同じ地獄で眠りたい

佐藤シオ

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新月の夜

新月の夜 二

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「おい、なんとか言えよ、キャシー」

 ぎしり、とベッドを軋ませて足が床に伸びていく。意を決してドアノブを掴んだ手に力を込めた瞬間。

 ――コン、コン、コン。

 薄い戸を叩く、確かな音。部屋の中で時間が止まった気がした。先に動いたのは私で、マックスに止められる前にドアノブを下へ押す。背中を押し付けて、倒れてしまわないように片足を引いた。

「……ご予約のお客様だ。準備は?」

 私の体重に導かれて開いたドアの先に立っていたのは、客の案内係の男――確か名前はラオリーだったか――と、その後ろに黒ずくめの男が一人。

 長いマントに覆われた長身のその姿は、暖炉の煤から産まれたのか、あるいは夜闇を人の形に切り取ったのかと思わせるような様相だ。

「……少々、お時間をいただいても?」

 唯一肌が覗いている白い顔を見上げてお伺いを立てるが、男は何も言わずにシルクハットの下で漆黒の瞳を滑らせた。

 光を遮るつばの下のそれは、一切の光も許さないとでも言うかのように底がなく無機質で、本能的な恐怖を煽る不気味さだけを携えている。

「なんだ、お前がご予約のお客様、か。紳士ぶりやがって」

 薄い唇の端が僅かに上がる。マックスには見えていないようだが、一切歪まない大きな目のせいでその微笑みは異質でしかなかった。まるで仮面みたいだ。自分がそれに見つめられていると気がつけば、足元が揺らぐような心地がするだろう。

「すみませんが、ご退室願えますか。キャシーは部屋を早く整えろ」
「おい、待てよ。こいつの予約分、俺に買い取らせろ。倍の金を出す。いいだろ?」

 ラオリーが何かを言う前に、黒い男が部屋に足を踏み入れた。そしてテーブルの上に散らばった硬貨を見て、喉の奥で静かに笑う。

 それがマックスの激情を煽らないとわからないわけでもないだろうに。いや、わざとなのかもしれない。

「……何笑ってやがる。不満があるなら金を出しな」

 明らかに威嚇する色になった声を鼻で笑い飛ばして、男は何処からともなく革の財布を取り出した。そして、隙の無さを表しているかのような革手袋をはめたままの手で器用に硬貨をテーブルに積み上げていく。

「まさか娼館でオークションに参加することになるとは思わず、手持ちは少ないのですが……いやはや、私の勉強不足だ。お恥ずかしい」

 この場に全く似つかわしくない穏やかな声だ。男は喋りながらも几帳面にズレもなく硬貨を重ねる。ここでは見ることの少ない金貨を、一枚、二枚……。

 あっという間にマックスが出した金額など飛び越えて、何倍にも値を吊り上げ続けてまだ止まらない。だと言うのに、その顔には余裕以外見当たらなかった。

「…………そんなにこの女が欲しけりゃ坊ちゃんに譲ってやるよ。ちゃんと童貞を捨てられるよう祈ってるぜ」

 絞り出されたその声は屈辱と怒りに震えていた。無理に強がっているのが透けて見える。自分よりずっと若く見えるというのに自分よりずっと上等な身なりをした男が、平気な顔をして目を見張るほどの金を出してくるのだ。耐え難い思いだろう。

「それはどうも。貴方のご準備が整うまで、私は部屋の外で待たせていただきます」

 男は私の腰を抱いて部屋を出る。ラオリーが手早くテーブルの上の金を回収して戸を閉めた。部屋の中からは何かを殴る音が何度か聞こえて、程なくして服を着て出て来たマックスはこちらを見ること無く足早に去っていく。

 抱き寄せられるままに触れていた男の体からは、重く甘い、気品と蠱惑の入り交じった香りがした。

「……では、どうぞごゆっくり」

 ラオリーは回収した金貨を男の手に握らせ、部屋の戸を開けた。促されるままに私たち二人はその中へ入り、背後で閉まる戸の音を最後に外界から切り離される。
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