1 / 40
傘と付箋 前 〚葵〛
しおりを挟む写真は、いろいろなものを写し取る。
一瞬を切り取って、灼きつけて。
そのときの光景や表情、あるいは感情を。
―――そしてときには、好きな人が恋に落ちる瞬間まで。
✣
高校を選んだきっかけは、公立なのに写真部があったから。
じいちゃんから受け継いだ俺の趣味。
カメラの道に進もうなんてもちろん思ってないけど、カメラをいじれる大義名分が欲しかった。
だから、自分の成績より少しだけランクを下げて、ここに来た。決め手は、少し通いにくいこと。
ここなら、弟と被らないだろうと。
―――そこに弟も入学したのは、誤算だったけど。
芹沢茜と、芹沢葵。
名前しか似てない、双子の弟。
顔のパーツひとつひとつは似ているのに、パッと目を引く美形の茜と、どこまでも地味な俺。性格さえ真逆だ。
昔から後ろ姿くらいしか似てないと言われてたけど、中学で身長まで10cmくらい離されてからは、並んでいてもまず兄弟とは思われない。
弟が、嫌いなわけではない。
ただその存在の眩しさが、周囲の扱いの違いが、苦しかった。
だから、茜が選ばないだろうここを選んだのに。
きっと茜も思ったんだろう。目障りな兄が来ないだろうところを選んだのに、と。
だから言ったんだろう。「面白そうだから、兄弟ってことは秘密にしよう。」―――なんて。
その言葉に最初は胸にヒビが入ったように感じたけど、始まってみれば快適だった。
同じ中学からの知り合いがいなくて、嘘がバレなかったせいもある。
兄弟なのに、双子なのに、そう比べられることがない生活。
念願の写真部にも所属し、陸上部の担当になって、新生活はするりとすべりだした。
「あおい。今度の新聞部付き、頼むなー。会計サマのインタビューらしいぜ。」
部長の言葉に、はいと返事をしてカメラをいじる。
ファインダーの向こうで、背の高い男がハードルを飛び越えた。
✣
背の高い男は、志摩という名前らしい。
ずいぶんと体格がいいけど、同級生。
そして、意外にも読書家。
俺の読む本の前や後に、かなりの頻度で貸出記録がある。
図書室で会ったことはないけど、きっと2、3日に1冊は読んでいるのだろう。
読書傾向が似ているのか、先に借りられていたものは面白いものが多く、借りるかどうか悩んだときは貸出記録を見るようになった。
志摩圭一郎の名前があれば、とりあえず借りてみる。
今のところ、打率はかなりいい。
その志摩は、律儀だ。
撮影のためいつもグラウンドにいる俺の前を通るときは必ず会釈する。
時には「暑い中お疲れー」なんて言いながら前を通っていく。
それはいつも友達とじゃれ合うときと同じ、太陽みたいな笑顔で。
―――裏表がないって、こういう人のことかな。
そう思っていたある日、暗室で現像作業を終えて向かった昇降口で、折り畳み傘を手にした志摩とバッタリ会った。
「あー、えっと、あおい?だっけ。傘ある?」
下の名前で呼ばれて、声も出せないほど驚く。
そもそも、個として認識されていることすら驚きなのに。
おそらく、部長からそう呼ばれているのを聞いたんだろう。入部した瞬間から"葵"呼び。時には"あお"なんて略されたりもする。
しかし、この発音。完全に"葵"じゃなくて"青井"って感じだ。
きっと名字だと思っているんだろう。少し面白いかも。
わざわざ訂正するほどのこともなく傘という言葉に外を見れば、かなりの土砂降りだった。
―――天気予報では晴れだったのに。
なるほど、それで、折り畳み。…………困ったな、カメラが心配だ。
今日は金曜日。じいちゃんから譲り受けた大切なカメラを教室に3日も置いておくのは気が引ける。
かといって、この雨の中カメラを持って帰るのは無謀だ。
うーん、どうしよう、写真部の部室の鍵を開けてもらって仕舞うのがベストだろうか。土日に手入れもしたかったんだけど、しょうがない。
腹を決めて志摩に挨拶をして踵を返そうとすれば、ぐいっと手が掴まれた。
渡されたのは、すこし大きめの黒い折り畳み傘。
え、と思って見上げたときには、すでに志摩は走り去るところだった。
出口で一回振り返って、「きーつけて帰れよー!」なんて言いながら雨の中に走っていく。
あっという間に白いシャツが濡れて、さっぱりとセットされた髪も雨に濡れて萎れて。
振り向いたときの笑顔が、雨の中駆け出した逞しい背中が目に灼きついて。
その姿が見えなくなるまで、どうしてだか目が離せなかった。
✣
折り畳み傘を使っても、足元はどうしようもない。
けど、カメラが濡れなければそれでいい。
貸してくれて助かった。でも、志摩は大丈夫だっただろうか。
一瞬にしてずぶ濡れだったな。
ただ律儀なだけじゃなくて、優しいんだな。
6月だというのに肌寒いくらいの土砂降りの雨の中、心の中がぽかぽかと暖かかった。
折り畳み傘にあたる雨の音に耳を傾けながら家に帰れば、車がなかった。
―――そうか、今日は父さんの給料日。きっと皆で外食に行ったんだろう。
鍵を開け、真っ暗な家の電気をつければ、さっきまでふわふわと浮いていた心がしぼんでいく。
じいちゃんが死んだ3年前から、俺はこの家の異分子だ。
少し歪な六人家族は、じいちゃんの死で四人家族+1人になった。
幼い頃から、弟妹との扱いの違いは感じてきた。
たとえば、食事。たとえば、文具。あるいは、服。
優先されるのは天真爛漫な弟と、かわいい妹。
服だって、おもちゃだって、双子なのに弟のお下がり。
親だけでなく、近所の人や、先生や同級生も、俺と弟の扱いにはハッキリした違いがあった。
産まれた頃からそうであれば、それに不満を感じることもない。
ただ、自分を可愛がってくれるじいちゃんが、特別に好きだった。
―――じいちゃんがいない家は、孤独だ。
外食も、四人前の頂き物のグルメなんかも、俺にまわってくることはない。
食卓テーブルも「部屋が狭く感じるから」六人机から四人机に変わって、俺は残り物を時間をずらして食べて、全員分の洗い物。
残り物はあったりなかったりだから、塩握りが晩ごはんということもある。…………いつまで経っても細く小さいのも、当たり前だ。
誰もいない家に上がり、廊下に水滴を落としながら脱衣場へ。
濡れたついでにお風呂を洗って、足をぬぐって廊下を拭く。
居間には、「外食に出掛けます。21時すぎに戻ります。」
これは、21時までに寝る支度をして部屋に引っ込んでおけ、という意味だ。
お風呂が沸くまで、皆が飲んだのだろうコーヒーカップを洗い、散らかったゲームや雑誌を片付ける。
これも、決まり。家族の邪魔をしないように、家族のいないときに片付けをすること。
しろ、と明確に言われたわけではない。
ただ、元物置の小さな部屋にまで聞こえる「やだ、片付いてないじゃない。」
そんながっかりした声を、聞きたくなくて。
お風呂の沸き上がりを待ち、残り湯でない温かいお風呂に入っても、心の奥が冷え切っていて、あまり暖かく感じなかった。
風呂から出て、玄関先に干してある傘を見て、手に取る。
少し考えて、ビニール袋に入れて自室に持っていき、新聞紙を引いてからそこに干した。
真っ黒なこうもり傘が、小さな部屋の大半を占める。
凍りついた心が、ほんのすこし、あたたまった。
14
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
キミがいる
hosimure
BL
ボクは学校でイジメを受けていた。
何が原因でイジメられていたかなんて分からない。
けれどずっと続いているイジメ。
だけどボクには親友の彼がいた。
明るく、優しい彼がいたからこそ、ボクは学校へ行けた。
彼のことを心から信じていたけれど…。
囚われた元王は逃げ出せない
スノウ
BL
異世界からひょっこり召喚されてまさか国王!?でも人柄が良く周りに助けられながら10年もの間、国王に準じていた
そうあの日までは
忠誠を誓ったはずの仲間に王位を剥奪され次々と手篭めに
なんで俺にこんな事を
「国王でないならもう俺のものだ」
「僕をあなたの側にずっといさせて」
「君のいない人生は生きられない」
「私の国の王妃にならないか」
いやいや、みんな何いってんの?
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる