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七、世子
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狩りの結果は、夏月の勝ちであった。
夏月は大きな猪と、それからウサギを何匹か仕留めたが、世子のほうはなにも仕留めることが出来なかった。やはり、落馬した影響が大きかった。
それに加えて、妙な圧力のせいで本領を発揮できなかった。この勝負に負ければ翠月が罰を受ける、それが世子の動きと思考力を鈍らせたのだ。
「ははは、秋月。わたしの勝ちだな」
「兄上……ですが、兄上が牡鹿の狩りを邪魔しなければ、わたしにも勝算はありました」
「負け惜しみを」
確かに夏月は世子が牡鹿を狩るのを阻んだ。だが、当の夏月はそれをひとつも悪いとは思っていないようだ。
高らかに笑いを漏らして、世子を見くだし笑っている。
世子は顔をゆがめる。まるで子供のようだと翠月は思う。夏月がではない、世子が子供のようだと思ったのだ。
世子はまるで、兄である夏月に負けたことが不服であるように、いじけたように顔をゆがませたのだ。
だが夏月にとっては、それこそが気に入らない理由なのだ。
「兄上。狩りには負けましたが、どうか翠月のことは……」
「ならぬ」
「兄上!」
はて、と翠月は首を傾げた。先ほど夏月は、翠月のことは不問に付すと言ったばかりである。
だがなぜ今度は、「ならぬ」と言うのだろうか。翠月に言った言葉は単なる戯れで、嘘で、からかったのだろうか。
翠月は世子と夏月の間に割って入る。
「夏月さま。私のことは不問に付すとおっしゃいましたよね?」
「さあ、なんのことやら」
「……男に二言はないものではないのですか?」
「……そなた、わたしに口答えするのか?」
夏月が翠月を見おろした。だが翠月は、一歩も引かない。夏月を見上げて、まっすぐに、ひるむことなく。
「でも、先ほど夏月さまは私を許すとおっしゃいました」
「……はあ。そなた、やはり強気なおなごだな」
夏月はやれやれ、と肩を竦めて、今度は世子のほうを見る。
「このおなごの件は水に流す」
「兄上? 本当ですか?」
「ああ。そなたも不憫だな。このようなおなごが許嫁とは。王さまもなにをお考えなのか」
「……っ!」
今までならば、世子は夏月にどんな嫌味を言われても平気であった。自分が第二皇子でありながら世子になったことも、夏月になに一つ敵わないことも。
それなのに、翠月のことを言われると、どうにも我慢ならない自分がいた。
大きく息を吸い込んで、世子は夏月に目一杯の反抗を見せた。
「兄上にとっては『このような』おなごでも、わたしにとっては『唯一無二の』おなごです」
「……! そなた、兄に向かって口答えをするようになったか」
忌々しそうに顔をゆがめて、だが夏月はそのまま踵を返す。これ以上は言い争う気はないようだ。
馬に乗って、そうして宦官たちを引き連れて、夏月は去っていく。
仕留めた猪とウサギを担がせながら、夏月は後ろ手に、
「わたしが狩った獲物はわたしの腹に収まる故、心配無用だ」
それが翠月に向けた言葉だとは、誰も気づかなかった。
夏月を見送って、翠月と世子も帰路につく。もうだいぶ日は暮れて、山道は暗い。
翠月は今日一日の出来事で、世子が世子になりたくない理由を垣間見た気がした。
「わたしと兄上は仲がよくなくてな」
訊いてもいないのに、世子のほうから話し始める。翠月はただ黙ってそれを聞くのみだ。
馬の揺れが心地よい闇の中で、世子の声はよく聞き取れた。
「わたしは兄上になに一つ敵わない。なのに世子に選ばれた。本当ならば兄上が世子に選ばれるべきなのに。なぜわたしが……」
世子は夏月が好きなのだ、兄として尊敬している。だからこそ、自分の力で打ち負かしたい。それができればきっと、世子は王の後継として自分を認められる。だが実際、世子はなにひとつ夏月には敵わない。
だから世子は、自分は世子にふさわしくないと考えて、王宮から離れてあの簡素な屋敷に住んでいるのだ。
思ったよりも根深い問題だと翠月は思った。だが、知ってしまったからには力になりたい、そう思いながら、ふたりで暗い道を、ゆらゆらと揺られるのだった。
夏月は大きな猪と、それからウサギを何匹か仕留めたが、世子のほうはなにも仕留めることが出来なかった。やはり、落馬した影響が大きかった。
それに加えて、妙な圧力のせいで本領を発揮できなかった。この勝負に負ければ翠月が罰を受ける、それが世子の動きと思考力を鈍らせたのだ。
「ははは、秋月。わたしの勝ちだな」
「兄上……ですが、兄上が牡鹿の狩りを邪魔しなければ、わたしにも勝算はありました」
「負け惜しみを」
確かに夏月は世子が牡鹿を狩るのを阻んだ。だが、当の夏月はそれをひとつも悪いとは思っていないようだ。
高らかに笑いを漏らして、世子を見くだし笑っている。
世子は顔をゆがめる。まるで子供のようだと翠月は思う。夏月がではない、世子が子供のようだと思ったのだ。
世子はまるで、兄である夏月に負けたことが不服であるように、いじけたように顔をゆがませたのだ。
だが夏月にとっては、それこそが気に入らない理由なのだ。
「兄上。狩りには負けましたが、どうか翠月のことは……」
「ならぬ」
「兄上!」
はて、と翠月は首を傾げた。先ほど夏月は、翠月のことは不問に付すと言ったばかりである。
だがなぜ今度は、「ならぬ」と言うのだろうか。翠月に言った言葉は単なる戯れで、嘘で、からかったのだろうか。
翠月は世子と夏月の間に割って入る。
「夏月さま。私のことは不問に付すとおっしゃいましたよね?」
「さあ、なんのことやら」
「……男に二言はないものではないのですか?」
「……そなた、わたしに口答えするのか?」
夏月が翠月を見おろした。だが翠月は、一歩も引かない。夏月を見上げて、まっすぐに、ひるむことなく。
「でも、先ほど夏月さまは私を許すとおっしゃいました」
「……はあ。そなた、やはり強気なおなごだな」
夏月はやれやれ、と肩を竦めて、今度は世子のほうを見る。
「このおなごの件は水に流す」
「兄上? 本当ですか?」
「ああ。そなたも不憫だな。このようなおなごが許嫁とは。王さまもなにをお考えなのか」
「……っ!」
今までならば、世子は夏月にどんな嫌味を言われても平気であった。自分が第二皇子でありながら世子になったことも、夏月になに一つ敵わないことも。
それなのに、翠月のことを言われると、どうにも我慢ならない自分がいた。
大きく息を吸い込んで、世子は夏月に目一杯の反抗を見せた。
「兄上にとっては『このような』おなごでも、わたしにとっては『唯一無二の』おなごです」
「……! そなた、兄に向かって口答えをするようになったか」
忌々しそうに顔をゆがめて、だが夏月はそのまま踵を返す。これ以上は言い争う気はないようだ。
馬に乗って、そうして宦官たちを引き連れて、夏月は去っていく。
仕留めた猪とウサギを担がせながら、夏月は後ろ手に、
「わたしが狩った獲物はわたしの腹に収まる故、心配無用だ」
それが翠月に向けた言葉だとは、誰も気づかなかった。
夏月を見送って、翠月と世子も帰路につく。もうだいぶ日は暮れて、山道は暗い。
翠月は今日一日の出来事で、世子が世子になりたくない理由を垣間見た気がした。
「わたしと兄上は仲がよくなくてな」
訊いてもいないのに、世子のほうから話し始める。翠月はただ黙ってそれを聞くのみだ。
馬の揺れが心地よい闇の中で、世子の声はよく聞き取れた。
「わたしは兄上になに一つ敵わない。なのに世子に選ばれた。本当ならば兄上が世子に選ばれるべきなのに。なぜわたしが……」
世子は夏月が好きなのだ、兄として尊敬している。だからこそ、自分の力で打ち負かしたい。それができればきっと、世子は王の後継として自分を認められる。だが実際、世子はなにひとつ夏月には敵わない。
だから世子は、自分は世子にふさわしくないと考えて、王宮から離れてあの簡素な屋敷に住んでいるのだ。
思ったよりも根深い問題だと翠月は思った。だが、知ってしまったからには力になりたい、そう思いながら、ふたりで暗い道を、ゆらゆらと揺られるのだった。
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