偽りの学園

シマセイ

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第15話:心臓部の扉

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深夜の学園は、昼間とは全く違う、異質な沈黙に支配されていた。
月明かりだけが、校舎の輪郭をぼんやりと青白く照らし出し、まるで巨大な生き物の骸のようだ。
私と蓮は、息を殺して、裏門の前に立っていた。
蓮が、慣れた手つきでコピーキーを差し込むと、重い鉄の扉は、音もなく開いた。
私たちは、影から影へと身を隠すように、校舎の中へと侵入する。

目指すは、生物準備室。
廊下を歩く、自分たちの足音だけが、やけに大きく響く。
時折、遠くで、風が窓を揺らす音がして、そのたびに、心臓が縮み上がった。
これは、犯罪だ。
不法侵入。
もし見つかれば、退学だけでは済まないかもしれない。
でも、もう、引き返すことはできなかった。
恐怖よりも、真実を知りたいという渇望が、私を前へと突き動かしていた。

生物準備室のドアの前で、私たちは足を止めた。
ドアの下から、僅かに、光が漏れている。
中に、いる。
桐嶋先生が。

蓮は、ポケットから、あの蔦の模様が彫られた、小さな鍵を取り出した。
そして、私に、スマートフォンを渡す。

「いいか、水野さん。俺が、あいつの注意を引きつける。お前は、その隙に、この鍵で開けられるものを、部屋の中で探し出すんだ。そして、中身を、このスマホで撮影しろ。絶対に、無理はするな。危険を感じたら、すぐに逃げろ」

「……うん」

「これは、俺たちの戦争の、クライマックスだ。絶対に、しくじるなよ」

蓮の瞳は、燃えるような決意に満ちていた。
彼は、私に頷きかけると、ドアノブに手をかけ、一気に、勢いよくドアを開け放った。

「――こんばんは、先生。夜遅くまで、熱心ですね」

部屋の中にいた桐嶋先生が、驚いて、こちらを振り返った。
その手には、分厚いファイルが数冊、握られている。
先生の顔は、驚愕から、すぐに、冷たい怒りの表情へと変わった。

「……佐伯。どうやって、ここに」

「さあ? 先生こそ、こんな夜中に、何を隠してるんですか? そのファイルは、何です?」

蓮は、挑発するように、部屋の中へと一歩、足を踏み入れた。
その隙に、私は、壁に張り付くようにして、部屋の中へと滑り込む。
部屋の中は、ホルマリンの、ツンとした匂いが充満していた。
壁際には、動物の骨格標本や、不気味な液体の入った瓶が、ずらりと並んでいる。
その異様な光景に、私は一瞬、息を呑んだ。

「お前には、関係のないことだ。それより、不法侵入の罪で、警察に突き出されたいか?」

桐嶋先生の声は、静かだったが、明確な殺意が込められていた。

「いいですよ。その代わり、先生が、ここで何をしていたのかも、全て、警察に話させてもらいますけどね。三年前の、姉さんのことも、含めて」

蓮の言葉に、桐嶋先生の眉が、ピクリと動く。
二人の間の、張り詰めた空気。
私は、その隙に、部屋の中を必死に見渡した。
鍵のかかるもの。
ロッカー、薬品棚、引き出し……。
でも、どれも、あの小さな鍵が合うようには見えなかった。
どこだ。
桐嶋の『心臓部』は、どこにある?

焦る私の目に、ふと、部屋の隅にある、一つのものが飛び込んできた。
それは、古い、木製の、標本ケースだった。
ガラスの扉がついていて、中には、色とりどりの蝶の標本が、美しく並べられている。
一見、何の変哲もない、ただの標本ケース。
でも、その扉の隅に、小さな、装飾的な鍵穴があるのを、私は見つけた。
あの鍵と、同じ形……!
これだ!

私は、蓮が桐嶋先生と対峙している隙に、そっと、その標本ケースに近づいた。
ポケットから、震える手で、鍵を取り出す。
鍵穴に、差し込む。
ぴったりと、合った。
ゆっくりと、鍵を回す。
カチリ、と小さな音がして、ガラスの扉が開いた。

中には、蝶の標本が、整然と並んでいる。
でも、その一番下の段。
そこだけ、標本ではなく、黒いベルベットの布が敷かれていた。
そして、その上に、まるで宝石のように、いくつかの物が、大切に、並べられていた。
それを見た瞬間、私は、息をすることを忘れた。

それは、今まで、桐嶋先生が、”課題”と称して、生徒たちから奪ってきた、”戦利品”だった。
美羽さんが盗んだという、クラスメイトの万年筆。
誰かの、イニシャルが入った、ヘアピン。
小さく折り畳まれた、ラブレター。
そして、その中央に、ひときわ、禍々しい光を放って、置かれていたもの。
それは、古びた、生徒手帳だった。
表紙には、消えかかった文字で、名前が書かれている。

『佐伯 美羽』

姉さんの、生徒手帳……!
なんで、こんな所に……。
これは、ただの戦利品じゃない。
桐嶋が、美羽さんを、完全に支配したことの、証。
彼女の魂そのものを、ここに、閉じ込めているのだ。

私は、込み上げてくる吐き気を必死にこらえながら、蓮から渡されたスマートフォンを構えた。
そして、その地獄のような光景を、一枚、また一枚と、写真に収めていく。
シャッター音が、私の心臓の鼓動と、重なった。

その時だった。

「――そこに、いたのか。水野」

背後から、地獄の底から響いてくるような、低い声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、鬼の形相をした、桐嶋先生だった。
蓮は、床に倒れていた。
先生に、突き飛ばされたのだ。

「……見たな。俺の、宝物を」

先生の目は、完全に、正気を失っていた。
それは、もう、教師の顔ではなかった。
自分の聖域を荒らされ、秘密を暴かれた、獣の顔。

「それは、俺と、あの子たちとの、絆の証なんだ。誰にも、触らせはしない」

先生は、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。
その手には、薬品棚から掴み取ったのであろう、メスが、鈍い光を放っていた。
死ぬ。
本能的な恐怖が、私の全身を支配する。
足が、すくんで、動かない。

「逃げろ、水野!」

床に倒れていた蓮が、叫んだ。
その声で、私は、我に返った。
私は、スマートフォンを、ポケットにねじ込むと、標本ケースの横にあった、人体模型のスタンドを、渾身の力で、桐嶋先生めがけて突き飛ばした。

ガシャン!

大きな音を立てて、人体模型が倒れる。
桐嶋先生が、一瞬、たじろいだ。
その隙に、私は、蓮の手を掴み、部屋の外へと、無我夢中で走り出した。
後ろから、桐嶋先生の、獣のような咆哮が、追いかけてくる。
私たちは、深夜の、暗い廊下を、ただ、ひたすらに、走った。
もう、後戻りはできない。
私たちは、悪魔の、心臓部の扉を、こじ開けてしまったのだから。
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