勇者から逃亡した魔王は、北海道の片田舎から人生をやり直す

栗金団(くりきんとん)

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【第3話】不登校の少年と、心配性のいとこ

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右を見ても左を見ても、背の低い植物が生えた休耕地が広がっている。
西日を遮るものが何一つない殺風景な田舎道を、雨宮白桃は自転車で走っていた。あまりの暑さに途中で栗毛の髪を雑多にまとめたものの、うなじには汗が玉となって流れていく。
暑さと疲れに苛立った表情は険しく眉が寄っている。
数分後、ようやく目的地の瓦屋根が目に入る。続けて、こちらに尾を振る柴犬も。
「やっほータロウ、元気してた?」
「ワンワンワン!」
「禅とおばあちゃんはいる?」
砂利道に入りガタガタと籠が揺れる。籠に入れた紙袋を抑えながら自転車を止めてスタンドを下ろすと、犬小屋の前で挨拶を返す柴犬のもとへ行く。
しゃがみ込むと、タロウはすぐに白桃の顔を舐めようと近づいてきた。モチモチと柔らかくよくのびる頬を撫でまわすと、反射的にタロウの舌が出て間抜け面になる。
「タロウ、ちょっと太ったね」
「ハッハッハッ」
「おじさんと狩猟に行っていたころは、もっと筋肉質だったじゃん」
「ヘッヘッヘッ」
「禅のやつ、ちゃんとおばさんの分も散歩しているんでしょうね?」
「クゥン?」
「……ねぇ、タロウ。禅のやつは、ちゃんと食べてる?」
立ち上がって飼い主がいないか探す。縁側を覗き込んで確認するが、干されたままの洗濯物やのびきった雑草があるだけだ。車も見当たらないので、買い物に行ったのかもしれない。仕方なく母屋の扉を開けようとして、インターホンを押す。
手櫛で髪を整えていると、しばらくして突然引き戸が開かれた。
「ひゃっ!?こ、こんにちは!禅!」
「はーい、あれ白桃じゃん。どうしたの?」
中から、下駄を履いた同年代の少年が現れる。
白桃よりも線が細く背が高い。目が合うと、優し気な目元がきゅっと狭まって愛らしい笑顔が浮かぶ。白桃は顔を真っ赤にして、持っていた袋を押し付けた。
「あ、あのさ!ママが禅に桃を分けておいでって!だからその、良かったら貰って!」
「いいの?わざわざごめんね」
「別に!?これ、大きすぎて規格外になっちゃったやつだし!今年は豊作だから!」
「本当?でも、この間も野菜を貰ったばかりなのに」
「……もしかして、桃に飽きちゃった?」
「いやいや、桃は大好物だよ。ありがとう」
「そ、そうよね!そうよね!じゃあ、いっぱい食べて!」
禅はよれた白いTシャツに学校の体操着というラフな姿で、髪には寝ぐせがついていた。
もう夕方だというのに、まるで先ほどまで寝ていたかのようなシーツの跡が頬についている。白桃が知っているいとこの禅は、こんなに自堕落な人間ではない。
「あ、あのさ、最近暑いけど大丈夫?」
「ん?あぁ、タロウのこと?
そうだよね、タロウだってもうおじいちゃんだし。そろそろ、室内飼いにしようかと思っているんだ。タマが出産して落ち着いたらすぐにでも中に入れるよ」
「いや、タロウのこともそうだけど」
「あぁ、おばあちゃんなら僕が見てるから。
冷房もつけて、お茶飲んで、熱中症には気を付けてるよ」
「そ、そうじゃなくて。禅のことだよ!」
「僕?」
「そうよ。あんた、夏休みの宿題だって取りに来なかったじゃん。
夏休み終わったらさ、ちゃんと学校来れるの?体調良くないんでしょ?」
「……」
「あ、ごめん……私、また言い過ぎた」
「……いや、心配してくれてありがとう。
そうだ、良かったら父さんたちにお線香あげてってよ」
「う、うん、お邪魔します」
「そういえば、洗濯物干してたんだった。僕、ちょっと入れてくる」
 仏壇の前に正座して、ライターで線香をつける白桃。香炉の横には彼女のおじ夫婦と子供たちが映った写真と、おじが好きだったおつまみが供えられていた。白桃が慣れた手つきで手を合わせるのを横目に、禅は雨でもないのに足早に縁側に下りていく。
洗濯物を全て室内に入れ終えると、空は暗くなり始めていた。山に囲まれたこの地域は、都市部や海岸と比べて日没が早い。西日が射したと思えばあっという間に夜になるのだ。
白桃の背中を見て、禅は何気なく空を見上げる。頭上には星が見え始めていた。
「あれは……流れ星?」
 だが、星とは別の輝きを放つものが空を横切っていた。一等星よりも明るく、飛行機よりも速いスピードで等速直線運動をする物体。それは流れ星というより、隕石に近かった。
およそ高度百キロの高さから落下する隕石は、大気の摩擦で表面が過熱され、光と熱を放出する。落下し続けるほど、光はより輝きを増していく。そのうちに大抵の素材は高エネルギーに耐えられず地表に達する前に消滅する。
 だがその『生物』は鉄鋼よりも硬く丈夫な肌と毛を持ち、優れた再生能力を有していた。地表に達した瞬間、爆発音と衝撃波で窓ガラスが震える。室内にいた白桃が悲鳴をあげる。
「きゃっ、何!?」
「うちの畑に何か落ちた!僕、ちょっと見てくる!」
「禅?どこに行くの?私も……」
「白桃はタマと一緒にいて!タロウ、行こう!」
「あ、うん……」
三毛猫のタマは騒がしい人間たちをよそに、日光を浴びて温まった洗濯物の上で丸まる。出産が近づいて膨らんだ腹は重そうだが、ゴロゴロと喉を鳴らして調子は良さそうだ。
それよりも、下駄で飛び出て行った禅の方がよっぽど心配だ。
白桃は同意を求めるように、おじとおばの顔を見る。
「やっぱり、私じゃ禅を支えられないのかな……私じゃ、だめなのかな……」
しばらくすると、禅の声が外から聞こえて来た。白桃が畳み終えた洗濯物を並べて立ち上がるのと、禅が扉を開いたのはほとんど同時だった。
「大変だ!この子、怪我してる!」
「どうだった……って、禅。あんた、また怪我をしてきた動物を拾ってきたの?」
「白桃、タマを僕の部屋に隔離しといて」
「いいけどさぁ、今度は何?犬?猫?それともタヌキとか?」
禅が拾ってきた生物を目にした瞬間、白桃の顔が歪んだ。
「なに、この生き物……熊、じゃないよね?」
「わかんない、畑に倒れてたんだ。、多分、隕石に当たったんだと思う」
「隕石?ね、寝てるの?襲われるんじゃないの?」
「気絶してるみたい、もしかしたら長くは持たないかもしれないけど」
「長くは……?本当に?」
「ワウッ!ワウワウッ!」
全く知らない生物だということだけがわかる。中型犬サイズの黒毛の生物で、顔を埋めていて頭は見えない。全身に赤黒い血液と土埃が付着していて、出血量だけ見れば死んでいてもおかしくはない。なのに、昼寝をする子供のような穏やかな呼吸をしている。
そして姿を見た瞬間、全身に鳥肌が立って寒気が収まらない。元猟犬のタロウが吠え続けているのも気になる。熊かどうかと尋ねたのは、この辺りの山にはヒグマが生息しているからだ。熊の子供は子犬とよく似ている。この生物は、何かがおかしい。
「おばあちゃんが戻ってきたら、すぐに動物病院に連れていって……あれ?」
「な、何!?ひょっとして、起きたの!?」
「いや、血が止まっている。おかしいな、さっきまで出血していたのに」
「ねぇ、それ、何か変だよ。絶対やばいって……元いた場所に戻した方がいいよ」
「うん、もちろん。怪我と病気が治って健やかに生活できるようになったらね。
それまで、うちで看病するよ。まだ子犬か子猫だろう?かわいそうじゃないか」
「かわいそうって……私にはそうは見えないわよ」
それを哀れな生物だと思っている幼馴染もまた、不気味に覚えてならない。
真っ白なシャツが汚れるのも気にせず、息を切らして連れ帰って、相手は言葉も通じない動物なのに、身を粉にして助けようとする。
祈生禅という人間は、昔からそうだった。
タマもタロウも山に捨てられているのを拾われてきたり、同族から仲間外れにされているのを助けられたりしてこの家の一員になった。禅の優しさに白桃が惹かれたのも事実だ。
だが、今回ばかりは同意できそうにもない。
「……気持ち悪い」
「え?何?ごめん、何て言ったの?」
「私、今日はもう帰るね」
「あぁ、そっか。暗いから気を付けてね」
「……」
「白桃、今日はありがとう。また来てね」
「うん……また、来るよ」
見送ろうとする禅を一瞥して、白桃は逃げるように祈生家を出た。
自転車のスタンドを上げて全力でペダルを漕ぐ。一刻も早く一秒でも早くその場を離れたい、あれが目覚める前に。その時は、ただただその気持ちでいっぱいだった。
それが、魔王を殺す二度とないチャンスでもあったとも知らず。
再び白桃が祈生家を訪れたのは、事件から二週間が経った頃だった。
「こんにちはー、雨宮ですけども」
「あらぁー、モモちゃん!よく来たねぇ」
「おばあちゃん、こんにちは。禅は?いる?」
インターホンを押しても反応が無く、扉を開けて中に入ると割烹着姿の祖母がいた。
歓迎するような笑顔に、白桃はほっとする。以前この家に充満していた嫌な感覚や血の匂いはすっかり消え失せ、おばあちゃん家特有の懐かしい匂いがする。タロウは犬小屋の中で昼寝をしており、タマは縁顔で日向ぼっこをしていた。
「禅なら山菜取りに行ったよぉ、モモちゃんも昼飯食べてくかぁ?」
「いいの?久々におばあちゃんのご飯食べたいなぁ」
「もちろんいいよぉ、好きなだけお食べぇ」
「ふふふ、ありがとう。私も準備手伝うよ」
旅行の土産を玄関に置いて夕飯の手伝いを始める。祖母が用意していた茶碗にご飯をよそい、味噌汁をつぎながら、土産話に花を咲かせる。白桃は久しぶりの旅行に二人も誘ったが、祖母は足腰が弱く移動が辛いため、禅は気が乗らないためと断られてしまった。
祖母はともかく、禅については雨宮家に遠慮をしたのだろう。
「東京旅行、どうだったぁ?」
「そりゃもう楽しかったよ!
スカイツリーと浅草に行ってきてね。雷おこしも食べたんだ。
お洒落な人がいっぱいいたし、外国の人も多かったなぁ」
「そうかそうか、それは良かったなぁ」
「ただいまー!」
「おぉ、帰ってきた。禅!山菜取れたかぁ?」
「まぁまぁかな、多分、足りると思うけど。あれ?白桃来てる?」
「おじゃましてまーす。あのね、お土産持って来たから……あれ?」
よそったばかりの茶碗を机に並べていた白桃は、違和感を覚える。おかずも白米も味噌汁も、全て数が一つ多い。祖母、禅、白桃、そしてもう一人の分が用意されているのだ。
数え間違いだとしたら、認知症の兆候かもしれない。
白桃は一つ多い味噌汁を持ち上げながら、そんなことを考えてキッチンへ振り返った。
背後から、音もなく近づいて来た存在がいるとも知る由もなく。
「ねぇ、おばあちゃん。一人分多いぎゃぁ!?」
「良い匂いがする」
「わ、わっ……えっ、綺麗な顔……」
 背後に面識がない人物がいることに驚き、次にその人間の顔に驚いて目を見張った。
まじまじと見ても陶器のように均一な肌に小さな顔、猫のようなアーモンドアイと鼻筋の通った整った顔立ち。
東京でも滅多に見ない、こんな田舎ではまずいない美人がいた。
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