願わないと決めた

蛇ノ目るじん

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1 宵闇の密事

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 大きなその手が、見た目にそぐわず繊細に慈しむように撫でてくれるのが、甘いばかりでなく時には厳しく色々な事を教えてくれる時間が、特に好きだった。

 どこか近寄りがたい威厳さえ漂わせて誰に対しても憶さない、腹違いの長兄。
 どんな誹謗中傷にも決して激昂せず、着実に基盤を整え、結果を示し、支持者を増やす手腕は正しく次代の王に相応しかった。

 王として立つその人のすぐ横に沿うことは叶わないとしても、その治世を守ることに尽力し、そして時に自分へ笑いかけてくれるのならば、それ以上は望まなかった。
 人間というのは幸福を知ればどんどん欲深くなるのは知っていたから、それ以上を望みはしまいと。


 それなのに、嗚呼、それなのに。
 私は、俺は、所詮は愚かで欲に塗れた、どこにでも居るようなずるくて情けない、ただの男だった。





 彼は、いつも頑なに声を殺す。
 その理由を聞かれて彼は、可憐でも美しくもない男が声を上げても気持ちが悪いだけだろう。と小さく笑った。

 定期的に欲を発散させるだけの間柄に、それ以上踏み込むのは無粋というもの。
 そう取り決めたのは他ならぬ自分自身で、あれこれいう資格など無いことは解りきっている。
 しかし、それまでは芳香豊かであった茶がひどく苦いものになって飲めなくなったのは記憶に新しかった。


「ッ、食いちぎられるようだ。どうしました、まだ足りませんか?」
 意図して彼を嘲笑うような言葉を吐いて、穿った自身をぐるりと回せば、彼は一声だけ堪えきれずに啼いて、そのままぐうっと唇を食いしばる。
 四つん這いで敷布を皺が寄るほどに握り締め、声を殺す様はどこか、親からの折檻に耐える子供のようだ。

 折檻。自分で形容して嗤った。
 あれがそんな高尚なものであるものか。
 あれはただの狂気。あれはただの妄執。
 愛を騙った、単なる狂妄。

 女も男も見境なしの漁色家で知られた父王には、王子・王女として認知し継承権を認めただけでも、両手両足の指を全て用いて足らぬほどに子供が居た。
 その中で長兄は、継承権を認められた子供達の中では最も身分の低い女を母として生まれた。そのすぐ下には王妃が産んだ王子がおり、本来ならば第一継承者として認められるはずもない立場だ。
 しかし、その王妃の息子は成人できるかどうかも危うい病弱で、また当時の父王には男児が他に居なかったため、長兄も王太子候補に指名されたのだった。
 結果的に、父王には継承権のある王子が七位まで出来たのだが、次兄が病弱を理由に放棄したことで、長兄の独擅場となった。王女にも継承権はあるがよほどの例外を除いて継承順位は、王子の後に準じるので。
 その背景には、既に発揮されつつあった手腕や、三、四番目が傀儡にするにしても玉座には不相応な愚かさだったことなどが挙げられるが、彼の亡き母の存在が大きかったらしい。楚々として臆さず、後宮の規律は乱さなかったが、侍女として培った毅然とした姿勢を最期まで崩さなかったその女は、父王にとって特別な位置にあったようだ。
 性差はあるが、その容貌と気性をよく受け継いだと言われる長兄への態度は、昔から他の子供と一線を画していた。

 その寵愛が、いつから道を外れたのかは知らない。事が露見したとき、先王は既に精神の均衡を欠いていた。
 長兄をその母の名で呼び、短く整えていた髪を伸ばすよう強要し、かと思えば国王として公的な意見を王太子に求め。時に寝所へと引きずり込んだ。そうして坂を転げ落ちるように悪化し最後は、王太子を連れて後宮に引き籠もり一ヶ月あまり。そこで、最期を迎えた。
 それまで、色好みが過ぎる以外は周囲の者達の助力もあって比較的まともだった治世を、国を、先王は……あれは、僅か数ヶ月で砕いて捨てた。
 国民や国土を疲弊させる事態にはさせまいと心砕いた者達の奔走を嘲笑うように、王太子をその立場から奪い、継承争いの暗雲を呼び寄せた。

 あれと同じ血が自分にも流れているかと思うと、吐き気がすると同時に、忌々しくも合点する。理解し、あろうことか共鳴してしまった自分に、幼い頃に没した母に最期まで疎まれた理由を見た気がした。


 しなやかに鍛えられた筋肉で覆われた背筋に指を這わせる。
 女の肉の柔らかさとはまた異なる感覚に引き寄せられるように唇を落として、軽く食んだ。途端に波打つその背中が、きつく締める秘部が、憎らしくもいじましい。

 男が後ろから入れられて最も快感を得る部分から、わざと逸らした所を、こちらも痛みを覚えるほどに乱暴に突く。それでも、あれに仕込まれたその体は艶やかな反応を示した。しかし、あるいはだからこそ、彼は絶頂には至れない。
 じりじりとした生殺しの快楽に堪らず晒された喉に巻きつくような、男の身を飾るには綺羅らかで、女に贈るには繊細さの欠ける銀の飾り。それと対になる輪をはめた腕を重ねれば、刺すような痛みが僅かに走る。それは相手も同じようで、濃く淹れた紅茶色の、背の中ばを過ぎるほどに伸びた髪の貼りつく頬が痙攣するように震えた。
 それに構わず髪の房を耳へと掛けてやりながら、私は自分の口元に嗜虐に満ちた笑みが浮かぶのを抑えきれなかった。

「どうして欲しいか仰ってください。でなければ私は動けません。ねぇ、長兄上あにうえ?」
 食いしばられて血さえ滲む唇を愛撫するように、嬲る。その間も続けたゆるゆるとした責め苦に、この最中にあってさえ冴えた色を失っていなかった紺碧の瞳が次第に追い詰められていくのを、今か今かと待ち構えて。
「…………くれ」
 呻くような、微かな声。唇を嬲る手を止めれば、先ほどまでとは異なる戦慄きを指先に感じる。
「頼む。もう、達するのを許しておくれ、アスト」
 羞恥に眦を朱く染めた横顔に、ひどくそそられる。愛称を呼んだ声の甘さに、頭の芯が痺れた。
 長兄からは、普段は色の匂いがしない。かつては王太子として、そして今は私の公には出来ない相談役として。そういったときの長兄は、人間であるという枠を超えて、そういった存在なのだろうと思わせるほどに隙が無い。……否、色の匂いがしない、というのは語弊があるかもしれない。
 ふとした折に色は見えるし匂いは香る。しかし、そのときの彼にとってそれらは異性、あるいは同性を誘惑する類のものではない。相手の目をひき付けるという役割の歯車、その一つでしかない。

 だから、こうして褥で乱れるこの瞬間がとても無防備に思えて、もっと見たいと思う。
 自分では、それ以外のときに彼の無防備な表情を見ることは出来ないから――。


「顔を見せて、今日ぐらいは存分に声を聞かせてください。たまにはよろしいでしょう?」
 前触れもなく彼の蕾から自身を引き抜き、それに驚いている隙に四つん這いの体勢から向かい合うに近い状態にする。自分よりやや体格の良い相手を好きなように動かすのは、さすがに難しい。
 上から圧し掛かり、目を見開いている彼の頬に口付けを落とす。
「解せないな。こんな男の喘ぎなど聞き苦しいだけ、うあ……ぐ、ぁあああ゛っ」
 つれない事を言う唇に指を数本差し入れ、先走りでしとどに濡れる性器を扱き上げる。
 声を出したくないのなら、私の指ごと噛んでしまえば良いのに。
 口腔内を気まぐれに甚振る私の指に時折当たる固い感触は、力を込めないままに離れていく。喉に嘲笑が篭った。
 だから、甘い。だから、私のような者に付け込まれる。だから、男無しではいられない体にしたあれさえも哀れむ。だから、傍に在りたいと居て欲しいと、願われ願った手さえも振りほどく。

 均整のとれた見事な肢体に所有印を散らし、胸の尖りを執拗に舐め、転がし、時に軽く噛めば、鼻から抜ける様な声が耳をくすぐる。
「はっ、んん……ふ、ん、あぁ」
 暗い優越がゆうるりと心に満ちる。理由はどうあれ、今、彼を腕の中に閉じているのは自分なのだ。
 脳裏に浮かぶのは、現在友好関係にある新興国の王、その背後に常に無表情で控えている青年。あるいは王の名代として陣頭に立ち、完璧に笑みを取り繕って動かさない姿。あれも、一種の無表情だろう。まあ、自分もあまり人の事を言えた義理ではないかもしれないが。
 元々は留学生としてやって来て、祖国で生きたよりも長い時間をこの国で過ごした若者。長兄が、ごく近しい身内や配下の官吏以外に私情を見せた、唯一の相手。
 どこもかしこも色素が薄く、幻のように淡い姿の中で唯一、その瞳だけが炎の中でられる刃のようだった。自分とさして年は変わらないはずだが奇妙に中性的な容貌の中で、そこだけは紛うことなき男のものだった。
 そこに込められた激情の名は、私もよく知っている。

 性器をぎりぎりまで追い立てた後で達することは許さないまま、足を広げてその間に体を割り入れる。先走りに塗れた指を今度は空いているもう一方の乳首に添え、そのまま転がした。
「意地、の悪いっ」
「あなたが、声を出したがらないからです」
 どこか物寂しげにひくつく媚孔に再び己の性器を埋め込み、上と下から同時に刺激を加える。大きく跳ねる体を組み敷き、離さない。
 達しそうになれば動きを止め、波が僅かに引いたところでまた再開し。そんな事を繰り返して、強情な彼をさらに追い詰める。
 彼の芯となっている、王族の矜持が打ち倒されるまで。


「出す、出すから許せ」
 今にも泣き出しそうに震えるその言葉を、待っていた。

 口から指を引き抜き、律動を開始する。ぐちゃぐちゃに掻き回して奥の奥まで犯せば、先ほどまでとは比にならない声を上げて、達した。その絶頂に伴う絞り込みにこちらも暴発しそうになるが、まだ早い。
「ああああぁぁ、ん、はあっくっ……アアァッ」
 時々唇を噛みそうになっていることに、完全に理性を飛ばせてはいないかという苛立ちが気泡のように湧くが、快楽に蕩けた瞳で辛うじて溜飲を下げる。
 唾液でほとんど流れ落ちているが、程よい厚みのある唇に、うっすらと残る血の紅。
 そこへむしゃぶりつきたくなって、行動に移す直前でどうにか視線を逸らした。

 快楽と、それ以外が感情というよりも咆哮となって口を衝きそうになるのを堪えながら、何度も何度も腰を叩きつける。やがて迫ってきた射精欲に突き動かされ、目の前の体をかき抱くと、そのまま奥へと放った。



 まき散らされた欲の臭気が充満した室内に、二つ分の荒い呼吸だけが響く。
 長兄は、きつく回した腕に応えることは無かったが、拒みもしない。
 それはただの許容であり、ただの慈愛。弟に向ける、身内の情の枠を出ないもの。

 与えられないよりは、よほど恵まれていると知っている。
 始まりが自身の「懇願」だった負い目もあるのか、何くれとなく気を配られていると知っている。
 しかし、抱けば抱くほどに願っていた距離から離れていく心が虚しい。

 荒く乱れていた呼吸が次第に整ってきたところで私が腕を緩めると、その体はするりと褥を抜け、床に放り投げられていた寝間着に袖を通した。そのまま、無造作だが優雅な仕草で寝台の脇に据えられた小卓に置かれた呼鈴を鳴らす。
 やけに大きく聞こえるその音の余韻が掻き消えるより早く、侍従や侍女がずらりと入室してきた。
 彼らに何やら告げると、長兄はふと私を振り返る。
「では、また朝にな。アストロード」
 そう言って立ち去るその後姿に上着を着せかけると、侍従達は深々と丁寧な礼をして見送る。そして一際早く立ち戻った者達から私の世話を始める。寝台から出てきた私に肌着と簡素な上着を着せ、湯殿へと導く姿に続いて部屋を後にした。

 体を清められて寝間着をまとい部屋に戻れば、寝台は元のように清潔に整えられ、安眠を促す香がたかれている。
 先ほどまでの狂乱の一時を匂わすものは、どこにも残っていない。
 いつものことだ。今更なにも思わない。

 枕辺に一つ残された灯りを落として褥にもぐれば、眠りは程なく訪れた――。
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