同じ地獄で眠りたい

佐藤シオ

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新月の夜

新月の夜 七

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 力の抜けた体は男の手によって薄っぺらい毛布に包まれて冷えたベッドに転がされていた。

 男の方はまたテーブルを支えにして、影にタバコの白い煙をくゆらせて遊んでいる。マントとジャケットはいつの間にかシルクハットとともにコート掛けへしっかり身を寄せており、前を開いたままのベストとシャツから引き締まった体が覗いた。

 首にかけっぱなしの解いたネクタイが随分と人間らしく隙を見せているように思えるが、それでも夜空のような底の知れなさは伝わってくる。

 サスペンダーすらも肩に掛けずだらりと垂らしている様がやけに絵になっていて、ぼんやりした頭で眺めていても飽きないものだ。

 静かに耳を撫でる鼻歌が心地好い。

 娼館には不釣り合いな美しい響きが低く滑らかに部屋の中を浮遊する。

 気を抜けば別の部屋から漏れる声に塗り潰されそうな音量だというのに、それは合間を縫って私の元まで届いていた。聞いたこともない曲だがどこか懐かしい。

 何処の曲だとか好きな曲なのかとか尋ねることも惜しいと感じるほどに、タバコに口をつけている間の僅かな静寂と時折混ざる呼吸音すらも愛おしかった。

「…………流石、娼婦は体力があって助かる」

 私の視線に気がついたらしく、こちらを見下ろしながら目を細めて言葉を零した。普通の客に使う時間の数倍は交わり合っていたというのにまだまだ元気そうだ。止まってしまった音色に名残惜しさを感じつつも頭を回し始める。

「抱き心地は悪くない上反応もいい。しかしまぁ、ふは、随分よがっていたが、演技だとしたら女優になることを勧めよう」
「……見た目によらず、お喋りなのね」
「俺はそんなに無口なつまらない男に見えるか? こう見えて、ようやくお前が返事してくれて心から嬉しく思ってるよ」

 体をなんとか起こし、乱れた髪を手さぐりで整えた。

「……私にも、一本ちょうだい」
「ベッドを燃やすなよ」

 男は新しいタバコを一本取り出し、吸い口をこちらに向けてご丁寧に私の唇のすぐ前へ差し出した。それを咥えてやるとベッドに手をついた彼の顔が近づく。

 タバコの先が触れたのを感じて息を吸い込めば、口の中に柔らかい熱と苦味が広がった。

「なかなか似合う。美人がタバコを吸う姿ってのは見ていて楽しいものだな」
「それ、嫌味?」

 笑う男と同じ煙を転がす。マックスにねじ込まれた舌の味を上書きして、味わい尽くしたそれを物寂しく感じながら吐き出した。

 彼の方はすっかり短くなったタバコを灰皿に押し付け、ゆったりとシャツのボタンを留め始める。一つ閉まるたびに何か特別な宝物が隠されていくような気がした私は、ただじっとそれを見ていた。

 香水の匂いとタバコの匂いが混ざって、甘く苦いその重さが脳を鈍らせる。ナイフホルダーのベルトを巻き直す手に擦り寄りたくなる心を振り払い、私も小さな炎を墓場へ送った。

「殺すなら早くした方がいい。そろそろ客が減り始める時間だから」

 男はジャケットまで身につけると、ベッドの傍で屈んだ。何も言わない代わりに私の手にネクタイを握らせる。深い影の中浮かぶ白い肌にぽっかり空いた深い穴。それを少し覗いた後、そのネクタイを結んでやる。

 結びながら、彼を殺すとしたら今このネクタイで首を絞めるしかなかったのではないかと考える。殺されれば殺し返す覚悟ではあったが、結局形まで整えて手を離してしまった。

「上手いじゃないか。お前はここで少し待っていてくれ。なに、悪いようにはしないさ」

 大きな手が頭を撫でて去っていく。私の返事も聞かずにシルクハットを手に取ると男は部屋から出ていき、ベッドの上の私だけが残された。

 マントが掛けられたままであるところを見るとまた部屋に戻ってくるのだろうが、急に放り出されてはどうすればいいかわからなくなる。今のうちに逃げてしまえばいいのだろうか?

 ――でも、何処に?
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