18 / 21
七日間と少し
七日間と少し 九
しおりを挟む
さて、主人が留守の間に女中がするべきは家事だ。多少の苦労はあるが、娼館での仕事よりずっと気楽で体に優しいそれは案外あっという間に終わってしまう。
後ろ髪を一つに束ねてエプロンを着け、さっさと清掃を終わらせる。道具は揃っているし手順だって教わった。
痛みを訴え始めるかじかんだ指を暖炉の傍で温めながら進めていても昼前には終わる。ドレスの埃も少し払えばすぐに落ちた。
昼食は家にあるものを好きに食えと言われているし、言いつけられた仕事を終わらせれば後は何をしていても文句は言われない。想定以上に好条件で良い職場だ。
蕩けたチーズの熱さに驚きつつパンを齧る。以前食べていた固くてぼそぼそしたパンとは大違いだ。
食器も片付けてしまえば後は夕飯を作る時間まで自由。本当にこんな仕事で給金を貰えるのかと疑いたくものだが、おそらくロバートという男はそんなつまらない嘘をつく人間ではない。
ノートに文字を一つずつ書きながら、ぬるく思考を鈍らせる室温に欠伸を一つ零した。
いっそ寝てしまおうか。
しかし一日でも一時間でも早く簡単な単語くらい書けるようになりたい。何度も手本を見ながら書いたせいでぐにゃぐにゃと線は曲がり一文字一文字がばらばらになった書き取りを改めて眺め溜息を吐く。
ロバートの授業が始まった初日、人に読ませることを意識しろと指摘を受けたのだが、これでは到底人には見せられない。
私の焦りを諌めているのか、教師役の彼は早く覚えて量をこなすことよりそちらの方を優先しているようだったから、この現状は苦しいものだった。
考えた後に席を立ってコーヒーを淹れることにした。朝にあれだけ寝惚けた彼が目を覚ますくらいなのだから眠気には一等効くのだろうと思う。サイフォンを洗うのは少々面倒だが仕方ない。
寝ようとしても結局、眠りにつくまでに一時間は寝返りを何度も打って、どこか収まりの悪い体勢にやきもきする羽目になるのだから。
カップに注いだそれを持ってリビングに戻り、火傷しそうな熱さがマシになるまで勉強を続けながら待つ。ゆっくり、時間をかけながら文字を書いてみるといくらかは良くなった気がした。
ミルクも入れなかったコーヒーは冷めるのに時間がかかる。ようやく飲める温度になったそれを口に運び、なんとか飲み込んだ後に軽く咳き込んだ。
強烈な苦味と酸味だ。いつも彼はこんなものを無表情で啜っているのか。
「…………騙された、わけじゃないけど……!」
行き場のない苛立ちは特に過失も何もないはずの彼に向かう。勝手に自分から飲んだ私が悪いのだけど、彼にとっては平気なのだろうけど、何かが納得できなかった。
意を決して流し込むようにカップ一杯分の漆黒を完飲して、勉強を再開する。
確かに眠気はどこかへ吹き飛んだかもしれない。私は勝った。――何に勝ったのかは、わからない。
後ろ髪を一つに束ねてエプロンを着け、さっさと清掃を終わらせる。道具は揃っているし手順だって教わった。
痛みを訴え始めるかじかんだ指を暖炉の傍で温めながら進めていても昼前には終わる。ドレスの埃も少し払えばすぐに落ちた。
昼食は家にあるものを好きに食えと言われているし、言いつけられた仕事を終わらせれば後は何をしていても文句は言われない。想定以上に好条件で良い職場だ。
蕩けたチーズの熱さに驚きつつパンを齧る。以前食べていた固くてぼそぼそしたパンとは大違いだ。
食器も片付けてしまえば後は夕飯を作る時間まで自由。本当にこんな仕事で給金を貰えるのかと疑いたくものだが、おそらくロバートという男はそんなつまらない嘘をつく人間ではない。
ノートに文字を一つずつ書きながら、ぬるく思考を鈍らせる室温に欠伸を一つ零した。
いっそ寝てしまおうか。
しかし一日でも一時間でも早く簡単な単語くらい書けるようになりたい。何度も手本を見ながら書いたせいでぐにゃぐにゃと線は曲がり一文字一文字がばらばらになった書き取りを改めて眺め溜息を吐く。
ロバートの授業が始まった初日、人に読ませることを意識しろと指摘を受けたのだが、これでは到底人には見せられない。
私の焦りを諌めているのか、教師役の彼は早く覚えて量をこなすことよりそちらの方を優先しているようだったから、この現状は苦しいものだった。
考えた後に席を立ってコーヒーを淹れることにした。朝にあれだけ寝惚けた彼が目を覚ますくらいなのだから眠気には一等効くのだろうと思う。サイフォンを洗うのは少々面倒だが仕方ない。
寝ようとしても結局、眠りにつくまでに一時間は寝返りを何度も打って、どこか収まりの悪い体勢にやきもきする羽目になるのだから。
カップに注いだそれを持ってリビングに戻り、火傷しそうな熱さがマシになるまで勉強を続けながら待つ。ゆっくり、時間をかけながら文字を書いてみるといくらかは良くなった気がした。
ミルクも入れなかったコーヒーは冷めるのに時間がかかる。ようやく飲める温度になったそれを口に運び、なんとか飲み込んだ後に軽く咳き込んだ。
強烈な苦味と酸味だ。いつも彼はこんなものを無表情で啜っているのか。
「…………騙された、わけじゃないけど……!」
行き場のない苛立ちは特に過失も何もないはずの彼に向かう。勝手に自分から飲んだ私が悪いのだけど、彼にとっては平気なのだろうけど、何かが納得できなかった。
意を決して流し込むようにカップ一杯分の漆黒を完飲して、勉強を再開する。
確かに眠気はどこかへ吹き飛んだかもしれない。私は勝った。――何に勝ったのかは、わからない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる