EDGE LIFE

如月巽

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Rest.02

世に残った者達のはなし。

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── ねぇ、疾風。
         私ね、すごく幸せだったよ。
         あなたにそんな顔似合わないから、笑って?
         どうか生きてね。
         生きていれば、そのうちまた良いことあるわ。



 季節の移り変わりを報せる長雨が続いていたが、今日は雲も切れて青空が広がっている。
「夢枕に立つなら良いモン見せてくれねェかい、伊純サン。あんなん目覚めが悪すぎるっつの」
 墓の掃除を終え、水鉢へ置いたロケットペンダントに映る妻へ愚痴を零しながら、彼女が好きだった花達を二束に分けて飾る。
 陽光は初夏の熱を帯び、薄く浮く汗をタオルで拭ってから線香へ火を点け、香炉へ供えて右腕に付けた腕時計を見てから手を合わせる。


三月十七日 午前十一時二十五分  新堂 伊純の命日


 暫く祈りを捧げて目を開き、穏やかに笑う伊純の写真の前で煙草を咥える。
 すっかり慣れてしまった甘いフレーバーシガレットだが、元々は普通の煙草を吸っていた。
「煙のにおいは嫌」と彼女の忠告を受けてから銘柄を変え、隣から居なくなった今もまだ変えられずにいる。
 煙を燻らせ、朝に作ってきたサンドイッチと疾斗の淹れたコーヒーを紙製のコップへ注いで供物台へ一度上げる。
 料理はおろか、コーヒーを淹れるだけでキッチンを大惨事にしていた彼女は、疾風が作る料理を食べては喜び、時々部屋へ帰ってくる疾斗が淹れるコーヒーで一息つく事を楽しみにしていた。
「…もらうぞ」
 吸殻を携帯灰皿へと片付け、供えた事で少々温くなったサンドイッチを口へ運ぶ。
 野菜の水分を多少吸ってしまったそれは、味はそれほど悪くないものの作った時ほどの美味さはない。熱が抜けたコーヒーもまた同じく、淹れたてと比べて香りが飛んでしまっている。
 眉を寄せながらそれを平らげて息を吐くと、新たな一本を取り出して唇で遊ばせる。
 能力末期代償で肉体さえも殘らずに逝った者が、六道輪廻に還るかは知らないが、居るのであれば今の食事を楽しんでくれたのだろうか。
(……ガラじゃねェな)
 自らの思いに苦笑し火を入れ、甘苦いフィルターをゆるく噛む。
 穏やかな風にバニラの香りを漂わせ、半分ほど灰に変えた所で水鉢ロケットを取り閉める。
 吸い切っていないそれを香炉へ供え、車に戻ろうと顔を上げれば、人影が此方へと向かってくるのが見え、逆光の影に隠れた表情を確認しようと目を細める。
 徐々に見えてきたその顔は記憶に新しく、疾風は墓石の裏へと屈み込みその長身を隠した。
「あら…お隣もお参りだったのかしら」
「そうっぽいね、花の量すごくない?」
「ふふ、本当。故人がお花好きな方だったんじゃない?」
(…勘弁してくれ)
 声の主は隣の墓所へと入ったのか、会話を交わす声が近い。反射的に隠れてしまったために立ち上がる事も出来ず、それが出来たところで相手から見たら不自然すぎる出現に訝しむだろう。
「早いね。お父さん居なくなってもう四十九日経つんだもん」
「そうだな。忙しかったから、あっという間だった気がする」
(……もうそんなに経ってたか)
 盗聴の趣味は持ち合わせていないが、片手で日数を指折り数えて五回目復路の人差し指を立てれば、黄泉旅の終わりを告げる日付は確かに今日を示す。
 その行動は明らかに不審者じみていると頭では思うが、動けない上に近い場所にいる以上どうにもすることができない。
 力を使えば墓石越しに向こう側の様子を確認することは出来るが、故人へ祈る様子を覗くのはどうにも気が引けてしまい、隣に眠って居るであろう男の遺族が帰るまで息を潜めた。
 他に人が来ない事を祈りながら墓石に背を預け、三人の他愛ない話と水を流す音を背越しに聞く。
 予想外の空き時間を潰そうと携帯端末の画面に指を滑らせてニュースを流し見れば、飛伽組組頭の現在と他都に置かれていた支部構成員の一斉拘束の様子が画像に写されていた。
(おーおー、赤髪がすっかり白くなったもんだ。来月の喚問召喚状来てたけどどうすっかなぁ……)

 状況説明のための喚問には既に二回応じているのだが、飛雅は疾斗に魅せられた白昼夢が脳髄へ貼り付いているのか、疾風の姿を見るだけで声を詰まらせて何も話せなくなってしまうまでになっていた。
 どんな悪夢を灼きつけたのかを訊ねたものの、弟はただ一言「さぁな」と答えて笑うだけで何も言わず、男に脅えられる理由は今だに分かっていない。

(出来れば疾斗にも来てもらいたいトコだが……無理だろうな)
 表情に出ない上に感情の起伏も激しくはない、普段は心情に左右される事なく理知的に能力を行使する人間が、後遺症が残る程の心傷を負わせる夢を魅せたのだ。
 内容は解らないが、能力に影響させる程に飛雅へ相当腹を立てていた、ということなのだろう。
(野郎の場合は欲しい物を奪いに奪いまくって招いた結果だからな、自業自得だ。ただ…)

こっちの結果はあまりにも予想外だったが。

 煙草を咥えつつ遺族がいるであろう方向の空を確認すると、線香の白煙が薄く舞い上がっている。
 人の動く気配がまだあるのを感じ取り、取り出していたライターを手中で遊びながら墓石に頭を預けて天を見上げた。
「……ねえお母さん、お兄ちゃん」
「なに?」
「………お父さんの知り合いに酷いこと言ったの、怒るかな…」
 葬儀の日の罵声とは反対に、悄気ているような細い声が母達へ問う。
「どうして?」
「…もし私達が依頼してたら、お母さんも帰ってこなかったかもしれなかったんだもん」
「美雨…」
 答えに詰まっているのか、どちらかが敷石を踏む音は迷いを奏で、妙な緊張と沈黙が訪れる。
 違和感しか感じられない空気に疾風も息苦しさを覚え、音を立てぬようゆっくりと息を吐く。
 短くも長い時が流れ、ジワリと汗が滲む感覚に眉を顰めていると、人が動く気配を感じた。
「親父のことだから、笑ってるんじゃないか?」
「へ?」
 青年の意外な答えに声を上げた娘につられ、物音を立てぬように動き、墓石の背から少しだけ顔を出して三人の姿を見る。
 唐須間の墓の前、驚いて固まっているらしい娘の頭を青年がワシワシと撫で、その様子を綾果が微笑みながら見つめている。
「『また勝手に怒って凹んでんのか?仕方ねーヤツだな』なんて、指差して笑ってるって」
「そうね。いつもみたいに笑って『後で謝りに行けよ』って言ってると思うわ」
 出されたた答えに呆気に取られているのか、娘は崩れた頭を整えることもせずに母と兄を見つめる。
 しばらくの間二人を見たのち、墓の方へと向き直った娘は、しゃがんで再度手を合わせた。
「……まだ正直、あの日会わせてくれなかったのはムカつくんだ。悔しいし。けど、当たるのは違ってた」

落ち着いたら、ちゃんとあの人に謝るね。

微かに声を震わせて、娘は父の墓前で呟いた。





──────────────





 頼んでいたアルバイトは時間丁度に帰っていったのだろう、管理室の受付には既にカーテンが引かれている。
 管理ノートの確認を明日に回し、疾風は吸いきった煙草のフィルターを噛みながらエレベーターへ乗り、マスターキーを通して認証スリットへ指を滑らせる。

 溢れる感情を音へ変えてぶつけた娘は、日に日に押し寄せてきた後悔に苦しめられていたのだろう。
 あの日の言葉は的を射ていただけに、疾風自身は彼女に対しての嫌悪は微塵も感じていなかったが、彼女にはそういう訳ではなかったらしい。

(…別に謝るこた無ェけどなぁ)
 階数ボタンを押す事なく動き始めた個室の中、娘の墓前での呟きに天邪鬼になる。
 先代ならばあの場を上手く立ち回ったのだろうか、と目を閉じ、記憶の彼方に残る姿を思い浮かべてみるが、自分や疾斗へ背を向けた先代が此方を一瞬見て笑う姿が浮かぶだけで、何も思い出せない。
(…そういやあの人も自分の後始末は見せなかったな)
生死が解らぬ人物に思いを馳せた所で大した解にはならないと言う事なのだろうか。
 自宅階で止まったエレベーターの振動を感じ、目を開いてため息を落とす。
 カードキーを挿し込めば小さな信号音と同時に鍵が開く。重い気分のまま扉を開くと、リビングに向かい掛けた疾斗が此方へ振り向いた。
「おかえり」
「おぅ。部屋に居るかと思ってた」
「腹減ったから休憩に。丁度コーヒー淹れたところだが」
「ああ、頼む」
 黒のチノパンとドレープシャツに白灰のロングカーディガンを羽織ったラフな格好で出迎えた弟の後ろを付いてリビングに入る。
 珍しく此方の部屋でプレイしていたのか、テレビ画面には森林地帯の様な画面の中央に[pause]の文字が写っており、ガラステーブルにはコントローラーと携帯端末が置かれていた。
 二つのマグカップを運んできた彼からそれを受け取り、再度キッチンに入って行った疾斗を見ながら、癖で取り出していた煙草を箱に戻してソファに座る。
 飾り棚の上、伊純と自分達が映っている写真が入れられたフレームの前には伊純が気に入って使っていたティーカップが置かれ、目を細めて中を見ればコーヒーが注がれている。
(不器用だな…相変わらず)
 普段の休日であれば部屋からあまり出てこない男が此処へ機材を運んで居たと言うことは、今日という日の事と自分に気を遣っていたのだろう。
 ゆっくりと戻ってくる足音に気付き振り向いて見れば、その両手にはトーストが2枚ずつ乗せられており、皿を置きながら向かい側に座った疾斗が薄く笑った。
「おいおい、今日は随分と気が利くんじゃねえの?こりゃ明日は嵐だな」
「俺がパン焼いただけで嵐になるなら天気予報士は要らんな。明日も晴れらしい」
 投げた揶揄に片目を細めて答えた疾斗が、付け合わせを使うことなく一枚目のトーストを齧る。自分も食べようと一枚を手に取ると、僅かに甘い香りが鼻腔をくすぐり、よく見てみれば表面が黄金色に焼けていた。
「シュガートースト…?」
「蜂蜜は無かった」
 呟いた声が聞こえていたのか、ホログラムスクリーンを立ち上げてニュースを見始めていた弟から答えが返される。
 不器用な心遣いに感謝を唱えて齧り付けば、香ばしく焼けた小麦の香りと砂糖の甘さが一つになり、その感覚は無意識に強張らせていた心を和らげてくれる。
 自分が見ていることに気付いている筈だが視線一つすら返さないのは、どんな顔をすれば良いか解らない故なのだろう。
 幼少期から変わらないその癖を笑い、暫くぶりに訪れた二人での穏やかな時間を過ごした。
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