魔法が使えない女の子

咲間 咲良

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アレンのお見舞い

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「エマちゃんいらっしゃい」
「こんにちはルシウスさん。アレンの具合はどうですか」

 次の日の放課後、早速ティンカーベル書房に行ったわ。お店のカウンター席にいたルシウスさんはばっちり目が覚めていて、にこにこしながら立ち上がる。

「おばあちゃんからです。風邪のお薬だって」

 水玉模様の小袋を差し出すと両手で大事そうに受け取ってくれた。

「あぁ、ありがとう。アレンは薬嫌いなんだけどちゃんと飲ませるよ」

 アレンは昨日の夜に熱を出したんですって。魔法をたくさん使うと体が疲れてメンエキリョクが落ちて、外からの菌に抵抗できなくなるらしいの。おばあちゃんからの受け売りだけどね。

「あとこれ、アレンに渡してください」

 おばあちゃんと一緒に作ったクッキーとオレンジピューレ入りのパウンドケーキ、それから庭に咲いていた菜の花を渡すとルシウスさんが申し訳なさそうに眉毛を下げた。

「ありがとう。エマちゃんがお見舞いに来たと知ったらきっと喜ぶよ」
「たぶんイヤそうな顔をするわ」
「そうそう。でも内心は照れてるんだよ、分かるだろ」
「ええ、もちろん」

 顔を見合わせてくすくすと笑いあった。

「せっかく来てくれたんだ、お茶でもどうぞ。カウンター席で悪いけど」

 そう言って机の上に広げていた本や紙や羽箒をささっと端に寄せてくれた。ルシウスさんがお茶を入れに行く間、わたしはイスに座って待つことにする。柱にかかっているフクロウ時計、時々こっちを見ている気がするわ。

「お待たせ、グリーンティーだよ」

 白いティーカップに満たされている深い緑色の液体。初めて見るわ。どきどきしながら口をつけると、渋さのあとに甘さが残った。味は薄いけどおいしい。

「ふふ、お口にあったかな? アレンと旅をした東の国で買い求めた茶葉なんだ。この深い緑色をアレンがとても気に入ったんだよ、自分のエメラルドの瞳にそっくりだって」

 半分残っているグリーンティーをのぞき込むと、たしかに、エメラルドみたいだわ。

「アレンとルシウスさんはいつから旅をしているの?」

「三年前、アレンが七歳のときからだよ。じつはアレンはレイクウッド王国のいい家柄の子どもで、ぼくは魔法の家庭教師として雇われたんだ」

「もしかして貴族? エドガーがいつも自慢しているわ。貴族貴族って」

 ルシウスさんは「まぁそんなところ」と目を細める。

「出会ったころのアレンはひどい癇癪持ちで、気に入らないことがあるとすぐ怒って手あたり次第魔法を使うような乱暴者だった。ぼくも家の人間も何度石にされたことか……」

「それはアレンが悪いんじゃないわ!」
 思わず机をたたいて立ち上がってしまった。

「アレンはとっても優しい。イライラしていたのは寂しかったからよ。きっと、自分のこと分かってくれる人が欲しくて……」

 我慢できずに叫んでしまったけれど、ルシウスさんのびっくりしたような顔を見て急に恥ずかしくなり、そっと座った。

「ご、ごめんなさい」

 あぁわたし、どうしてこんなにムキになったのかしら。でも、違うって言いたかったのよ。アレンは自分の気分だけで人を傷つける子じゃないってことを。

「ううん、エマちゃんの言うとおりだよ。アレンの魔力はぼくよりも強い。強すぎる魔法に手を焼いた家の人たちに頼まれて仕方なくアレンを連れて旅に出たんだけど、想像以上に楽しかった。北極星を見に行ったり、ゾウの群れに追いかけられたり、テントを張って野宿したり。アレンは文句言いながらもぼくを助けてくれた。優しい子だよ」

 グリーンティーを見つめるルシウスさんの目はとても穏やか。アレンはいい人と出会ったのね。なんだかわたしまでうれしくなる。

「――でもね、もうすぐ終わりなんだ」

「終わり? 終わりって!? アレンはどこかに行ってしまうの?」
 胸の中に冷たいものが走る。

 ルシウスさんは悲しそうに瞳を伏せた。

「家の人との約束で、十歳になったら帰ることになっているんだ。この街が最後」
「そんな――」
 いやよ、と心が叫んだ。


 せっかく仲良くなれたのに、いなくなってしまうの?


 ここからレイクウッド王国は船で何日もかかる。簡単に会いに行ける場所じゃない。手紙を書いても届くまで時間がかかるわよね。――あぁわたしが空飛ぶ魔法を使えたらひとっとびで会いに行くのに。

「エマちゃん。きみとアレンがコソコソしているのは知っているよ。でもいまはなにも言わないでおく。残り少ない時間、アレンには楽しい思い出をたくさん作って欲しいから」

 ”思い出”。そんな言い方しかできないの。

 どんな理由があってもアレンを家から追い出した人たちじゃない。そんな人たちのところに戻らなくちゃいけないの。


「わたしも魔法が使えたら良かったのに……」

 そうすれば、アレンを助けてあげられるかもしれないのに。

「――エマちゃん」
 立ち上がったルシウスさんが頭をなでてくれた。その目は、怖いくらい真剣。

「あのね、エマちゃんはもう立派な魔法使いなんだよ。きみ自身が知らないだけで」
「どういうこと?」
 わたしが魔法使い? だって魔法なんてひとつも使えないのに。

「知りたいかい?」
 それはもう。知りたくてたまらない。わたしは首が痛くなるくらい何度もうなずいた。

「じつはね……」
 息を呑んでルシウスさんの口が動くのを見ていたら、

「おい、なに内緒話してるんだ」

 突然扉が開いてアレンが現れた。いきなりだったからわたしは腰を抜かしそうになり、ルシウスさんは本をひっくり返してしまった。

「アレン、起きてたのか!?」

「店にだれか来たら分かるように見張りのフクロウがいるだろう。どうせエマだろうと思ったけど書庫に来ないから迎えに来てやったんだよ」

「なんだそうだったのかー。心臓止まりそうだった」

「ったく。こんな情けないやつとなにを話してたんだ、エマ」

「えぇっと……」
 さっきのことを話してもいいのかとルシウスさんを見上げると、思わせぶりにぱちんとウインクされた。

「じゃあぼくは夕飯の支度をはじめるよ。アレン、薬をもらったから食後に飲もうね」

「げー」

「エマちゃんゆっくりしていってね。それじゃ! 『煙の魔法』」
 煙みたいに……というか本当にまっしろな煙になって消えてしまった。いちいち魔法を使わなくてもふつうに出ていけばいいのに。

「これ、エマが持ってきてくれたクッキーだろ」
 アレンはつまみ上げたクッキーにかぶりつく。「うまい」と頬をあげた。

「あ、昨日はありがとう。体はどう?」

「一日寝れば元通りだよ。クッキーもっと食べていいか」

 よっぽどお腹が空いていたのか、持ってきたクッキーを全部食べてしまった。指先までなめるくらいだから、もうだいじょうぶそうね。

「ごちそうさま。うまかった」

「どういたしまして」

「じゃあ、いくぞ」

 端に置いてあった本を担ぎ上げたアレンはすすんで書庫に入っていく。いつものように書見台において手をかざしたところで、不思議そうにわたしを見た。

「どうした? いくんだろ、本の中」

「……うん。でもその前に聞いてもいい? もうすぐレイクウッド王国に帰ってしまうってほんと?」


 アレンの顔色が変わる。

「ルシウスか! あいつ、余計なことを」

「やっぱり。だから学校には通わなかったのね」

 事実だと分かるとさっきより胸が痛くなる。

 アレンがいなくなったら、きっとさみしくて泣いてしまう。いまでももう涙が出ちゃうんだから。
 ぽろぽろと泣きだしたわたしの前で、アレンは心底困った顔でおろおろしている。ごめんね、わたしだって泣いて困らせたいわけじゃないのよ。勝手に涙が出てくるの。

「言っておくけど、おれは一度も家に戻りたいなんて思ったことはないぞ。父親は仕事が忙しくて無関心だし、新しい母親はやたら口うるさい。魔法がうまく使えないことを周りは笑うし、いい思い出なんてひとつもない。でもワガママ言って困るのはルシウスだから、それだけは、イヤなんだ」

 恥ずかしそうな小声だったけれど、きっぱりと告げられた言葉に、わたしの涙がぴたりと止んだ。

 アレンはとっても優しくて、思いやりがあって、我慢強いのね。ルシウスさんを悪者にしないためだけに戻る覚悟をしたのね。


 えらいわ。
 わたしだって泣いて引きとめられたらいいと思うけれど、そんなことをしたら、アレンがもっと苦しくなっちゃう。

 だから、涙をふいて、腕を上げた。

「いきなり泣いてごめんなさい。いきましょう、本の中に」
「……うん。ありがと、エマ」
「なんだかアレンにお礼を言われると恥ずかしいっ」
「ち、失礼なやつ」

 ふたりの腕が重なって光が満ちてくる。
 本に吸い込まれる寸前、アレンがつぶやいた。

「旅の最後をカナリア島にしたいと言ったのはおれなんだ。ルシウスが『きみのお母さんエレノアはこの島で生まれ育ったんだよ』って教えてくれたから、見てみたかった」

 エレノア? 待って、その名前、どこかで――。
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