熱血豪傑ビッグバンダー!

ハリエンジュ

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第三話『仔猫の鳴き声』

その2 大人のなり損ない

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★第三話『仔猫の鳴き声』
その2 大人のなり損ない


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 死のうと、思った。

 揺れる暗い水面に、俺なんかの醜い顔がぼんやりと映っていた。
 一歩踏み出した手摺りの向こうの世界はひどく狭くて、不安定で。

 死のうと、思ったんだ。

 あと一歩俺が踏み出せば、きっと俺の身体は簡単にあの水面に沈んで、溶けて、消えて、俺は死ねる。

 もう少しで、俺は死ねる。
 わかってはいたのに。

 呼吸が、ただただ荒かった。
 動悸が激しい、じわりと視界に涙が滲む。

 死のうと思った、死のうと思ったのに。

 情けないことに、俺は未だに怖かったんだ、『死』という現象が。
 あれだけ人生でひどい目に遭ったのに、ゴミみたいな人生を送ってきたのに、まだ『生』に未練があったんだ。

 もう頭の中がぐちゃぐちゃで吐きそうだった。
 それでも、このままじゃ駄目だと思ったから。
 半ば自棄になって俺は、ついに一歩を踏み出そうとして――。

「――だめ、だよ」

 急に、温もりに包まれた。
 小さくて、頼りない温もりだった。
 何者かに背後から抱き締められている。
 それに気付いて、恐る恐る振り返って、俺は絶句した。

「簡単に死んだりしたら、だめ、だよ」

 俺の命をこの世に繋ぎ止めてくれたのは、俺に温もりを教えてくれたのは。
 ――ほんの、5、6歳の男の子だったのだ。





みなとー? みーなーとー!」

 耳元で、甘ったるく弾んだボーイソプラノが響く。
 その擽ったい声に、微睡んでいた意識が緩やかに、とても緩やかに浮上した。

「あ、起きたっ」

 目を覚ますと、そこは電子機器に囲まれた暗い部屋。
 俺は椅子に座り、メインコンピュータと向き合う形でデスクに突っ伏していて。
 作業中に、寝落ちたらしい。

 俺――みなと=ローレンスが寝惚け眼をかさかさの指で乱暴に擦れば、俺の膝の上に乗っかっている一人の少年と目が合った。

 明るいオレンジ色の猫っ毛、動物の耳を模した帽子、10歳という実年齢よりもさらに幼く、ともすれば女の子のように愛くるしく見える童顔、笑った口元から覗く八重歯。
 オーバーオールにショッキングピンクとペパーミントグリーンのボーダーソックスを履いた、中性的な服装を纏った少年。

 花楓かえで=アーデルハイド。
 俺の――俺の、たった一人の『ともだち』。

「挨拶……おはよう……」

 掠れた声で呟けば、花楓は嬉しそうに俺に笑いかける。

「おっはよーん! もー、作業中に寝落ちちゃ駄目だって言ったじゃーん。湊ももうアラサーなんだからさぁ、身体痛くしちゃうよ?」

「了解……善処」

「ん。わかればいーの。さ、顔洗っておいで。行こ?」

 そう言って花楓はぴょんっと俺の膝の上から飛び降りる。

 行くって、どこに。
 俺が目を丸くしていると、花楓の方が意外そうな表情を見せた。

「忘れた? 今日、こないだの廃棄ターミナルでのアンノウン出現の報告でバトル・ロボイヤル運営のとこに行く日だよ。湊も、顔だけ見せろって話だったじゃん?」

 ぞわり。
 全身を、一気に恐怖心が覆い尽くした。
 これは、確かな拒絶反応だ。
 肌のあちこちから嫌な汗が噴き出る。
 頭の中が真っ白になる。
 怖い。
 怖い、怖い、怖い、怖い――。

「みーなーとっ」

 ぎゅうっとお腹の辺りに感じた温もりで、我に返る。
 気付けば俺は、花楓に抱き締められていた。

「大丈夫だよー。心配しなくても、湊は、おれがちゃーんと守ってあげるから。ね? それなら安心でしょ?」

 にひっ、と花楓が笑う。
 その表情に俺は少しずつ、自分の嫌な感情が落ち着くのを感じた。

「質問。……本当に?」

「本当。本当に、湊だけは、おれが守ってあげる。約束」

「感謝。……ありがとう。希望。……信じる」

「ん。信じちゃえ信じちゃえー、ほらほら、洗面所行った行った!」

 花楓にぽん、と背中を軽く撫でられ、俺はふらふらとコンピュータスペースを後にする。
 花楓の言う通り俺はもう歳らしく、身体の節々が変な寝方をした所為で痛かった。

 ――花楓は。
 花楓は、セカンドアース第66地区代表ファイターだ。

 そして、俺はそんな花楓のサポーター。

 元々俺と花楓は、主に俺のハッキング、プラグラミング能力を主とするマルチな何でも屋を第66地区で営んでいた。
 花楓にゴーレム兵操縦の経験があったこと、花楓にどういうわけか上層部――バトル・ロボイヤルの運営に携わる存在とのパイプがあったことから、花楓がファイターに志願して、サポーターとして俺を誘ってくれて、現在に至る。

 俺は、花楓が居ないと何も出来ない。
 花楓に命を救われたあの日から、ずっと。

 まずこの口調からして、駄目なんだ。
 俺は人と喋る時、会話の最初に軽い意思表示を示す二文字程度の単語を挟まないと会話が出来ない。
 『希望』、とか『肯定』、とか。

 元々俺は他人の前で声を発することすら恐れるレベルで人との会話が苦手だったけれど、花楓の提案で、この手法なら何とか、ぎりぎり、人と話せるようになった。
 それでも、この口調をやめようとしたり、苦手なタイプの人間と相対したらストレスで嘔吐してしまう。
 いざという時は花楓にひたすら縋り、庇われ、守られてしまう。
 親子ほども歳の離れた子どもに依存しきっているこんな俺が、俺は嫌いで嫌いで仕方がなかった。
 もう寮暮らしなのに、花楓以外の人々とも関わらなければだめなのに。
 ――こんなんじゃ駄目だって、わかっているのに。
 それでも俺は、寮に来ても地下室を自分の部屋として使い、他者を拒絶して引きこもり続けていた。





 呼吸が荒い。
 風邪でもないのにマスクをして、寒くもないのにマフラーをぐるぐる巻いて、それで外界との接触を少しでも緩和した気になって。
 俺は怯え切ったまま、花楓にしがみつくようにセントラルエリアの街並みを歩いていた。
 花楓は俺に呆れもせず、俺を見捨てもせず、ただ優しく俺の手を引いてくれる。

「湊、怖い?」

「肯定……怖い。補足……とても、怖い……っ」

「ん、大丈夫大丈夫。おれから離れないでね」

 がたがたと人混みの恐怖で震える俺の心に、花楓の穏やかな声が染み渡る。
 花楓の傍に居る時だけ、俺は生きていてもいい、と思える気がする。

 ――そんな時、だった。
 不安であちこちうろつかせていた視線が、ある光景を捉えた。
 粗暴そうな青年グループに囲まれた、気の弱そうな眼鏡をかけた男の子。
 眼鏡の男の子は、青年たちに殴る蹴るの暴行を受けていた。

 ――これは。
 脳裏を、思い出したくもない記憶がフラッシュバックする。

 学校。
 教室。
 嘲笑。
 激痛。
 絶望。

 あれは、まるで――。
 ――俺、じゃないか。

 そこからは、無意識の行動だった。
 体力の無い俺らしくもなく一直線に駆けて、庇うように眼鏡の男の子を抱き締めた。
 男の子の代わりに、俺の背中に彼らの踵が、拳が、振り下ろされる。
 それがまた、あの頃の嫌な記憶を思い起こさせて。

「ぅ、うぐっ、ぅえっ」

 気がつけば、俺はぼたぼたとその場に嘔吐していた。
 眼鏡の男の子も青年グループも、誰もが困惑した空気が伝わってくる。
 当たり前だ、知らないおじさんが虐め現場に割り込んできて、いきなり吐き出したのだから。
 最初に沈黙を破ったのは、柄の悪い青年グループだった。
 聴こえて来たのは、俺の苦手な嘲笑。

「ははっ、何だこのおっさん! ヒーロー気取りか? 何吐いてんの? 酔ってんの?」

「うーわ、かっけー! うっぜー!」

「なあなあ、あれやってみようぜ! 顔ぞうきん!」

 未だにげえげえ吐いてる俺の襟首を、誰かが引っ掴む。

 ああ、俺は、何をやっているんだろう。
 こんな俺だけど、世界で一番かっこ悪い俺だけど。
 助けたいと思ったんだ、放っておけなかったんだ。
 実力の伴っていない未熟な正義感に、心底嫌気が差した。
 そうして、自己嫌悪が限界値に達した時。

「――おれの湊に、何してるの?」

 いつも俺を、暗闇から救ってくれる高い声が響いた。

 はっとして振り向くと、花楓が、俺のともだちが、平然とした様子でそこに立っていて。
 花楓は青年グループなど意に介さないかのように、自然な動作で俺に近寄って来た。

「もー! だめじゃん、湊! おれから離れたらー!」

 よしよし、と花楓が俺の頭を撫でてくれる。
 その温もりに、どうしようもなく泣きたくなった。

 ふと、花楓が身に纏う空気が変わる。
 花楓はくすりと笑うと、青年グループに向き直った。

「……湊のこと、イジメたんだ?」

 花楓の声が、冷え切っている。
 周囲の気温が、少し下がった気さえする。
 だけど、それらは青年グループには伝わっていないらしい。

「なんだあ? こいつ」

「まだガキじゃねーか!」

 花楓の姿かたちだけを見て、青年グループが侮ったような声を上げる。
 でも、花楓は笑みを深めて。

「そんなんで満足したんだ。浅いね。――ねえ、お兄さんたち。それよりおれと、イイことしない?」

 そう言うなり、がっと勢い良く花楓は一人の青年の腹を力いっぱい殴り飛ばした。
 虚を突かれたのか、殴られた青年は勢い良く吹っ飛ぶ。
 そのまま花楓は、ぽかんとしているもう一人の青年の股間を蹴り上げ、彼が悶えてる隙に顔面を踏みつけて。
 辛うじて一矢報いようとしてきた最後の青年の攻撃も難なく躱して、大柄な青年を投げ飛ばすと、その頭に自らの足を乗せた。

「にゃははっ」

 花楓が楽しそうに笑う。
 だけど、それも一瞬だった。
 花楓がすっと目を細め、無表情でぐりぐりと足に力を込める。

「――浅い悦楽に釣られた愚図は、地面に這いつくばってろよ」

 『それとも』、と前置きをして、花楓がずっと首から下げていたホイッスルを手に取った。
 親切にもこれまで俺の背中を擦ってくれていた眼鏡の男の子が、びっくりしたような顔を見せる。

「――もっと、切り刻まれたい?」

 花楓は妖しく笑うと、きゅっとホイッスルを握り締め。

「――降り臨め。タナトス」

 花楓がそっとホイッスルを吹くと、ばちばちと空に魔法陣が形成され、その中から5m級の人型ロボットが出て来た。
 通常のビッグバンダーより硬い装甲、機動力にやや欠けるが、攻撃性はかなり高い代物。
 チェーンソーを武器にした重量級ビッグバンダー『タナトス』。
 これが、花楓の機体だ。

 タナトスを前にした青年グループが、どよめく。

「……ひっ……び、ビッグバンダーだ!! ファイターだぞ! やべえ!! やべえぞこいつ!!」

「に、逃げろ!!」

 『タナトス』の圧に恐怖した青年グループが、顔面を真っ青にしながらその場から逃げて行った。
 花楓が声を上げて笑う。

「にゃははっ、だっせー。逃げてやんの」

 そう言うと、花楓はもう一度ホイッスルを吹く。
 タナトスは、魔法陣の中に吸い込まれるようにして姿を消した。

「あっ、湊! 大丈夫ー?」

「か……かえ……かえ、で……」

「うんうん、よしよし。一回吐いてスッキリしちゃいな」

 花楓が背中を優しく擦ってくれる。
 それに従い、俺は胃液をただひたすらに吐き出した。
 その間に花楓は眼鏡の男の子に意識を向けた。

「あ、お兄ちゃんは大丈夫ー? なんか変なのに絡まれてたみたいだけど」

「あっ、え、えと、ぼくは、大丈夫……」

「そう? 気にすることないからねー。あんな連中、社会的に見たらゴミ同然なんだから」

 ある程度吐き終わって、俺は呼吸を何とか整える。

 また、花楓に助けられてしまった。
 俺は何も出来ていない。むしろ事態をややこしくしただけだ。
 何で俺は、こんなに。

「あ、あの、お兄さん!」

 眼鏡の男の子が、意を決したように声を上げる。
 眼鏡越しのその大きな瞳は、真っ直ぐに俺を映していた。

「あ、あの、ありがとう。真っ先に駆け付けてくれて、ぼく、凄く、嬉しかったっ」

 …………え?

 何で。
 何で、俺に礼なんか言うんだ。
 俺は何も、何一つ、この子に良いことをしてやれていない。
 俺が困惑して声も出せずにいると、花楓がくいくい、と俺の腕を引っ張ってきた。

「っと、時間やばい。そろそろ上の人に怒られちゃう。行こ、湊」

「ぁ……了解。行く……」

「ほいじゃっ、ばいばーいっ! 眼鏡のお兄ちゃん!」

 にこやかに眼鏡の少年に手を振ると、花楓は俺の手を引いてまた街並みを進んで行く。
 その途中。

「――大丈夫、湊は良く頑張ったよ」

「否定……俺は……」

「大丈夫、なんだってば。湊はかっこよかったよ。大丈夫。さ、行こう?」

 花楓が振り返る。
 その瞳は、確かな自信に満ちていた。

「――おれたちで、このクソみたいな世界を見返してやるんだ」

 俺を助けてくれる、救ってくれる、傍に居てくれる花楓。
 俺はこのバトル・ロボイヤルで、サポーターとして花楓を少しでも助けられるのだろうか。
 俺はこんなに嫌いな俺自身を――いつかは、好きになれるのだろうか。
 何故だかふと、とても泣きそうになって、縋るように花楓の手をぎゅっと握った自分を、俺はまた嫌いになった。
 どうして。
 どうして俺は、花楓を守れないんだろう。
 ――どうして俺は、大人なのに大人になれないんだろう。
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