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空は遠く 49
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成瀬家とは家族ぐるみの付き合いで、当初幼稚園に通っていた鳥居の娘が今年大学に入ったくらいだからもう十五年以上になる。
実は佑人が中学の時、例の事件があって間もなく、長年在籍していた事務所を美月は辞めた。
事務所の社長は美月を庇い、フォロウしてくれたのだが、美月は事務所に迷惑をかけたくなかったらしい。
事務所からの独立の際も、事件絡みで美月が追い出された云々とマスコミがあることないこと騒ぎ立てたが、実際は、社長は美月の独り立ちの手助けをした上、鳥居も一緒に行けと言ってくれた豪快な男だ。お陰で前の事務所とは未だに交流もある。
佑人はそんな諸々のことも自分に責任があると思っているから、二度と母親を矢面に立たせるようなことはしたくないのだが。
「はじめまして、佑人の母でございます。佑人がお世話になっております。あの、ちょっと風邪を引いておりまして、マスクで失礼いたします」
ただ、ホームドラマから時代劇、サスペンスドラマにCMと、コンスタントにテレビや映画に出ている母は、声や特徴的なしゃべり方からも渡辺美月とわかるかもしれない。
「成瀬は、志望校としてはT大、K大、W大でいいんだな?」
美月のことばかり考えていたので、加藤にそう言われて答えるまでやや間があった。
「あ、はい」
「今現在の成績を維持すれば、志望校はどれも合格ラインで問題はないと思います。塾には行っていないんですね?」
美月に向き直って尋ねる加藤に、「ええ、ずっと家庭教師をお願いしております」と美月は答える。
面談は成績のことや志望校について、穏やかに進んでいた。
「ところで成瀬さん」
加藤がそう言ったところで、美月のバッグの中でマナーモードの携帯がブーブーいっているのが聞こえてきた。
「あ、どうぞ、電話、かまいませんよ」
なかなか切れようとしない携帯に、加藤が気をきかせた。
「申し訳ございません、じゃ、ちょっと失礼して……」
美月は席を立って、窓際に離れてから携帯を取り出した。
「賢ちゃん、どうしたの?」
話しにくいらしく、マスクを取った美月は、「え、ウソ、それってもう撮ったじゃない?」と最初は小声で話していた。
「撮り直しってどういうことよ? え? 何? 香坂智成が事故?!」
香坂智成はCMにもよく出ている上り調子の人気若手俳優だ。
本人はつい事の重要性に一段と声を上げたのだろう、狭い部屋だから話の内容は佑人にもわかったし、加藤にも聞こえたはずだ。
「わかった、今夜、六本木ね? 仕方ないわ、ええ」
電話を切って戻ってきた美月は今の電話の内容に気を取られてマスクをするのを忘れていた。
「失礼しました」
「いいえ、大丈夫ですか? お仕事の方」
「ええ、すみません、大丈夫です」
「では、成瀬さん、少しお話したいことが。成瀬はここまででいいよ」
何だろう、と佑人は担任の顔を見た。
表情は変わらないから、美月のことを知らないか、あまりテレビなど見ないのだろう。それはいいのだが。
会議室を出た佑人は気になって振り返ったが、仕方なく教室に戻る。教室には啓太と母親、それにまだ力がいた。
「こんにちは。まあ、あなたが成瀬さん? うちのバカ息子がお世話になってまして」
小柄な啓太の母親はやっぱり朗らかそうだった。
「いいえ、こちらこそ」
「こんなのを入れてくれるような学校、あるかどうか。かといって、就職ったってそれこそもっと無理そうだし」
啓太の母親は諦め口調でそんなことを言う。
「何だよ、こんなのの親のくせしてよ!」
啓太が言い返したところで、前のドアが開いて美月が顔を出した。
「すみません、高田さんですか? お待たせしました」
啓太が立ち上がると、美月は、あら、と啓太とそして力を見た。
「あなたたち、高田くんと坂本くんだったわね? また、遊びにいらっしゃいね」
「はい、またぜひ」
直立して答える啓太の横で、聞き間違いじゃないよな? と佑人は力を見つめた。美月は力を見て、坂本くん、そう言ったのだ。
「佑くん、一緒に帰るでしょ?」
「ああ、うん」
力はわざとらしく顔を逸らして、窓際に立っていた。
啓太と母親が教室を出ると佑人も続いた。
どういうことだ?
「香坂が事故って腰の骨折ったんですって。ちょうど香坂のシーンまだ放映されてないし、急遽代役を立てることになったから撮り直し。それも今夜じゃないとだめとかって、もう、せっかくのオフなのに」
鳥居の運転する車の後部座席で、佑人の隣に座る美月がぼやく。
そぞろ寒い街路樹の間の道を、車は佑人の家へと向かう。
「ごめんね、オフなのに、時間つぶしちゃって」
美月はすると、「何言ってるの」と佑人を見つめた。
「佑くんのことでならもっと時間使いたいくらいよ」
美月は佑人の肩に腕をまわしてちょっと引き寄せた。
「それより、加藤先生、真面目でいい方じゃない? でも、おかしいのよ、さっき何だったと思う? 佑人の身体に痣があるのが、いじめとか受けているんじゃないかって心配して下さったのよ」
「え? ああ、前にもそんなこと聞かれたな」
「そう、本人は本当のことを言えないという場合もあるしとかって言うから、幼い頃から祖父に空手を教わってて、その鍛錬の賜物ですって言ったら、何だ、そうだったのか、って笑ってらしたわ」
美月の言葉を上の空で聞きながら、佑人は別のことを考えていた。
実は佑人が中学の時、例の事件があって間もなく、長年在籍していた事務所を美月は辞めた。
事務所の社長は美月を庇い、フォロウしてくれたのだが、美月は事務所に迷惑をかけたくなかったらしい。
事務所からの独立の際も、事件絡みで美月が追い出された云々とマスコミがあることないこと騒ぎ立てたが、実際は、社長は美月の独り立ちの手助けをした上、鳥居も一緒に行けと言ってくれた豪快な男だ。お陰で前の事務所とは未だに交流もある。
佑人はそんな諸々のことも自分に責任があると思っているから、二度と母親を矢面に立たせるようなことはしたくないのだが。
「はじめまして、佑人の母でございます。佑人がお世話になっております。あの、ちょっと風邪を引いておりまして、マスクで失礼いたします」
ただ、ホームドラマから時代劇、サスペンスドラマにCMと、コンスタントにテレビや映画に出ている母は、声や特徴的なしゃべり方からも渡辺美月とわかるかもしれない。
「成瀬は、志望校としてはT大、K大、W大でいいんだな?」
美月のことばかり考えていたので、加藤にそう言われて答えるまでやや間があった。
「あ、はい」
「今現在の成績を維持すれば、志望校はどれも合格ラインで問題はないと思います。塾には行っていないんですね?」
美月に向き直って尋ねる加藤に、「ええ、ずっと家庭教師をお願いしております」と美月は答える。
面談は成績のことや志望校について、穏やかに進んでいた。
「ところで成瀬さん」
加藤がそう言ったところで、美月のバッグの中でマナーモードの携帯がブーブーいっているのが聞こえてきた。
「あ、どうぞ、電話、かまいませんよ」
なかなか切れようとしない携帯に、加藤が気をきかせた。
「申し訳ございません、じゃ、ちょっと失礼して……」
美月は席を立って、窓際に離れてから携帯を取り出した。
「賢ちゃん、どうしたの?」
話しにくいらしく、マスクを取った美月は、「え、ウソ、それってもう撮ったじゃない?」と最初は小声で話していた。
「撮り直しってどういうことよ? え? 何? 香坂智成が事故?!」
香坂智成はCMにもよく出ている上り調子の人気若手俳優だ。
本人はつい事の重要性に一段と声を上げたのだろう、狭い部屋だから話の内容は佑人にもわかったし、加藤にも聞こえたはずだ。
「わかった、今夜、六本木ね? 仕方ないわ、ええ」
電話を切って戻ってきた美月は今の電話の内容に気を取られてマスクをするのを忘れていた。
「失礼しました」
「いいえ、大丈夫ですか? お仕事の方」
「ええ、すみません、大丈夫です」
「では、成瀬さん、少しお話したいことが。成瀬はここまででいいよ」
何だろう、と佑人は担任の顔を見た。
表情は変わらないから、美月のことを知らないか、あまりテレビなど見ないのだろう。それはいいのだが。
会議室を出た佑人は気になって振り返ったが、仕方なく教室に戻る。教室には啓太と母親、それにまだ力がいた。
「こんにちは。まあ、あなたが成瀬さん? うちのバカ息子がお世話になってまして」
小柄な啓太の母親はやっぱり朗らかそうだった。
「いいえ、こちらこそ」
「こんなのを入れてくれるような学校、あるかどうか。かといって、就職ったってそれこそもっと無理そうだし」
啓太の母親は諦め口調でそんなことを言う。
「何だよ、こんなのの親のくせしてよ!」
啓太が言い返したところで、前のドアが開いて美月が顔を出した。
「すみません、高田さんですか? お待たせしました」
啓太が立ち上がると、美月は、あら、と啓太とそして力を見た。
「あなたたち、高田くんと坂本くんだったわね? また、遊びにいらっしゃいね」
「はい、またぜひ」
直立して答える啓太の横で、聞き間違いじゃないよな? と佑人は力を見つめた。美月は力を見て、坂本くん、そう言ったのだ。
「佑くん、一緒に帰るでしょ?」
「ああ、うん」
力はわざとらしく顔を逸らして、窓際に立っていた。
啓太と母親が教室を出ると佑人も続いた。
どういうことだ?
「香坂が事故って腰の骨折ったんですって。ちょうど香坂のシーンまだ放映されてないし、急遽代役を立てることになったから撮り直し。それも今夜じゃないとだめとかって、もう、せっかくのオフなのに」
鳥居の運転する車の後部座席で、佑人の隣に座る美月がぼやく。
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「ごめんね、オフなのに、時間つぶしちゃって」
美月はすると、「何言ってるの」と佑人を見つめた。
「佑くんのことでならもっと時間使いたいくらいよ」
美月は佑人の肩に腕をまわしてちょっと引き寄せた。
「それより、加藤先生、真面目でいい方じゃない? でも、おかしいのよ、さっき何だったと思う? 佑人の身体に痣があるのが、いじめとか受けているんじゃないかって心配して下さったのよ」
「え? ああ、前にもそんなこと聞かれたな」
「そう、本人は本当のことを言えないという場合もあるしとかって言うから、幼い頃から祖父に空手を教わってて、その鍛錬の賜物ですって言ったら、何だ、そうだったのか、って笑ってらしたわ」
美月の言葉を上の空で聞きながら、佑人は別のことを考えていた。
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