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第七話:試される意志
しおりを挟む約束の一週間は、あっという間だった。
私は文字通り、寝る間も惜しんで分厚い歴史書と格闘した。
最初はチンプンカンプンだった異世界の文字と文章も、必死で単語帳や絵本と照らし合わせ、前後の文脈から意味を推測していくうちに、少しずつ、本当に少しずつだけど、内容が頭に入ってくるようになった。
創世の神話。
英雄王と呼ばれた初代国王の伝説。
隣国との度重なる戦争の記録。
そして、何度も繰り返されてきた『聖女召喚』と、その聖女たちがもたらした光と、時には影。
特に、私と同じ『迷い人』に関する記述は、何度も読み返した。
歴史書には、彼らがどうなったのか、具体的な結末までは書かれていないことが多かったけれど、その行間からは、決して楽ではない運命を辿ったであろうことが窺えた。
知れば知るほど、自分の置かれた状況がいかに危ういものかを思い知らされる。
(だから、負けられない……!)
この一週間、私があまりにも必死だったからか、世話係のリリアさんの態度にも、ほんの僅かな変化が見られた気がする。
相変わらず口数は少なく、表情も硬いままだけれど、私が夜遅くまで本を読んでいると、黙って温かい飲み物(薬草茶のようなものだった)を置いていってくれたり、歴史書に出てくる古い言葉の意味を尋ねた時に、「……それは、こういう意味です」と、一度だけ、ボソッと教えてくれたりした。
もちろん、それ以上の会話はない。
でも、以前の完全な拒絶に比べれば、それは大きな進歩だった。
そして、約束の日。
昼食を終え、心臓をバクバクさせながらカイさんの訪れを待っていると、時間ぴったりに、彼は現れた。
「……時間だ」
カイさんは、部屋に入ってくるなり、そう告げた。
その手には、何も持っていない。
質問は、全て彼の頭の中にあるということだろうか。
「は、はい……!」
緊張で声が上ずる。
椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。
カイさんは、私の向かいの椅子に腰を下ろすと、真っ直ぐに私を見据えた。
あの美しい紫色の瞳が、今はまるで試験官の厳しい目のように感じられる。
「では、始める。
まず、エルドラ王国の建国年と、初代国王の名を述べよ」
「……えっと、建国は、神聖歴元年。
初代国王は、アレクシオス・エルドラ様、です」
基本的な質問から始まった。
これは、覚えている。
「よろしい。
では、我が国が最も長く敵対した隣国、ヴァルハルト帝国との間に起こった『百年戦争』。
その主な原因と、終結のきっかけを説明せよ」
「は、はい。
原因は、国境付近の肥沃な土地と、希少な魔鉱石の鉱山の領有権を巡る対立が長年続いていたこと……。
それに加えて、両国の王族間の婚姻問題のこじれが、直接的な引き金になったと……書かれていました。
終結のきっかけは、二百年前に召喚された聖女、エリアーナ様が、両国間に蔓延していた原因不明の疫病を浄化し、疲弊した両国が和平を結ぶことを決断した、ということです」
必死で、覚えたことを絞り出す。
間違っていないだろうか。
ドキドキしながらカイさんの反応を窺うが、彼は無表情のまま、次の質問を繰り出した。
「聖女エリアーナが用いたとされる『大浄化』の魔法。
その原理について、君はどう考える?」
「えっ……原理、ですか?」
予想外の質問に、戸惑う。
歴史書には、彼女が奇跡の力で疫病を払った、としか書かれていなかったはずだ。
「歴史書に書いてあったことだけを暗唱するだけでは意味がない。
君自身の頭で、考えろということだ」
カイさんの目が、鋭く光る。
試されている。
知識だけではなく、思考力も。
「……えっと……歴史書には、聖女様の力は、精霊の加護によるものだと書かれていました。
だから、大浄化の魔法も、たくさんの精霊の力を借りて、広範囲の瘴気……疫病の原因となる悪い気を、祓ったのではないかと……思います。
ただ、それだけの力を一度に行使するのは、聖女様お一人では難しいと思うので……もしかしたら、何か特別な儀式や、あるいは、他の協力者がいたのかもしれません……」
自信は、全くない。
しどろもどろになりながら、なんとか自分の考えを口にする。
カイさんは、黙って私の言葉を聞いていた。
肯定も、否定もしない。
そして、さらにいくつかの質問を続けた。
歴代の王の政策について。
魔法体系の基本的な分類について。
そして、『迷い人』の処遇について、歴史的な変遷を問う、答えにくい質問もあった。
私は、必死で答えた。
時には言葉に詰まり、時には明らかに間違ったことを言ってしまうこともあったかもしれない。
それでも、投げ出すことなく、最後まで食らいついた。
全ての質問が終わった時、私は汗びっしょりになっていた。
心臓は、まだ激しく脈打っている。
カイさんは、しばらく黙って窓の外に視線を向けていたが、やがて、ゆっくりと私に向き直った。
「……及第点、というところか」
「え……」
「基本的な知識は、概ね頭に入っているようだ。
最後の質問への考察も、的外れではなかった」
カイさんの口から出たのは、意外な言葉だった。
もっと、厳しい評価を覚悟していたから。
「しかしまだ、知識が表面的だ。
歴史の出来事の繋がりや、その背景にある人々の思惑まで、深く読み込めてはいない。
付け焼き刃の感は否めんな」
厳しい指摘も、もちろん忘れなかったけれど。
「だが……」
カイさんは、少し間を置いて、続けた。
「君が、この一週間、どれだけ努力したかは伝わってきた。
その意志は、認めよう」
「……!」
その言葉に、張り詰めていたものが、ぷつりと切れた気がした。
安堵と、達成感と、そして、認められたという喜びで、目の奥が熱くなる。
「つきましては、君に次の段階へ進むことを許可する」
「次の、段階……?」
「ああ。
今日からは、この城の図書室への立ち入りを許可しよう」
「! 図書室……ですか!?」
それは、願ってもない申し出だった。
部屋に閉じこもって、限られた本を読むだけでは、得られる情報にも限界がある。
図書室に行けるのなら、もっとたくさんのことを知ることができるかもしれない。
「ただし、条件がある」
「条件……?」
「まず、立ち入りは一日二時間まで。
場所は、第一図書室に限る。
そして、必ず、リリアを伴うこと。
一人で勝手に行動することは許さん」
「……はい! わかりました!」
厳しい条件ではあるけれど、それでも、部屋から出られるのだ。
それだけでも、大きな進歩だ。
「それから、これを」
カイさんは、懐から小さな袋を取り出した。
中には、数枚の銀貨のようなものが入っている。
「……これは?」
「君の、この一週間の『労働』に対する報酬だ。
今後も、課題の達成度に応じて、支給する」
「報酬……」
お金をもらえるなんて、考えてもみなかった。
「図書室で必要な筆記用具や、あるいは、多少の私物を購入する際に使うといい。
リリアに言えば、手配してくれるだろう」
カイさんの考えていることが、ますます分からなくなる。
私を監視下に置きながら、勉強をさせ、お金まで与える。
彼は、私をどうしたいのだろうか。
「……ありがとうございます」
今は、素直にお礼を言うしかない。
「励むことだな。
君の未来は、君自身の努力にかかっている」
カイさんは、それだけ言うと、静かに部屋を出て行った。
一人残された部屋で、私はしばらくの間、呆然としていた。
どっと疲れが押し寄せてきて、椅子に深くもたれかかる。
でも、心は不思議と軽かった。
(図書室……)
明日から、私は、この部屋の外の世界に、少しだけ触れることができる。
カイさんへの感情は、まだ恐怖や警戒心が大きいけれど、ほんの少しだけ、違う種類の気持ち――もしかしたら、信頼、と呼べるのかもしれない――が芽生え始めているのを感じていた。
手の中にある銀貨を、ぎゅっと握りしめる。
これは、私がこの世界で、自分の力で手に入れた、最初のものだ。
小さな、でも確かな一歩。
私の異世界での生活は、まだ始まったばかりなのだ。
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