怪しい高額バイトをしていたら、運命のつがいに出会いました

雪宮凛

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本編

第13話

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「いででででっ! ギブッ! ギブ、ギブだから! 悪かった、俺が悪かったって!」

「本気で自分が悪いと思ってるなら、わざわざ俺の黒歴史暴露しなくていいよな? っ!」

「ぎゃあああ!」

 テーブルが均等に設置されたスペースと、調理場との間にある少し広めの空間。そこには食事時、食事を受け取ろうと待機する参加者達でいっぱいになる。
 だけど今は時間外のためか、ちょっとばかり広めのスペースとして認識していた。
 その場所から聞こえてくるのは、冷静さのなかに隠し切れない怒りを滲ませた志郎の声と、食堂内に響き渡る兼治の断末魔。

(どう、なってるの!?)

 美奈穂は、男たち二人の穏やかではないやり取りを耳にし、椅子に座ったまま動揺を隠しきれず狼狽えていた。
 大の男二人の喧嘩に割って入る度胸を持っていない彼女に、成す術はない。
 そして何より、背後から、番である光志の大きな手で視界を塞がれている現状を考えれば、自分が何かしらの行動を起こすなんて不可能に思えた。

 美奈穂が最後に見た光景は、過去の逃走劇を暴露された志郎が、無言のまま兼治のお腹に重いパンチを一発決めたシーン。
 突然のことに驚くあまり唖然とするしかなかった彼女の視界は、瞬時に暗転する。

「ふえっ!?」

 突然暗くなった視界に、口から小さな悲鳴が零れた。
 するといつの間にか、緊張と恐怖で強張った美奈穂の身体は、悲鳴と一緒に拾われるようについさっきまで自分を包んでくれていたぬくもりの中にいた。

「怖がらなくていい。俺だから」

 耳元で聞こえる優しい声に、不思議と緊張がほぐれていく。同時に、強張っていた身体から力が抜けていくのがわかった。
 気を抜けば、そのまま後ろに倒れ込むんじゃないか。なんて不安になる身体を支えてくれたのは、さっきまでと同じぬくもり。
 細身なのに筋肉質な光志の頼りになる腕と胸板に、気づけば美奈穂は抱き留められていた。

「あ、あの……一体、何が起こってるんですか? というか藤沢さん、手を離してください」

「ダメだ。お前は見なくていいものだから、もうちょっとだけ待ってろ」

 なんて言葉が耳元から聞こえた。と思えば、するりと頬にぬくもりを感じた。そして肩にはわずかな重みも。
 得体の知れない感覚に、美奈穂の肩がピクリと跳ねる。すると今度は耳元で、クツクツと楽しげな笑い声が聞こえてきた。
 どうやら一連の犯人は、またしても光志らしい。

 頬に感じたぬくもりは、光志が自分の頬を押しつけたから。
 肩の重みは、光志が顎を乗せているから。
 その二つの答えにたどり着いたのは、だいぶ後になってからだけど。

 それからも、光志によって視界を隠された美奈穂は、耳元で喋る彼と時々言葉を交わしながら、必死に周りの状況を探ろうとした。
 と言っても、聞こえてくるのはもっぱら志郎と兼治の声ばかりで、状況を理解するまでには至らない。

「おーい、いつまで続くんだ? このプロレス」

「いや、ありゃプロレスって言うより柔道の技だろ」

 男性スタッフ達のやりとりが聞こえてきたお陰で、美奈穂はようやく、ぼんやりと食堂内で起きていることを想像出来るようになった。
 どうやら、志郎と兼治が格闘技っぽいことをしているらしい。そしてその様子を、みんなで鑑賞、しているのだろうか。
 必死に助けを求める兼治の声とは真逆に、呑気な声で茶化したり、応援しながらスタッフ達は観戦を続ける。
 あまりにも正反対すぎる二つの状況は、ただでさえ混乱する美奈穂の頭の中を余計に混乱させた。

「……止めに入らないとマズくないですか?」

「流石に相楽さんだって、手加減してるでしょ。本人の気が済むまでやらせてあげればいいんじゃないですか? 俺たちじゃあの人に歯が立たないんだから」

「あれで……手加減してんのか? かなり目がマジだけど」

 今度は少し遠くから、あまり聞き覚えの無い男性の声が複数聞こえてくる。
 男性達のやりとりから推測すると、もしかしたら志郎と同じ役人仲間の人達だろうか。なんて、美奈穂は内心首を傾げた。

 どうやら志郎は、仲間内でも仲裁を躊躇うほどの人らしい。そんな男の存在が、何故か少しだけ怖くなる。
 無意識のうちにブルっと身震いすると「寒いか? 熱、あんのかな」なんて心配そうな光志の声が聞こえた。
 熱なんて無い。そう慌てて反論しようとした美奈穂の顔が、くるりと彼の手によって後ろを向かされる。

(えっ……っ!?)

 自分の意思とは関係なく動く身体に戸惑いを感じた次の瞬間、美奈穂の額にコツンと何かがぶつかる感触があった。
 そして「熱は、無さそうだな」と、どこか安心した様子の声も聞こえてくる。

 今も尚、志郎たちの戦いは続いている。それを教えてくれるのは、ひっきりなしに聞こえてくる二人の声。
 それを観客のように観戦しているのは、スタッフと役人達。みんなの視線が、二人に集中しているのは、視界を塞がれた状態でも理解できた。

 まるで似非格闘技の試合会場と化した食堂。そんな空間で、美奈穂自身を構いたがる人なんて、きっと一人しかいない。

「藤沢、さん。手、離してください。私なら本当に大丈夫ですから」

「まだダメ。あんなアホらしいもの、見なくていいんだよ。それと……」

「……?」

「藤沢、じゃなくて……光志。名前、呼んで」

 もう一度解放を望んでみたけれど、その願いは聞き入れられなかった。
 オーケーの返事の代わりに聞こえてきたのは、あちらからの要望。自分の方からもお願いとばかりに、彼はゆっくり口を開く。
 そして、甘えるような囁きで、美奈穂へのおねだりが始まった。
 
「えっと……光志、さん」

「んー……まあ、今はそれでいいか」

 突然のことに、美奈穂は最初戸惑いをおぼえた。
 だけどすぐに、彼の誘惑にも似た願いを拒絶する選択肢を捨てたくなる。
 それでも、最後の抵抗をしたい一心で、下の名前をさん付けで呼んでみた。

 呼び捨ては、今の自分にはあまりにもレベルが高すぎる。

 そんな美奈穂の返答に、光志は少し不満そうな反応を示す。
 だけどその声は、すぐに弾むような息遣いが混じり始めた。

「……っ」

 腰をひねるように上半身を光志の方へ向け続ける美奈穂。そんな彼女の真っ暗だった視界が急に開け、光を取り戻していく。
 急に態度を一変させた彼に、美奈穂の中で新たな戸惑いが芽吹く。
 あんなに手を離すことを嫌がっていた光志が、手を離してくれた。
 つまり、プロレスなのか柔道なのかよくわからない戦いは終わったのだろうか。
 なんて、頭の中に浮かんだ疑問の答えを彼女は知りたいと思った。
 だけど、その欲が顔を出したのはほんの一瞬だけ。

 突然差し込んだ明かりに目を慣らしたいと、無意識に瞬きを繰り返す美奈穂。
 そんな彼女の視界にまず映ったのは、隣の席に並んで食事をしていた時よりも近くなった光志の顔だった。
 目を細め愛おしそうにこちらを見つめる光志。その緩み切った笑顔を前にすれば、無意識に身体が熱くなっていく。

 不意に、明るくなったはずの視界がまた暗くなった。
 だけど今度は恐怖といったマイナスイメージの感情は一切感じられない。
 美奈穂が感じていたのは、自分を包み込んでくれる優しいぬくもり。そして、少しばかりの熱。
 その熱は、背中から上半身全体にかけて伝わり、頬に押しつけられる少しかための胸板からも感じる熱が、彼女の意識の中から部外者たちの声を遠ざけていく。

 もっと素直に彼の熱に包まれたい。そう思えば、彼女は無意識にもぞもぞとお尻を動かし、下半身も出来る限り光志の方を向くように調節していた。
 彼の胸元に顔を押しつけられたせいでうまれた暗闇を、愛おしいとすら感じながら、美奈穂は優しく髪を梳く無骨な指の感触に目を閉じる。

 互いのぬくもりを感じ合いながら、しばし自分たちだけの世界に浸る美奈穂と光志。
 そんな二人の意識が現実へ戻ってきたのは、良晴の指示のもと、バトルを止めない志郎たちに制裁がくわえられた後だった。
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