拾遺七絃灌頂血脉──山桜創始の巻──

国香

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新政(上)

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 真崎にやって来た花園殿。

 そこは狭く入り組んだ入江であった。海岸線は急な崖になっていて、砂浜はほとんどない。

 崖の上には幾つもの館が建ち並んでいる。

 浦にはそこかしこに軍船が浮かんでいて、ここが小規模ながら、水軍の拠点であることがよくわかった。

 浦の最奥。そこにも館が建っている。真崎を一望でき、真崎の中で、最も風光明媚な場所であった。波も穏やかで、砂浜もある。辺りは湿地も広がっていて、夏には蛍が美しいという。あちこちから清水も湧き出していた。

 その館が花園殿の住まいとなった。

 隆安の館はそこから一番近い、粟川側の館である。いずれ、理安もそこに住む。

 三郎の館は久慈川側の、花園殿の館に一番近い館であった。母もそこに住む。背後の台地に砦を築き、彼の仲間をそこに入れて軍を作る。訓練には信基の一族が指導に入った。

 また、近くにはたたら場を作り、隆安と部下達がまた指導者となって、数々の農具、武具を製造して行く。

 信基はこの地から程遠からぬ場所に、新しい花園殿の邸を建て始めていた。

 その頃国府では、厄介者達百人以上がいなくなったので、治安が安定し、花園殿に感謝する者ばかりであった。

 花園殿が新しい邸を建立しているというので、資金を出そうという者が少なくなかった。国府内の役人の多くが、私財を花園殿に寄進した。郡家の役人も同様である。

 町の商人達でさえ、寄進する者が多かったのである。当然、妻子が厄介になっている目代も、私財の多くを差し出していた。

 乙亀御前の実家からも寄進があった。

 それらは、しばらく国府周辺に留まっていた理安のもとに寄せられた。

 理安はそれらを預かりながら、真崎に行きたいと願う者を募っていた。随分集まってきている。先に真崎へ行った暴れ者どもの身内は勿論、彼等とは一切関係ない農夫、海士、商人、または鍛冶職人まで、総勢二百人はいたろうか。

 ある程度数が揃ったので、理安がここでの任務をもう終わりにしてもよいだろうと考え、陸路にしようか、信基に船を出してもらって海路にしようかと迷っていた時である。高浜に見たこともない大船団がやってきた。

 理安が初めて見たというだけで、高浜ではたまに目にすることもあるらしい。人々は、

「刀自だ刀自だ!」

と歓迎した。

 三浦半島に陣取り、大規模な水軍で南関東を支配する水軍の商船であるという。その商船の長が、女大商人の刀自であるというのだ。

「ああ!刀自か!」

 都でも有名な女商人。五条に邸があることから、都人からは五条の刀自と呼ばれている。理安はすぐに承知した。

 とすれば、刀自は陸奥とも取り引きしているはずである。取り引き相手は、かつては花園殿の実弟。今はその遺児の則顕であるはず。それに、刀自の甥が則顕の義弟である。

 理安はこれは天の与え給うた好機だと思った。

 花園殿の国の発展には、刀自のような大商人との取り引きは不可欠である。

 理安はすぐに船に近寄り、刀自への対面を願った。

 花園殿の重臣が対面を希望しているとなれば、刀自の方でも天の恵みと喜び、飛び出してきて、

「まあまあ、よくお訪ね下さいました!」

と刀自自ら理安の手を取った。

「実は羽林の殿がこちらにいらっしゃると聞いて、宋の明洲から飛んできました。殿は?殿にはお目にかかれますか?」

 なんと、刀自は開口一番にそう言うではないか。

「まさか、殿に会うため、これへ参られたか?」

「ええ。殿が流罪になったと聞いて、びっくりして」

 刀自はずっと唐土に行っていたという。花園殿の流罪も知らずにいたのだろう。帰国してそれと知り、常陸を訪れたというわけだ。

「船上におられてご存知なかったか。実は殿、つい先日、赦されましてね。もう自由の身となられました。ここを出られまして。今はおわしませぬので」

 理安が教えると、刀自はびっくりし、また同時にがっかりした。

「ええ?では、召還なさったので?お目にかかれないのですか?」

「殿は常陸で隠居遊ばすそうで。もうここにはおわしませんが、都にもお戻りにはならず。これより北東の真崎という所へお移りに」

「真崎?それはどこですか?」

「なんでも、密筑里の近くとか」

「そこへ行けば、お目にかかれるのですね?」

「ええ。真崎の近くに居城を築いているので、完成したらそちらへお移り遊ばすが、今は真崎におわします」

「して、重臣の御身はどうしてこちらに?」

「ああ。移民を募っておりましてね。でも、もう集まりました故、今日明日にでも、殿の御もとへ出発する予定で」

 言われてみれば、高浜の浜辺に多数の民が、大荷物を担いで集まっている。

「あの人々ですか?」

「さよう」

「それにしても、随分おびただしい数の米俵。あれも運ぶので?それとも、あれで商いでも始めるのですか?」

 集まった民達の近くに、米俵の山がどどんとある。

「あれは築城の資金。この辺りの役人、商人、皆が寄進したもので」

「皆が寄進をしたのですか?さすがは羽林の殿。皆の尊敬を集めておわしましたのですね」

 刀自は負けてはいられないと思った。何しろ、国一番の大商人なのである。

「私、是非、築城費用全額を支払わせて頂きたく存じます」

「全額っ?」

 理安は目を丸くした。

「はい、全額です。ですから、御身の供をお許し下さい。人々も物資も全て我が船でお運び致しますので。私も共に真崎へ同行させて下さい」

「それは有り難い。これほど有り難い申し出を受けたは初めてです」

 理安は快諾した。

 こうして、理安は民とその家財全部、それに、花園殿の邸建立のために寄進された物全てを、刀自の船に乗せてもらった。

 やがて、外海に出。

 少し北上すると、すぐに真崎に着いた。

 船は入江の最も奥まで至り、船着き場に船をくくりつけた。

 民は一斉に飛び出し、理安に連れられ、刀自は花園殿の邸に入ったのだった。

「ご苦労だったな、理安」

 隆安と信基を左右に並べて、庭を眺めながら大床に座る花園殿が、理安を労った。

「落ち着かれましたか」

「ふむ。このままここに住んでもよいが、信基の家族に迷惑がかかるしの。せっかく新しい城も建ててくれているのだし。いずれそちらに移るゆえ、ここは仮住まいだが。落ち着き過ぎて、腰がなかなか持ち上がりそうにないわ」

 あははと声を上げて笑う。

「築城の件で、資金を提供してくれた人が多数あります。持参致しました。それと、築城費用全額負担したいとの申し出もございまして。その者をお連れ致しました」

 理安がそう言うと、花園殿は笑いを収めて真顔になり、信基や隆安は顔を青ざめさせた。

「……おこと、全額とか言ったか?」

「はい」

「冗談であろ?」

「いえ」

「馬鹿な。さような奇特な」

「樺の殿と取り引きしていた女商人です。樺の殿の御養子の若君の、実の伯母であるという刀自です」

「刀自とな?」

「はい。これへ伴って参りました。高浜よりここまで送ってくれたのも、刀自の船団でございます」

「では、あの巨大な船団がそうか?」

 そこから一望できる海の景色。花園殿はそれを指差した。

 この辺りでは見たこともない巨岩のような帆船が、何隻も停泊している。あれは何だと、さっきから噂し合っていたのである。

「多数の民が降りたったので、おことが来たのだろうとは思ったが、あんな巨大な船をどうやって調達したやら、どれだけ散財したやらと心配しておったぞ。そうか、刀自がのう」

「はい。ご対面、お許し頂けましょうや?」

「勿論だ。すぐに連れてくるがよい」

「ははっ」

 理安は刀自を呼ぶべく、一度退いた。

「聞いたか?築城費用全額負担だとよ」

「驚きました」

 隆安が答える。正直、信基には砂金があるとはいえ、築城にかかる莫大な費用はきついだろう。資金援助してくれる人が現れたことは、有り難いことに違いない。

「信基に負担をかけておるからの。少し気が楽になる」

「とんでもない!」

 信基は恐縮した。野望のために担ぐ御輿になってもらったのだ。これくらいは当然だ。

「しかし、殿。信基殿への見返りにもなればと、たたら場を作りましたが。もしも刀自が築城してくれるとなったら。刀自にはどんな礼を施されますので?」

 隆安はそう言った。

「確かに。想像を絶するような莫大な財産がある。ちょっとやそっとの礼では、有り難くも何ともあるまい。雲母なら無尽蔵にあるが──。開発した農具を与えるとか」

「それはよいかもしれませぬ。刀自に農具を与えられませ。刀自のこと、全国の受領、荘園領主に高値で売りさばくことでしょう」

 そう言い合っていると、足音が聞こえてきた。

 それを聞いて、なぜかふと花園殿は家族のことを思い出した。

「隆安。もうしばらく落ち着いたら、伊賀へ行ってはくれぬか?理安と一緒に。為長が伊賀守になって下向したと聞いた。我が妻子どもも一緒だという。様子を見てきて欲しいのだ。私はここに落ち着いて、今のところ心配するようなことは何もない。私の無事を伝え、彼等の近況を見てきてくれ」

「はっ。かしこまりました」

 そう言い合っていると、理安が刀自を伴ってやって来た。

 花園殿達三人は、刀自が視界に入った途端にぎょっとした。

 あまりに鮮烈な。光に反射して、正視できないほど眩しい黄金の地に、鮮やか過ぎる色で、大きな雌雄の虎柄がほどこされた衣を羽織っている。下には何枚もの色鮮やかな絹の衣を重ね着していた。

 花園殿が圧倒されているすぐ目の前に、刀自は恭しく両手をついた。

「ひゃあ、すごい衣よなあ」

 刀自が挨拶の口上を言う前に、花園殿はそう言った。

「亡き弟から、噂には聞いていたが。派手だの」

 くかかと笑った。

 出鼻をくじかれ、刀自も笑う。女なれども、豪放磊落という言葉がよく似合うのだった。

「どう致しまして。宜しければ、こんなような衣を献上致しますよ」

 花園殿、あははと大口開けて笑いながら、手をぱたぱたと振る。兄弟だが、樺殿よりも陽気で豪気な兄のようだ。

「なるほどなあ。余計な心配だったな」

「は、何事でございますか?」

「いや、金なら有り余っておるのだなと思って」

 築城費全額出してくれるというから、何を礼に授けたらよいのかと悩んだが、必要なさそうだ。

「ところで、おもとが一番欲するものは何だ?富か?いや、富はとうに手に入れておるな。では、名声か?栄誉か?それとも、地位か?」

 花園殿は訊いた。すると、刀自は、

「全てです」

と言い済ます。

 なるほど、全部というのであるならば。

「私にしかそれをおもとに与えることのできないもの、それを授けよう。地位だ。我が弟もそれを与えたな」

 樺殿は刀自の甥を養子に迎えた。

「おかげさまで、我が家の格は急激に上がり、一気に国一番の商人にまで駆け上がれました。樺の殿には、いかなる御礼も及びませぬ」

「そうか。そう言ってもらえると、私も嬉しい」

 花園殿は笑顔で頷くと、語気を改めて言った。

「我が城を、おもとが負担して建ててくれると聞いた」

「御意。是非そうさせて頂きとう存じます」

「有り難い。ついでに取り引きも頼みたい。この信基から、密筑里の石決明等の海産物に雲母、それから太田の砂金を買って欲しいのだ。私からは、新しい農具を頼む」

「石決明。これは宋でも高値で売れそうです。農具も国内に。是非、取り引きさせて下さい」

「武具も取り引きしているか?」

「勿論」

「ふむ。それも頼む。で、おもとへの礼だが。地位を与えよう。おもとの家と我が家との間に、姻戚関係を築くというのはどうだ?」

 さすがに刀自も恐縮した。

「これは意外な仰せ」

「いや、私にはたいして財産がない。やれるのは身分くらい故の。我が家には幼い子等がある。おもとの家には、男童、または女童はあるか?男童あるなら、我が娘を妻にやろう。女童なれば、我が息子の妻としよう」

 刀自はますます恐縮した。はっきり言って、どこの馬の骨とも知れぬのに、近衛大将家の若君、姫君を賜るとは。都の貴族とて、花園殿ほどの家格とはなかなか姻戚になれるものではない。

「もう、何もかも、御入り用のものは全て献上致します」

「ははは。大袈裟だ。で、どうなのだ?幼い童はあるのか?」

「それが、残念ながら、妙齢の娘が一人、あるだけでして。兄の子なのですが」

「ふむ」

 花園殿はしばし考える。

 刀自とは経済的な意味で、結びつくことは重要だ。しかし、それだけではない。刀自の家は関東最大の水軍だ。また、瀬戸内や九州の水軍とも結び付いている。刀自の家と姻戚となれば、全国の水軍を掌中にできるかもしれない。

 そして、この常陸のある場所。

 武蔵の内海と湿地帯、利根川や渡瀬川等の幾筋もの河川が、都から下向する人の妨げとなる。これが常陸にとっては、天然の巨大な堀の役割となる。

 独立するのに、こんなに適した場所はない。

 都から下向する人は、三浦半島から海路をとり、内海を船で渡るわけだが、ちょうどそこを支配しているのが、刀自の家の水軍だ。

 朝廷と戦になった時には、官軍はまず三浦半島までやってきて、そこから海路となるわけだが、もしも刀自の家がこちら側についていれば、そこで官軍との水上戦になる。

 刀自の家の水軍は、常陸を守護するべき位置にあるわけだ。

 これは何としても、刀自の家と姻戚にならなければなるまい。

「わかった。妙齢の娘だな。では、私がその婿となろう」

「えっ!」

 刀自ばかりでなく、理安、隆安まで同時に驚愕の声を上げた。

「殿。殿には北ノ方がおわします。何を仰せられます」

「本気だ。刀自よ、妻子ある者では不服か?」

「滅相もない!」

 別に姪が側女に過ぎなくとも、これはとんでもない大出世だ。刀自には思いがけなさ過ぎる幸運である。

 しかし、花園殿は刀自が不服であると思っているならば、この際、摩利御前を離縁して、刀自の姪を嫡妻とするも、やむないことだと思った。新しい国を建てるには、家族を犠牲にするくらいのことはあっても仕方ない、あって当然のことだという覚悟もある。

「よい。決まりだ。おもとの姪の婿となろう。帰って兄の水軍棟梁と相談するがよい」
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