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第六話:知るということ
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次の日から、私の日常は「文字の勉強」という目的で満たされることになった。
子供向けの絵本は、簡単な単語と挿絵が多く、とっかかりやすかった。
見たこともない動物や植物、不思議な道具の絵に、異世界に来てしまったという現実を改めて突きつけられる。
文字は、一つ一つが記号のようで、最初は全く頭に入ってこなかった。
(これは……りんご、みたいな果物かな。こっちの文字は……『アプフェ』って読むの……?)
羊皮紙に、何度も何度も同じ文字を書き写す。
ペンの使い方も慣れないし、インクが滲んでしまうこともあったけれど、集中している間は、不安や孤独を少しだけ忘れられた。
毎日、食事を運んでくるリリアさんは、私が勉強している様子を見ても、特に何も言わない。
相変わらずの無表情で、用事を済ませるとさっさと出て行ってしまう。
何度か、分からない単語の意味を尋ねてみたけれど、
「私に聞かないでください」
と、ピシャリと断られるだけだった。
彼女との距離は、なかなか縮まりそうにない。
それでも、数日が経つ頃には、簡単な単語なら、いくつか読めるようになってきた。
文字の形にも、少しずつ慣れてきた。
そうなると、俄然、面白くなってくる。
(もっと知りたい。この世界のことを)
そして、あの日記帳のことも。
勉強の合間に、こっそりと日記帳を開く。
以前よりも、書かれている内容が少しだけ、深く理解できるようになった気がした。
『□月△日 神殿の書庫に忍び込んだ。古い文献に『帰還の魔法陣』についての記述があったが、ほとんど解読不能。それに、起動には膨大な魔力が必要らしい。聖女様クラスの……』
(帰還の魔法陣……!)
やはり、この日記の書き手は、元の世界に帰る方法を探していたんだ。
でも、それは聖女クラスの力がないと使えない……。
『外れ』の私には、関係のない話、ということだろうか。
それでも、可能性がゼロではない、という事実は、小さな希望になった。
『☆月×日 銀髪の騎士様が、また来た。今日は、少しだけ話をした。彼は、俺(私?)が日本語を話すことに興味があるようだ。なぜだろう』
(やっぱり、カイさんだ……)
カイさんは、この日記の書き手と、どんな会話をしていたのだろうか。
そして、なぜ、日本語に興味を……?
過去の召喚者から学んだ、と言っていたけれど、それだけではないような気がする。
そんなふうに、勉強と日記の解読に没頭していたある日の午後。
突然、部屋の扉がノックされた。
リリアさんが来る時間ではない。
(……カイさん?)
緊張しながら「どうぞ」と答えると、思った通り、カイさんが入ってきた。
彼は、私がテーブルに広げている本や羊皮紙を一瞥すると、かすかに眉を上げた。
「……励んでいるようだな」
「! か、カイ様……」
慌てて立ち上がろうとする私を手で制し、カイさんはテーブルに近づいてきた。
そして、私が書き殴った文字の練習の跡を、じっと見つめる。
「……数日で、ここまで覚えたのか」
その声には、ほんの少しだけ、感心したような響きが含まれているように感じたのは、私の気のせいだろうか。
「いえ、まだ、全然……」
「謙遜は不要だ。
飲み込みは、悪くない」
カイさんは、懐から小さな革袋を取り出し、それをテーブルの上に置いた。
「……これは?」
「単語帳だ。
基本的な名詞や動詞が、こちらの文字と、君たちの世界の文字で併記されている」
袋の中には、小さな木の札が何枚も入っていた。
片面には異世界の文字、もう片面には、見慣れた日本語の単語が書かれている。
「これを、三日以内に全て覚えろ。
それが、君への最初の課題だ」
「か、課題……ですか?」
「そうだ。
ただ無為に時間を過ごさせるわけにもいかないだろう」
カイさんの紫色の瞳が、私を射抜くように見つめる。
「君が、この世界で生きていく意志があるというのなら、それなりの努力は示してもらわなければな」
「……!」
試されている。
そう感じた。
私が、本当にこの世界で生きていくつもりがあるのかどうか。
そして、そのための能力があるのかどうか。
「……分かりました。やります」
私は、迷わず答えた。
ここで「できません」なんて言ったら、それこそ見捨てられてしまうかもしれない。
それに、これはチャンスでもあるはずだ。
彼の期待に応えれば、少しは信用してもらえるかもしれない。
「よろしい」
カイさんは、満足したように頷くと、もう一冊、分厚い本をテーブルに置いた。
「それと、これもだ。
エルドラ王国の建国史。
一週間後に、内容についていくつか質問する」
「えっ……こ、これもですか?」
歴史書なんて、日本語でも苦手なのに。
しかも、この世界の文字で書かれているのだ。
絶望的な気持ちになる。
「無理だとは、言わせんぞ」
カイさんは、私の心を見透かしたように、釘を刺した。
「……はい」
やるしかない。
私は、覚悟を決めて頷いた。
カイさんは、それ以上何も言わず、部屋を出て行った。
残された私は、テーブルの上に積み上げられた課題――単語帳と歴史書――を前に、深いため息をつく。
(三日で、この単語を全部……。一週間で、この歴史書を……)
気が遠くなりそうだ。
でも、やるしかない。
私は、早速、単語帳の木の札を手に取った。
『太陽(たいよう) - ソル』
『月(つき) - ルナ』
『水(みず) - アクア』
『火(ひ) - イグニス』
知らない単語ばかりだ。
でも、日本語と対になっているから、意味は分かる。
必死で、頭に叩き込んでいく。
その日の夜、食事を運んできたリリアさんに、廊下で他の侍女たちが話しているのが聞こえた。
「聖女様が、新しいドレスが欲しいとおっしゃっていて……」
「まあ。でも、もうたくさんお持ちでしょう?」
「それが、隣国の王女様が着ていたものと同じデザインがいいのだとか……。職人さんたちが頭を抱えていましたわ」
「まあ……。でも、聖女様のご機嫌を損ねるわけにはいきませんものね……」
その会話を聞きながら、私は手元の単語帳とにらめっこしていた。
聖女様がドレスを選んでいる間に、私は必死で異世界の言葉を覚えている。
なんだか、おかしくて、少しだけ笑ってしまった。
単語の暗記は、思った以上に大変だったけれど、三日後の朝、なんとか全ての単語を覚えることができた。
達成感と同時に、どっと疲れが押し寄せる。
次は、歴史書だ。
分厚い本を開くと、びっしりと細かい文字が並んでいる。
(うわぁ……)
気が滅入りそうになりながらも、読み進めていく。
創世神話のような話から始まり、歴代の王様の名前、大きな戦争の記録、そして……『聖女召喚』の歴史。
(……あった)
召喚の儀式は、数十年から百年に一度くらいの頻度で行われてきたらしい。
そして、召喚された聖女の中には、偉大な功績を残した者もいれば、そうでない者もいたようだ。
さらに読み進めると、気になる記述を見つけた。
『……召喚の際、稀に聖女ではない者、すなわち『迷い人』が共に現れることがある。彼らは異能を持つこともあるが、多くは無力であり、古来より、その処遇は時の王、あるいは神殿に委ねられてきた。記録によれば、過去には労働力として使役された例、あるいは危険因子として追放、幽閉された例も少なくない……』
(やっぱり……)
『外れ』の召喚者は、決して良い扱いを受けてきたわけではないのだ。
私を預かっているカイさんの行動も、「国の流儀」というよりは、彼個人の、あるいは王様の特別な判断なのかもしれない。
そして、その判断が、いつ覆されるか分からない……。
背筋が、少し寒くなるのを感じた。
カイさんから与えられた課題は、単なる試練というだけではなく、私自身の運命にも関わってくるのかもしれない。
(もっと、知らなければ……。そして、力をつけなければ……)
歴史書を読み進める手に、自然と力が入っていた。
一週間後の、カイさんとの問答。
それが、私の未来を左右する、最初の関門になるのかもしれない。
子供向けの絵本は、簡単な単語と挿絵が多く、とっかかりやすかった。
見たこともない動物や植物、不思議な道具の絵に、異世界に来てしまったという現実を改めて突きつけられる。
文字は、一つ一つが記号のようで、最初は全く頭に入ってこなかった。
(これは……りんご、みたいな果物かな。こっちの文字は……『アプフェ』って読むの……?)
羊皮紙に、何度も何度も同じ文字を書き写す。
ペンの使い方も慣れないし、インクが滲んでしまうこともあったけれど、集中している間は、不安や孤独を少しだけ忘れられた。
毎日、食事を運んでくるリリアさんは、私が勉強している様子を見ても、特に何も言わない。
相変わらずの無表情で、用事を済ませるとさっさと出て行ってしまう。
何度か、分からない単語の意味を尋ねてみたけれど、
「私に聞かないでください」
と、ピシャリと断られるだけだった。
彼女との距離は、なかなか縮まりそうにない。
それでも、数日が経つ頃には、簡単な単語なら、いくつか読めるようになってきた。
文字の形にも、少しずつ慣れてきた。
そうなると、俄然、面白くなってくる。
(もっと知りたい。この世界のことを)
そして、あの日記帳のことも。
勉強の合間に、こっそりと日記帳を開く。
以前よりも、書かれている内容が少しだけ、深く理解できるようになった気がした。
『□月△日 神殿の書庫に忍び込んだ。古い文献に『帰還の魔法陣』についての記述があったが、ほとんど解読不能。それに、起動には膨大な魔力が必要らしい。聖女様クラスの……』
(帰還の魔法陣……!)
やはり、この日記の書き手は、元の世界に帰る方法を探していたんだ。
でも、それは聖女クラスの力がないと使えない……。
『外れ』の私には、関係のない話、ということだろうか。
それでも、可能性がゼロではない、という事実は、小さな希望になった。
『☆月×日 銀髪の騎士様が、また来た。今日は、少しだけ話をした。彼は、俺(私?)が日本語を話すことに興味があるようだ。なぜだろう』
(やっぱり、カイさんだ……)
カイさんは、この日記の書き手と、どんな会話をしていたのだろうか。
そして、なぜ、日本語に興味を……?
過去の召喚者から学んだ、と言っていたけれど、それだけではないような気がする。
そんなふうに、勉強と日記の解読に没頭していたある日の午後。
突然、部屋の扉がノックされた。
リリアさんが来る時間ではない。
(……カイさん?)
緊張しながら「どうぞ」と答えると、思った通り、カイさんが入ってきた。
彼は、私がテーブルに広げている本や羊皮紙を一瞥すると、かすかに眉を上げた。
「……励んでいるようだな」
「! か、カイ様……」
慌てて立ち上がろうとする私を手で制し、カイさんはテーブルに近づいてきた。
そして、私が書き殴った文字の練習の跡を、じっと見つめる。
「……数日で、ここまで覚えたのか」
その声には、ほんの少しだけ、感心したような響きが含まれているように感じたのは、私の気のせいだろうか。
「いえ、まだ、全然……」
「謙遜は不要だ。
飲み込みは、悪くない」
カイさんは、懐から小さな革袋を取り出し、それをテーブルの上に置いた。
「……これは?」
「単語帳だ。
基本的な名詞や動詞が、こちらの文字と、君たちの世界の文字で併記されている」
袋の中には、小さな木の札が何枚も入っていた。
片面には異世界の文字、もう片面には、見慣れた日本語の単語が書かれている。
「これを、三日以内に全て覚えろ。
それが、君への最初の課題だ」
「か、課題……ですか?」
「そうだ。
ただ無為に時間を過ごさせるわけにもいかないだろう」
カイさんの紫色の瞳が、私を射抜くように見つめる。
「君が、この世界で生きていく意志があるというのなら、それなりの努力は示してもらわなければな」
「……!」
試されている。
そう感じた。
私が、本当にこの世界で生きていくつもりがあるのかどうか。
そして、そのための能力があるのかどうか。
「……分かりました。やります」
私は、迷わず答えた。
ここで「できません」なんて言ったら、それこそ見捨てられてしまうかもしれない。
それに、これはチャンスでもあるはずだ。
彼の期待に応えれば、少しは信用してもらえるかもしれない。
「よろしい」
カイさんは、満足したように頷くと、もう一冊、分厚い本をテーブルに置いた。
「それと、これもだ。
エルドラ王国の建国史。
一週間後に、内容についていくつか質問する」
「えっ……こ、これもですか?」
歴史書なんて、日本語でも苦手なのに。
しかも、この世界の文字で書かれているのだ。
絶望的な気持ちになる。
「無理だとは、言わせんぞ」
カイさんは、私の心を見透かしたように、釘を刺した。
「……はい」
やるしかない。
私は、覚悟を決めて頷いた。
カイさんは、それ以上何も言わず、部屋を出て行った。
残された私は、テーブルの上に積み上げられた課題――単語帳と歴史書――を前に、深いため息をつく。
(三日で、この単語を全部……。一週間で、この歴史書を……)
気が遠くなりそうだ。
でも、やるしかない。
私は、早速、単語帳の木の札を手に取った。
『太陽(たいよう) - ソル』
『月(つき) - ルナ』
『水(みず) - アクア』
『火(ひ) - イグニス』
知らない単語ばかりだ。
でも、日本語と対になっているから、意味は分かる。
必死で、頭に叩き込んでいく。
その日の夜、食事を運んできたリリアさんに、廊下で他の侍女たちが話しているのが聞こえた。
「聖女様が、新しいドレスが欲しいとおっしゃっていて……」
「まあ。でも、もうたくさんお持ちでしょう?」
「それが、隣国の王女様が着ていたものと同じデザインがいいのだとか……。職人さんたちが頭を抱えていましたわ」
「まあ……。でも、聖女様のご機嫌を損ねるわけにはいきませんものね……」
その会話を聞きながら、私は手元の単語帳とにらめっこしていた。
聖女様がドレスを選んでいる間に、私は必死で異世界の言葉を覚えている。
なんだか、おかしくて、少しだけ笑ってしまった。
単語の暗記は、思った以上に大変だったけれど、三日後の朝、なんとか全ての単語を覚えることができた。
達成感と同時に、どっと疲れが押し寄せる。
次は、歴史書だ。
分厚い本を開くと、びっしりと細かい文字が並んでいる。
(うわぁ……)
気が滅入りそうになりながらも、読み進めていく。
創世神話のような話から始まり、歴代の王様の名前、大きな戦争の記録、そして……『聖女召喚』の歴史。
(……あった)
召喚の儀式は、数十年から百年に一度くらいの頻度で行われてきたらしい。
そして、召喚された聖女の中には、偉大な功績を残した者もいれば、そうでない者もいたようだ。
さらに読み進めると、気になる記述を見つけた。
『……召喚の際、稀に聖女ではない者、すなわち『迷い人』が共に現れることがある。彼らは異能を持つこともあるが、多くは無力であり、古来より、その処遇は時の王、あるいは神殿に委ねられてきた。記録によれば、過去には労働力として使役された例、あるいは危険因子として追放、幽閉された例も少なくない……』
(やっぱり……)
『外れ』の召喚者は、決して良い扱いを受けてきたわけではないのだ。
私を預かっているカイさんの行動も、「国の流儀」というよりは、彼個人の、あるいは王様の特別な判断なのかもしれない。
そして、その判断が、いつ覆されるか分からない……。
背筋が、少し寒くなるのを感じた。
カイさんから与えられた課題は、単なる試練というだけではなく、私自身の運命にも関わってくるのかもしれない。
(もっと、知らなければ……。そして、力をつけなければ……)
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