相手がどんなに親しい友人でも、嫌なものは嫌なのだろう。そういう人間は絶対に人を自分の部屋に招かない。
けれど、彼女は過去、あの男と不倫関係にあったのだ。
後ろ暗い関係だから、俺達以上に人の目を避けなければならなかった筈だ。そんな二人が逢瀬を重ねるとしたら彼女の部屋以外考えられない。
「今まで客が来た事ないって…。友達は?間嶋さんの奥さんとかも来た事ないんですか?……あの男は頻繁に来てたんじゃないんですか?」
自分で訊いておきながら、あの男がこの部屋に足繁く通っていたのだと思うと胸が灼けるように痛んだ。
「あの男って…もしかして富永さんの事?富永さんはここの場所すら知らない筈よ?別れた後、ここに越してきたから。その時、食器とかいろいろ処分しちゃったのよ…。
それに紗耶香と会う時はいつも紗耶香の家にお邪魔してるし。他の友達と会う時は外で会うから。……私、自分のテリトリーに入られるのが苦手で…」
あの男がここの場所すら知らないと聞いた瞬間、不思議な事に先程までの胸の痛みは綺麗に消え失せた。逆に、この部屋に初めて足を踏み入れたのが俺だという事実に、言いようのない高揚感を覚えていた。
寧ろ、食器や諸々も全て処分しておいてくれてよかったと思った。下手にペアのマグカップなんかでコーヒーを出されたら、あの男の影を感じてかなりモヤモヤしただろう。それならば、茶碗入りコーヒーの方がよっぽどマシだ。
今度、彼女と一緒に買い物にいこう。彼女が捨てたという様々な物を買い集めに行こう。
そこまで思った時、『自分のテリトリーに入られるのが苦手』だという言葉が耳に届いた。
俺は即座に謝った。
元々、俺は彼女の部屋に上がりこむ気など全くなかった。彼女に会う事ができたなら、個室のある店か、俺の部屋に移動するつもりだった。
だが、思い掛けず、彼女が部屋に誘ってくれたから、嬉しくてついお邪魔してしまったのだ。
…もしかして迷惑だっただろうか?マンションのエントランスで待っていたのも、彼女からしたら、押し掛けられたように感じたかも知れない。
俺が俯きかけると、彼女は俺の両腕を掴んで迷惑なんかじゃないのだと否定した。俺ならば構わないのだと、寧ろ嬉しいのだと言いながら、珠のような涙を流し始めた。
そして泣きながら、何度も何度もごめんなさいと謝罪の言葉を口にしたのだ。
0
あなたにおすすめの小説
禁断溺愛
流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。
隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません
如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する!
【書籍化】
2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️
たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。
けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。
さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。
そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。
「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」
真面目そうな上司だと思っていたのに︎!!
……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?
けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!?
※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨)
※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧
※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕
肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです
沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる