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第7章:銀狼のルナ
第32話:魂への対話
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ミシリ、と。
彼女の魂を覆っていた憎悪の氷壁に、確かに亀裂が入った。
その亀裂の奥から溢れ出したのは、燃え盛る故郷の森と、銀色に輝く狼たちの無数の亡骸。
あまりにも悲痛なその光景が、俺の脳裏に焼き付いて離れない。
「……ぐっ……ぁっ……!」
魂への強引な接続は、俺の精神にもすさまじい負荷をかけていた。
こめかみを万力で締め付けられるような激痛が走り、視界がぐにゃりと歪む。
だが、俺は観測をやめなかった。
今、この手を離してしまえば、彼女の魂は二度と開かれることはないだろう。
俺は、この亀裂の奥にある彼女の本当の物語を、全て見届ける必要があった。
「……何をした……人間ッ!」
少女の攻撃が、一瞬だけ鈍った。
俺の理解できない行動に、そして俺の瞳に映る何かを読み取ったかのように、その琥珀色の瞳にわずかな動揺が走る。
だが、それも一瞬のこと。
すぐに憎悪の炎がその動揺を焼き尽くし、彼女は再び獣のような速さで俺に襲いかかってきた。
俺は、もう戦わない。
懐から骨のナイフを抜くこともせず、ただひたすらに防御と回避に専念する。
その全ての意識、精神、魂を彼女の魂の奥底へと注ぎ込みながら。
(―――見せろ)
心の中で、強く念じる。
(お前の本当の物語を。
お前が、その憎悪の奥底に隠した本当の魂の姿を!)
俺の意識は先ほど開いた魂の亀裂から彼女の内側へと、濁流のように流れ込んでいく。
現実世界の音や、頬をかすめる爪の鋭い痛みすらも遠ざかっていく。
そして俺の世界は、再び書き換えられた。
◇ ◇ ◇
そこは、光に満ちていた。
二つの月が穏やかな光を投げかける、美しい夜の森。
木々の葉は銀色に輝き、地面には水晶のように透明な川が流れている。
鼻をくすぐるのは、むせ返るような生命の匂いと、澄み切った大気の香り。
(……ここが、彼女の……)
俺は、見ていた。
いや、体験していた。
銀狼の少女、ルナの魂の原風景を。
彼女は、森の中心にある巨大な古木の根元で、同胞たちに囲まれていた。
皆、彼女と同じ美しい銀色の髪と毛皮を持つ、誇り高き銀狼の獣人たち。
そこには憎しみも絶望もない。
ただ、家族と過ごす穏やかで、温かい時間だけがあった。
彼女は、仲間の中心で高らかに吠えた。
「―――アォォォォォォォンッ!」
それは俺が聞いた、あの闘争心を削ぐための咆哮ではない。
森の全ての生命と心を通わせるための、優しく力強い歌声だった。
その声にこたえるように、森の奥から鹿が、熊が、鳥たちが集まってくる。
彼らは彼女の前にひざまずき、まるで忠実な騎士のように頭を垂れた。
これが、彼女のかつての姿。
これが、彼女の奪われた天賦、《百獣の咆哮》。
森の王として、全ての獣たちを率いる気高きリーダー。
彼女の物語は、本来こんなにも光に満ちていたのだ。
だが、その平和は唐突に終わりを告げる。
森の端から、異質な匂いがした。
鉄と血、そして燃える木の匂い。
次の瞬間。
森は、紅蓮の炎に包まれた。
悲鳴が、あちこちから上がる。
銀色の毛皮が、炎に焼かれ黒く染まっていく。
穏やかだった獣たちの瞳は恐怖に歪み、逃げ惑っていた。
現れたのは、感情のない黒鎧の兵士たち。
神聖ロゴス帝国の、リュウガの番犬。
彼らは、まるで害虫でも駆除するかのように、銀狼の民を一方的に殺戮していく。
「やめろぉぉぉぉぉぉっっ!!」
彼女は、叫んだ。
そして、たった一人で帝国兵の前に立ちはだかる。
その手には黒曜石の短剣がきらめき、その瞳には仲間を守るという強い決意の光が宿っていた。
彼女は、森の王として戦った。
風のように駆け、雷のように爪を振るう。
その戦いぶりは、俺が相手にした時とは比べ物にならないほど力強く、そして気高かった。
だが、多勢に無勢。
彼女の体は、無数の刃によって切り刻まれていく。
そして、ついに力尽きその場に膝をついた、その時。
兵士たちが、モーゼの十戒のように左右に分かれた。
その中心から、ゆっくりと歩いてくる人影。
場違いなほど美しい、純白の衣をまとった男。
リュウガだった。
「――見事な戦いぶりだ、銀狼の王よ」
リュウガは、心の底から感心したように言った。
だがその瞳は、美しい芸術品を値踏みするかのように冷たい。
「お前のその天賦、実に興味深い。
俺のコレクションに加えてやることにした」
その言葉と同時に、リュウガの右手が黄金色の光を放つ。
ヴァルガンの時と、全く同じ光景。
魂そのものを凍てつかせる、悪魔の宣告。
「――《天賦強奪》」
「―――ッッ!!」
彼女の口から、声にならない絶叫がほとばしる。
魂が、引き裂かれる痛み。
誇りが、生きる意味が、仲間との絆が暴力的に魂から引き剥がされていく。
彼女の胸から溢れ出した光の球体――
《百獣の咆哮》が、リュウガの掌の中へと無慈悲に吸い込まれていった。
力が、抜けていく。
魂が、空っぽになっていく。
もう、森の獣たちの声は聞こえない。
仲間を率いるための、王の証は失われた。
彼女の物語は、そこで惨殺されたのだ。
◇ ◇ ◇
「―――ッッ!!」
俺の意識は、急速に現実へと引き戻された。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
肩で、息をする。
全身が、びっしょりと冷や汗で濡れていた。
彼女が体験した魂の痛みが、まるで自分のことのように俺の全身を駆け巡っていた。
俺の目の前で、少女はまだ俺を殺そうと爪を振りかざしている。
だが、その動きはもはや憎しみによるものではなく、ただ心の奥底の痛みに耐えかねて暴れているだけの、子供のかんしゃくのように見えた。
俺は、かろうじて彼女の攻撃を避けると、震える声で言った。
俺が観測した、彼女の失われた物語の断片を。
「……銀月の森は……燃えていたな」
その言葉に、少女の動きがピタリと止まった。
その琥珀色の瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
俺は、言葉を続けた。
彼女の魂に、直接語りかけるように。
「……お前の咆哮は、ただの威嚇じゃない。
森の獣たちを従える、気高き王の証だったはずだ」
少女の肩が小さく、震えた。
握りしめられた爪が、ガチガチと音を立てている。
「それを奪ったのは……
純白の衣をまとった、あの男か……?」
俺が、その光景を口にした瞬間。
「―――ッ!」
少女の瞳から、憎悪の色が急速に消えていった。
代わりに浮かび上がってきたのは、抑えきれないほどの激しい動揺と混乱。
そして固い氷の壁の奥底にずっと封じ込めていた、深い、深い悲しみの色だった。
彼女の強固な心の壁が、ガラガラと音を立てて崩れていくのが分かった。
俺は、もう一度だけ彼女の魂を観測した。
今度はもう、拒絶反応はない。
脳裏に、彼女の本当の情報が浮かび上がった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族名:銀狼の獣人(ルナ)
魂の物語:
【故郷】:銀月の森。仲間たちとの、温かい記憶。
【誇り】:森の王として、民を率いていたこと。
【絶望】:人間によって故郷を焼かれ、同胞を殺された悲劇。
【喪失】:リュウガによって、魂の核である天賦を奪われたこと。
【憎悪】:人間。この世から根絶やしにしたい。
【渇望】:もう一度、仲間と繋がりたい。孤独は、もう嫌だ。
失われた天賦:《百獣の咆哮》
弱点:
【物理】:銀製品。銀狼の血は、純粋な銀に触れると力を著しく削がれる。
【魔法】:炎への強い耐性。聖なる光の魔法には、極端に弱い。
【精神】:同胞の記憶。仲間との絆。孤独であることへの、根源的な恐怖。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「な……んで……」
少女の唇から、か細い声が漏れた。
それは、俺が初めて聞く彼女の本当の声だったのかもしれない。
「なんで……お前が、それを……知って……」
その声は、怒りではなくただ純粋な混乱と、どうしようもないほどの悲しみに濡れていた。
今まで彼女を支えていた憎悪という名の鎧が、俺の言葉によって完全に砕け散ってしまったのだ。
魂が、むき出しになっている。
もう、彼女に戦う力は残っていなかった。
「……!」
少女は、何かから逃れるように俺に背を向けた。
そして獣のような素早さで、その場から駆け出す。
岩場を飛び越え、闇の中へと。
俺は、彼女を追わなかった。
ただ、その小さく震える背中が闇に消えていくのを、静かに見送っていた。
今、彼女に必要なのは追撃ではない。
一人になって、自らの砕けた心と向き合う時間だ。
岩場には、静寂だけが残された。
俺は、その場にゆっくりと膝をついた。
魂を削るほどの観測で、俺の体力も限界だった。
だが、俺の心は不思議と穏やかだった。
初めて俺の力が、リュウガの《絶対王の勅令》にほんの少しだけ打ち勝ったのだ。
支配し奪う力ではなく、寄り添い繋がる力で。
俺は、彼女が走り去っていった暗闇を見つめた。
その瞳には、確かな手応えと新たな決意の光が宿っていた。
(……待ってろよ、ルナ)
(お前の物語は、まだ終わっちゃいない)
(俺が必ず、お前をその絶望から救い出してやる)
奈落の谷の冷たい風が、俺の頬を撫でていった。
それは、新たな物語の始まりを告げる風のようだった。
彼女の魂を覆っていた憎悪の氷壁に、確かに亀裂が入った。
その亀裂の奥から溢れ出したのは、燃え盛る故郷の森と、銀色に輝く狼たちの無数の亡骸。
あまりにも悲痛なその光景が、俺の脳裏に焼き付いて離れない。
「……ぐっ……ぁっ……!」
魂への強引な接続は、俺の精神にもすさまじい負荷をかけていた。
こめかみを万力で締め付けられるような激痛が走り、視界がぐにゃりと歪む。
だが、俺は観測をやめなかった。
今、この手を離してしまえば、彼女の魂は二度と開かれることはないだろう。
俺は、この亀裂の奥にある彼女の本当の物語を、全て見届ける必要があった。
「……何をした……人間ッ!」
少女の攻撃が、一瞬だけ鈍った。
俺の理解できない行動に、そして俺の瞳に映る何かを読み取ったかのように、その琥珀色の瞳にわずかな動揺が走る。
だが、それも一瞬のこと。
すぐに憎悪の炎がその動揺を焼き尽くし、彼女は再び獣のような速さで俺に襲いかかってきた。
俺は、もう戦わない。
懐から骨のナイフを抜くこともせず、ただひたすらに防御と回避に専念する。
その全ての意識、精神、魂を彼女の魂の奥底へと注ぎ込みながら。
(―――見せろ)
心の中で、強く念じる。
(お前の本当の物語を。
お前が、その憎悪の奥底に隠した本当の魂の姿を!)
俺の意識は先ほど開いた魂の亀裂から彼女の内側へと、濁流のように流れ込んでいく。
現実世界の音や、頬をかすめる爪の鋭い痛みすらも遠ざかっていく。
そして俺の世界は、再び書き換えられた。
◇ ◇ ◇
そこは、光に満ちていた。
二つの月が穏やかな光を投げかける、美しい夜の森。
木々の葉は銀色に輝き、地面には水晶のように透明な川が流れている。
鼻をくすぐるのは、むせ返るような生命の匂いと、澄み切った大気の香り。
(……ここが、彼女の……)
俺は、見ていた。
いや、体験していた。
銀狼の少女、ルナの魂の原風景を。
彼女は、森の中心にある巨大な古木の根元で、同胞たちに囲まれていた。
皆、彼女と同じ美しい銀色の髪と毛皮を持つ、誇り高き銀狼の獣人たち。
そこには憎しみも絶望もない。
ただ、家族と過ごす穏やかで、温かい時間だけがあった。
彼女は、仲間の中心で高らかに吠えた。
「―――アォォォォォォォンッ!」
それは俺が聞いた、あの闘争心を削ぐための咆哮ではない。
森の全ての生命と心を通わせるための、優しく力強い歌声だった。
その声にこたえるように、森の奥から鹿が、熊が、鳥たちが集まってくる。
彼らは彼女の前にひざまずき、まるで忠実な騎士のように頭を垂れた。
これが、彼女のかつての姿。
これが、彼女の奪われた天賦、《百獣の咆哮》。
森の王として、全ての獣たちを率いる気高きリーダー。
彼女の物語は、本来こんなにも光に満ちていたのだ。
だが、その平和は唐突に終わりを告げる。
森の端から、異質な匂いがした。
鉄と血、そして燃える木の匂い。
次の瞬間。
森は、紅蓮の炎に包まれた。
悲鳴が、あちこちから上がる。
銀色の毛皮が、炎に焼かれ黒く染まっていく。
穏やかだった獣たちの瞳は恐怖に歪み、逃げ惑っていた。
現れたのは、感情のない黒鎧の兵士たち。
神聖ロゴス帝国の、リュウガの番犬。
彼らは、まるで害虫でも駆除するかのように、銀狼の民を一方的に殺戮していく。
「やめろぉぉぉぉぉぉっっ!!」
彼女は、叫んだ。
そして、たった一人で帝国兵の前に立ちはだかる。
その手には黒曜石の短剣がきらめき、その瞳には仲間を守るという強い決意の光が宿っていた。
彼女は、森の王として戦った。
風のように駆け、雷のように爪を振るう。
その戦いぶりは、俺が相手にした時とは比べ物にならないほど力強く、そして気高かった。
だが、多勢に無勢。
彼女の体は、無数の刃によって切り刻まれていく。
そして、ついに力尽きその場に膝をついた、その時。
兵士たちが、モーゼの十戒のように左右に分かれた。
その中心から、ゆっくりと歩いてくる人影。
場違いなほど美しい、純白の衣をまとった男。
リュウガだった。
「――見事な戦いぶりだ、銀狼の王よ」
リュウガは、心の底から感心したように言った。
だがその瞳は、美しい芸術品を値踏みするかのように冷たい。
「お前のその天賦、実に興味深い。
俺のコレクションに加えてやることにした」
その言葉と同時に、リュウガの右手が黄金色の光を放つ。
ヴァルガンの時と、全く同じ光景。
魂そのものを凍てつかせる、悪魔の宣告。
「――《天賦強奪》」
「―――ッッ!!」
彼女の口から、声にならない絶叫がほとばしる。
魂が、引き裂かれる痛み。
誇りが、生きる意味が、仲間との絆が暴力的に魂から引き剥がされていく。
彼女の胸から溢れ出した光の球体――
《百獣の咆哮》が、リュウガの掌の中へと無慈悲に吸い込まれていった。
力が、抜けていく。
魂が、空っぽになっていく。
もう、森の獣たちの声は聞こえない。
仲間を率いるための、王の証は失われた。
彼女の物語は、そこで惨殺されたのだ。
◇ ◇ ◇
「―――ッッ!!」
俺の意識は、急速に現実へと引き戻された。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
肩で、息をする。
全身が、びっしょりと冷や汗で濡れていた。
彼女が体験した魂の痛みが、まるで自分のことのように俺の全身を駆け巡っていた。
俺の目の前で、少女はまだ俺を殺そうと爪を振りかざしている。
だが、その動きはもはや憎しみによるものではなく、ただ心の奥底の痛みに耐えかねて暴れているだけの、子供のかんしゃくのように見えた。
俺は、かろうじて彼女の攻撃を避けると、震える声で言った。
俺が観測した、彼女の失われた物語の断片を。
「……銀月の森は……燃えていたな」
その言葉に、少女の動きがピタリと止まった。
その琥珀色の瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
俺は、言葉を続けた。
彼女の魂に、直接語りかけるように。
「……お前の咆哮は、ただの威嚇じゃない。
森の獣たちを従える、気高き王の証だったはずだ」
少女の肩が小さく、震えた。
握りしめられた爪が、ガチガチと音を立てている。
「それを奪ったのは……
純白の衣をまとった、あの男か……?」
俺が、その光景を口にした瞬間。
「―――ッ!」
少女の瞳から、憎悪の色が急速に消えていった。
代わりに浮かび上がってきたのは、抑えきれないほどの激しい動揺と混乱。
そして固い氷の壁の奥底にずっと封じ込めていた、深い、深い悲しみの色だった。
彼女の強固な心の壁が、ガラガラと音を立てて崩れていくのが分かった。
俺は、もう一度だけ彼女の魂を観測した。
今度はもう、拒絶反応はない。
脳裏に、彼女の本当の情報が浮かび上がった。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族名:銀狼の獣人(ルナ)
魂の物語:
【故郷】:銀月の森。仲間たちとの、温かい記憶。
【誇り】:森の王として、民を率いていたこと。
【絶望】:人間によって故郷を焼かれ、同胞を殺された悲劇。
【喪失】:リュウガによって、魂の核である天賦を奪われたこと。
【憎悪】:人間。この世から根絶やしにしたい。
【渇望】:もう一度、仲間と繋がりたい。孤独は、もう嫌だ。
失われた天賦:《百獣の咆哮》
弱点:
【物理】:銀製品。銀狼の血は、純粋な銀に触れると力を著しく削がれる。
【魔法】:炎への強い耐性。聖なる光の魔法には、極端に弱い。
【精神】:同胞の記憶。仲間との絆。孤独であることへの、根源的な恐怖。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「な……んで……」
少女の唇から、か細い声が漏れた。
それは、俺が初めて聞く彼女の本当の声だったのかもしれない。
「なんで……お前が、それを……知って……」
その声は、怒りではなくただ純粋な混乱と、どうしようもないほどの悲しみに濡れていた。
今まで彼女を支えていた憎悪という名の鎧が、俺の言葉によって完全に砕け散ってしまったのだ。
魂が、むき出しになっている。
もう、彼女に戦う力は残っていなかった。
「……!」
少女は、何かから逃れるように俺に背を向けた。
そして獣のような素早さで、その場から駆け出す。
岩場を飛び越え、闇の中へと。
俺は、彼女を追わなかった。
ただ、その小さく震える背中が闇に消えていくのを、静かに見送っていた。
今、彼女に必要なのは追撃ではない。
一人になって、自らの砕けた心と向き合う時間だ。
岩場には、静寂だけが残された。
俺は、その場にゆっくりと膝をついた。
魂を削るほどの観測で、俺の体力も限界だった。
だが、俺の心は不思議と穏やかだった。
初めて俺の力が、リュウガの《絶対王の勅令》にほんの少しだけ打ち勝ったのだ。
支配し奪う力ではなく、寄り添い繋がる力で。
俺は、彼女が走り去っていった暗闇を見つめた。
その瞳には、確かな手応えと新たな決意の光が宿っていた。
(……待ってろよ、ルナ)
(お前の物語は、まだ終わっちゃいない)
(俺が必ず、お前をその絶望から救い出してやる)
奈落の谷の冷たい風が、俺の頬を撫でていった。
それは、新たな物語の始まりを告げる風のようだった。
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