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王宮から屋敷に戻ったラテは、お気に入りのサンルームで肘掛け椅子に深く身を沈めていた。
頭の中を占めるのは、あの鉄仮面の騎士団長、アフォガート・フォン・シュヴァルツのことばかりだ。
(あの男、一体何を考えているのかしら……)
ケーキの恨みはさておき、交渉の場での彼の発言は不可解だった。
ラテを助けたのか、それとも別の意図があったのか。
考えても答えは出ず、ラテは小さくため息をついた。
「お嬢様、お疲れでございましょう。新作のハーブティーをお持ちいたしました」
そこへ、ラテの専属侍女であるマロンが、ティーカップを乗せた盆を運んできた。
長年ラテに仕えている彼女は、主人の良き理解者だ。
「ありがとう、マロン。ちょうど、頭をすっきりさせたいと思っていたところよ」
「まあ、何かお悩みでございますか? もしや、王宮で何か……」
心配そうに顔を覗き込むマロンに、ラテは首を横に振る。
「交渉は順調よ。ただ、世の中にはよく分からない男もいるものだと思っていただけ」
「男、でございますか?」
「ええ。鉄仮面で、朴念仁で、ケーキ泥棒のくせに、妙に頭が切れる男がね」
ラテがぼやくと、マロンはくすりと笑った。
「お嬢様が、それほど一人の殿方を気になさるなんて、珍しいですわね」
「気になどしていないわ。ただ、不可解なだけよ」
ラテはぷいとそっぽを向く。
そんな主人の様子を見て、マロンは話題を変えた。
「そういえばお嬢様。街では、まだお嬢様のあらぬ噂が……」
「今度はどんな尾ひれがついたのかしら?」
「その……『ラテ様は、夜な夜な屋敷の庭で黒魔術の儀式を執り行っている』と……」
「黒魔術……!」
ラテは、飲んでいたハーブティーを噴き出しそうになった。
「ばかばかしい。わたくしがいつ、そんな非科学的なことをしたというのよ」
「ですが、数ヶ月前の満月の夜、庭師が見たと……。怪しげなローブを纏ったお嬢様が、大鍋をかき混ぜながら、ぶつぶつと呪文を唱えていたと……」
それを聞いて、ラテはぽんと手を打った。
「ああ、あれのことね」
「やはり、何かご存じなのですか!?」
「ええ。あれはお父様のお誕生日が近かったから、滋養強壮に効く薬草を調合していただけですわ」
「薬草、ですか?」
「薬草学の本に『満月の月光の下で、銅の鍋を使い、呪文……ではなく、薬草の名前を唱えながら混ぜ合わせると、薬効が最大限に高まる』と書いてあったものですから」
ローブに見えたのは、夜風が冷たかったので羽織っていたブランケットだろう。
ラテにとっては、父を思う娘の健気な行動でしかなかったが、偶然それを目撃した庭師にとっては、恐怖の光景でしかなかったらしい。
「では、『気に入らない令嬢のドレスを、夜会の途中でハサミで切り刻んだ』という噂は?」
マロンが、恐る恐る次の噂を口にする。
「ああ、あの気の強い男爵令嬢のことね。確かに、切り刻みましたわ」
「まあ!」
「だって、彼女のドレスの裾が長すぎて、床で揺らめいていた燭台の炎に燃え移りそうだったのですもの。とっさに、いつも持ち歩いている裁縫用の小さなハサミで、危ない部分を切り落として差し上げたのよ。火傷するより、ずっとましでしょう?」
ラテにとっては、人命救助のつもりだったのだ。
しかし、遠くからその瞬間だけを見ていた人々には、嫉妬に狂った悪役令嬢が、ライバルのドレスを切り刻んでいるようにしか見えなかった。
「……お嬢様は、どうしていつもそうなのですか」
マロンは、深いため息をついた。
「どうして、その場でちゃんとご説明なさらないのです? そうすれば、このような誤解は生まれないものを」
「面倒ですもの」
ラテは、こともなげに言い放った。
「いちいち事情を説明するなんて、時間の無駄だわ。それに……」
ラテは、悪戯っぽく片目をつむぐ。
「『悪役令嬢』でいた方が、何かと都合がよろしいのよ」
「都合が、よろしいのですか?」
「ええ。考えてもごらんなさい。『ラテ・メランジュは、恐ろしい悪役令嬢だ』という噂が広まれば、わたくしに面倒事を持ち込む人間がいなくなるわ」
事実、ラテが悪役令嬢として名を馳せてからというもの、退屈なお茶会の誘いはぱったりと無くなった。
下心見え見えで言い寄ってくる、つまらない貴族の息子たちも、遠巻きにするようになった。
「おかげで、わたくしは自分の時間を、好きな研究や読書に費やすことができる。こんなに合理的で、素晴らしいことはないでしょう?」
ラテにとっては、悪役令嬢という評判は、自らの平穏な日常を守るための、最高の鎧だったのだ。
その合理的な割り切りと、面倒くさがりな性格が、全ての誤解を生んでいる元凶なのだが、本人にその自覚は全くない。
「お嬢様は、本当にお優しくて、ただ少し不器用なだけなのに……」
マロンは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「あら、何か言ったかしら?」
「いいえ、何も。それよりお嬢様、先ほどの鉄仮面の殿方のお話ですが……」
「だから、気になどしていないと言っているでしょう!」
ラテは、少しだけ顔を赤くして、ぷいとそっぽを向いた。
その様子を、マロンは微笑ましそうに見つめていた。
悪役令嬢の仮面の下にある、不器用で可愛らしい素顔。
いつか、その本当の姿を見抜いてくれる殿方が現れることを、侍女は密かに願うのだった。
頭の中を占めるのは、あの鉄仮面の騎士団長、アフォガート・フォン・シュヴァルツのことばかりだ。
(あの男、一体何を考えているのかしら……)
ケーキの恨みはさておき、交渉の場での彼の発言は不可解だった。
ラテを助けたのか、それとも別の意図があったのか。
考えても答えは出ず、ラテは小さくため息をついた。
「お嬢様、お疲れでございましょう。新作のハーブティーをお持ちいたしました」
そこへ、ラテの専属侍女であるマロンが、ティーカップを乗せた盆を運んできた。
長年ラテに仕えている彼女は、主人の良き理解者だ。
「ありがとう、マロン。ちょうど、頭をすっきりさせたいと思っていたところよ」
「まあ、何かお悩みでございますか? もしや、王宮で何か……」
心配そうに顔を覗き込むマロンに、ラテは首を横に振る。
「交渉は順調よ。ただ、世の中にはよく分からない男もいるものだと思っていただけ」
「男、でございますか?」
「ええ。鉄仮面で、朴念仁で、ケーキ泥棒のくせに、妙に頭が切れる男がね」
ラテがぼやくと、マロンはくすりと笑った。
「お嬢様が、それほど一人の殿方を気になさるなんて、珍しいですわね」
「気になどしていないわ。ただ、不可解なだけよ」
ラテはぷいとそっぽを向く。
そんな主人の様子を見て、マロンは話題を変えた。
「そういえばお嬢様。街では、まだお嬢様のあらぬ噂が……」
「今度はどんな尾ひれがついたのかしら?」
「その……『ラテ様は、夜な夜な屋敷の庭で黒魔術の儀式を執り行っている』と……」
「黒魔術……!」
ラテは、飲んでいたハーブティーを噴き出しそうになった。
「ばかばかしい。わたくしがいつ、そんな非科学的なことをしたというのよ」
「ですが、数ヶ月前の満月の夜、庭師が見たと……。怪しげなローブを纏ったお嬢様が、大鍋をかき混ぜながら、ぶつぶつと呪文を唱えていたと……」
それを聞いて、ラテはぽんと手を打った。
「ああ、あれのことね」
「やはり、何かご存じなのですか!?」
「ええ。あれはお父様のお誕生日が近かったから、滋養強壮に効く薬草を調合していただけですわ」
「薬草、ですか?」
「薬草学の本に『満月の月光の下で、銅の鍋を使い、呪文……ではなく、薬草の名前を唱えながら混ぜ合わせると、薬効が最大限に高まる』と書いてあったものですから」
ローブに見えたのは、夜風が冷たかったので羽織っていたブランケットだろう。
ラテにとっては、父を思う娘の健気な行動でしかなかったが、偶然それを目撃した庭師にとっては、恐怖の光景でしかなかったらしい。
「では、『気に入らない令嬢のドレスを、夜会の途中でハサミで切り刻んだ』という噂は?」
マロンが、恐る恐る次の噂を口にする。
「ああ、あの気の強い男爵令嬢のことね。確かに、切り刻みましたわ」
「まあ!」
「だって、彼女のドレスの裾が長すぎて、床で揺らめいていた燭台の炎に燃え移りそうだったのですもの。とっさに、いつも持ち歩いている裁縫用の小さなハサミで、危ない部分を切り落として差し上げたのよ。火傷するより、ずっとましでしょう?」
ラテにとっては、人命救助のつもりだったのだ。
しかし、遠くからその瞬間だけを見ていた人々には、嫉妬に狂った悪役令嬢が、ライバルのドレスを切り刻んでいるようにしか見えなかった。
「……お嬢様は、どうしていつもそうなのですか」
マロンは、深いため息をついた。
「どうして、その場でちゃんとご説明なさらないのです? そうすれば、このような誤解は生まれないものを」
「面倒ですもの」
ラテは、こともなげに言い放った。
「いちいち事情を説明するなんて、時間の無駄だわ。それに……」
ラテは、悪戯っぽく片目をつむぐ。
「『悪役令嬢』でいた方が、何かと都合がよろしいのよ」
「都合が、よろしいのですか?」
「ええ。考えてもごらんなさい。『ラテ・メランジュは、恐ろしい悪役令嬢だ』という噂が広まれば、わたくしに面倒事を持ち込む人間がいなくなるわ」
事実、ラテが悪役令嬢として名を馳せてからというもの、退屈なお茶会の誘いはぱったりと無くなった。
下心見え見えで言い寄ってくる、つまらない貴族の息子たちも、遠巻きにするようになった。
「おかげで、わたくしは自分の時間を、好きな研究や読書に費やすことができる。こんなに合理的で、素晴らしいことはないでしょう?」
ラテにとっては、悪役令嬢という評判は、自らの平穏な日常を守るための、最高の鎧だったのだ。
その合理的な割り切りと、面倒くさがりな性格が、全ての誤解を生んでいる元凶なのだが、本人にその自覚は全くない。
「お嬢様は、本当にお優しくて、ただ少し不器用なだけなのに……」
マロンは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「あら、何か言ったかしら?」
「いいえ、何も。それよりお嬢様、先ほどの鉄仮面の殿方のお話ですが……」
「だから、気になどしていないと言っているでしょう!」
ラテは、少しだけ顔を赤くして、ぷいとそっぽを向いた。
その様子を、マロンは微笑ましそうに見つめていた。
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