婚約者様への逆襲です。

有栖川灯里

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10話

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王都を離れて数日。アンネリーゼはアイゼナッハ領へと戻っていた。

深い森に囲まれた山岳の地。城の石壁には涼やかな風が吹き抜け、静かな時間が流れている。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

ルイーゼが出迎えに現れた瞬間、アンネリーゼはようやく息を吐いた。

「戻っただけ。ここはまだ、“終着点”ではないわ」

「それでも……お嬢様が、お嬢様のままで戻ってきてくれて、私は……」

言葉を詰まらせた侍女に、アンネリーゼは微かに微笑む。

「泣かないで、ルイーゼ。私は、もう誰にも屈しないから」

その日の午後、応接室には一通の書状が届けられた。王印入り、そして差出人は——

「王妃ヘルミーネ陛下、ですか……」

ヴィルヘルムが眉をひそめながら報告する。

「書状の内容は?」

「“王妃の座に戻るおつもりはありませんか”と。それと、“王政改革の一助として力を貸してほしい”ともな」

沈黙が流れる。

アンネリーゼは書状を開き、その丁寧な文字をひとつひとつ目で追った。

「……王妃に。かつて捨てた座へ、もう一度?」

呟く声に迷いはなかった。ただ、それは重く静かで、過去と現在の自分を天秤にかけるような声だった。

夜、書斎に灯りがともる中、彼女はルイーゼと向き合っていた。

「私は……この国の民のために動くべきなのかしら」

「お嬢様が何を選んでも、私は従います。ただ——」

ルイーゼは言葉を選びながら、慎重に言った。

「“王妃”という冠が、お嬢様に似合わないとは、思いません。ですが、もうそれを必要としていないとも思っています」

アンネリーゼの指が、書状の角をそっとなぞる。

「——そう。私も、同じ考えです」

翌朝、アイゼナッハの使者が王宮へと書状を届けた。

その短い文には、ただこう記されていた。

『私は王妃ではなく、ひとりの貴族令嬢として、未来を支える覚悟を選びます』

それは拒絶ではなく、真の“選択”。

玉座の隣ではなく、自由な地平の上で。  
誰の影にも縛られず、誇り高く生きることを選んだ、ひとりの悪役令嬢の意思だった。

——この国はまだ、変わり始めたばかり。  
そして、彼女の物語もまた。

始まりを告げたばかりなのだった。
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