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第8章:再誕の奇跡
第35話:『再誕』の覚悟
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(……食ったか)
俺の口元に浮かんだのは、この谷に来てから初めてかもしれない、穏やかな笑みだった。
遠く離れた洞窟の中で、俺はルナの魂にかすかな変化を感じ取っていた。
憎悪と絶望で塗り固められていた彼女の魂に、本当に小さな、ろうそくの火のようにか細いが、確かに温かい光が灯ったのを。
それは、ほんの小さな一歩だ。
だが、この分厚い絶望に閉ざされた世界を動かすための、何よりも大きな一歩だった。
俺の心は、奇妙な高揚感に包まれていた。
だが、それは獲物を手懐けた狩人の満足感とは違う。
もっと純粋で、温かい何か。
前世では、決して感じることのなかった感情。
芽生えた信頼の種は、まだあまりにもか弱く、もろい。
少しでも強い風が吹けば、いとも簡単に消し飛んでしまうだろう。
この種をどう育てていくか。
どうすれば、彼女の失われた物語を本当の意味で取り戻すことができるのか。
俺は、暗闇の中で静かに思考を巡らせた。
そこで、俺は改めて自らの力と向き合うことになる。
《物語の観測者》。
この世界で授かった、たった一つの俺の天賦。
リュウガに「使えない」と判断された、欠陥品の力。
俺は今までこの力を、ただ無意識に、そして反射的に使ってきたに過ぎない。
スラム街で出会った、天賦が暴走していた少年レオ。
あの時俺は、彼を救おうとしたわけではなかった。
ただ彼の魂に刻まれた「仲間と繋がりたい」という悲痛な叫びに、前世の自分を重ねて強く共感しただけだ。
結果として、彼の天賦は安定した。
枯れかけた花を手に泣いていた、あの女性もそうだ。
亡き夫との思い出を大切にしたいという彼女の物語に、俺はただ寄り添っただけ。
奈落の猟犬や岩石猪を狩る時は生き延びたいという一心で、ただその弱点を「情報」として抜き取った。
全てが、無自覚。
全てが、場当たり的。
俺は、この力の本当の意味を、その本質を、まだ何も理解していなかったのだ。
俺の脳裏に、スラムの住民たちが俺につけた、あの少し気恥ずかしい二つ名が蘇る。
『再誕の賢者』。
彼らは、俺がただそこにいるだけで、よどんだ天賦が「生まれ変わった」ように安定すると言っていた。
再誕。
そう、生まれ変わりだ。
俺の力は、ただ他人の物語を「観測」するだけの力じゃない。
壊れてしまった物語、あるいはリュウガによって奪われ引き裂かれた物語の残骸から新たな物語の「種」を見つけ出し、再び芽吹かせる手助けをする力。
リュウガが物語を「終わらせる」力なのだとすれば、俺の力は物語を「始めさせる」力なのだ。
(……《再誕の観測》……)
俺の脳内に、もう一つの名前が浮かび上がった。
そうだ。
これこそが、俺の力の本当の名前。
《物語の観測者》という広大な能力の中に隠された、その真の核心。
リュウガは、他人の魂から天賦という名の果実を暴力的に「強奪」する。
だが、俺は違う。
俺は、魂という大地に眠る新たな可能性の種を見つけ出し、持ち主が自らの力でそれを育てられるようにほんの少しだけ光を当てる。
支配じゃない。
共感だ。
奪うのではなく、与えるのでもない。
ただ、そこにあるものを肯定し、共に育む。
なんとリュウガのやり方とは正反対の、そして彼には決して理解できない力だろうか。
だからこそ彼は、俺の力を「使えない」と判断したのだ。
彼の価値観では、支配できない力など無価値でしかないのだから。
その事実に思い至った瞬間。
俺の中で燃えていた復讐の炎が、その色を明確に変えた。
もはや、それはリュウガ個人への憎しみだけではない。
彼の創り上げた、人の物語を部品のように扱う冷徹な「仕組み」そのものへの、絶対的な反逆の意志。
そして、その反逆の狼煙を上げるための最初の戦いが、今まさに始まろうとしている。
ルナを、救うこと。
それが、俺の戦いの始まりだ。
彼女は、俺と同じリュウガの犠牲者だ。
故郷を焼かれ、同胞を殺され、誇りである天賦を奪われた。
その魂は、人間への憎悪という分厚い氷の壁に閉ざされている。
俺が焚き火と肉で溶かした壁は、ほんの表面に過ぎない。
その奥深くには決して癒えることのない巨大な傷口が、今もなお熱い血を流し続けているはずだ。
あの傷を放置すれば、芽生えた信頼の種などすぐに腐り落ちてしまうだろう。
彼女を本当に救うためには俺が彼女の魂の奥深くまで潜り、その傷口に直接触れなければならない。
彼女が目を背け続けてきた、あの悲劇の記憶と、もう一度向き合わせる必要がある。
それは、あまりにも危険な賭けだ。
下手をすれば、彼女の魂は完全に砕け散ってしまうかもしれない。
そして、俺自身も無事では済まないだろう。
彼女の魂を引き裂いたあの絶望と痛みを、俺もまた観測者として共に体験することになるのだから。
(……怖いか?)
自問する。
答えは、イエスだ。
怖い。
他人の魂の最も繊細な部分に、自分の意志で踏み込むことの重さ。
その責任。
考えただけで、足がすくむ。
だが。
俺の脳裏に、肉をかじりながら涙を流していたルナの姿が浮かんだ。
あの涙は、彼女がまだ完全に希望を捨てていない証拠だ。
心の奥底では、誰かに救われることをずっと待ち望んでいた魂の叫びだ。
俺は、その声を聞いてしまった。
前世の俺は、いつだって逃げてきた。
面倒なことから、責任から、自分の人生そのものから。
歯車でいる方が楽だったからだ。
だが今世では、本気で生きると誓ったはずだ。
自分の物語を、自分の意志で紡ぐと。
ならば、今こそ覚悟を決める時だ。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
洞窟の暗闇の中で、固く拳を握りしめる。
もう、迷いはない。
俺は、初めて自分の意志で、意識的にこの力を使う。
復讐のためでも、生き延びるためでもない。
ただ、目の前の一つの傷ついた魂を救うためだけに。
俺の《再誕の観測》の力を。
これは、俺の物語の始まりだ。
リュウガが捨てたゴミ箱の中から、最初の仲間と共に這い上がるための。
そして、いずれ彼の偽りの理想郷を終わらせるための、最初の一歩。
俺は、暗闇の中で静かに息を吸い込んだ。
その瞳に宿るのは獣のような生存本能ではない。
ましてや復讐心に燃える狂気でもない。
ただ一人の人間を救うと決めた男の、どこまでも静かで、そして鋼のように硬い覚悟の光だった。
俺は、骨のナイフを腰に差すと、再びルナの寝ぐらがある谷の最奥部へと、今度は一切の迷いのない足取りで歩き始めた。
俺の口元に浮かんだのは、この谷に来てから初めてかもしれない、穏やかな笑みだった。
遠く離れた洞窟の中で、俺はルナの魂にかすかな変化を感じ取っていた。
憎悪と絶望で塗り固められていた彼女の魂に、本当に小さな、ろうそくの火のようにか細いが、確かに温かい光が灯ったのを。
それは、ほんの小さな一歩だ。
だが、この分厚い絶望に閉ざされた世界を動かすための、何よりも大きな一歩だった。
俺の心は、奇妙な高揚感に包まれていた。
だが、それは獲物を手懐けた狩人の満足感とは違う。
もっと純粋で、温かい何か。
前世では、決して感じることのなかった感情。
芽生えた信頼の種は、まだあまりにもか弱く、もろい。
少しでも強い風が吹けば、いとも簡単に消し飛んでしまうだろう。
この種をどう育てていくか。
どうすれば、彼女の失われた物語を本当の意味で取り戻すことができるのか。
俺は、暗闇の中で静かに思考を巡らせた。
そこで、俺は改めて自らの力と向き合うことになる。
《物語の観測者》。
この世界で授かった、たった一つの俺の天賦。
リュウガに「使えない」と判断された、欠陥品の力。
俺は今までこの力を、ただ無意識に、そして反射的に使ってきたに過ぎない。
スラム街で出会った、天賦が暴走していた少年レオ。
あの時俺は、彼を救おうとしたわけではなかった。
ただ彼の魂に刻まれた「仲間と繋がりたい」という悲痛な叫びに、前世の自分を重ねて強く共感しただけだ。
結果として、彼の天賦は安定した。
枯れかけた花を手に泣いていた、あの女性もそうだ。
亡き夫との思い出を大切にしたいという彼女の物語に、俺はただ寄り添っただけ。
奈落の猟犬や岩石猪を狩る時は生き延びたいという一心で、ただその弱点を「情報」として抜き取った。
全てが、無自覚。
全てが、場当たり的。
俺は、この力の本当の意味を、その本質を、まだ何も理解していなかったのだ。
俺の脳裏に、スラムの住民たちが俺につけた、あの少し気恥ずかしい二つ名が蘇る。
『再誕の賢者』。
彼らは、俺がただそこにいるだけで、よどんだ天賦が「生まれ変わった」ように安定すると言っていた。
再誕。
そう、生まれ変わりだ。
俺の力は、ただ他人の物語を「観測」するだけの力じゃない。
壊れてしまった物語、あるいはリュウガによって奪われ引き裂かれた物語の残骸から新たな物語の「種」を見つけ出し、再び芽吹かせる手助けをする力。
リュウガが物語を「終わらせる」力なのだとすれば、俺の力は物語を「始めさせる」力なのだ。
(……《再誕の観測》……)
俺の脳内に、もう一つの名前が浮かび上がった。
そうだ。
これこそが、俺の力の本当の名前。
《物語の観測者》という広大な能力の中に隠された、その真の核心。
リュウガは、他人の魂から天賦という名の果実を暴力的に「強奪」する。
だが、俺は違う。
俺は、魂という大地に眠る新たな可能性の種を見つけ出し、持ち主が自らの力でそれを育てられるようにほんの少しだけ光を当てる。
支配じゃない。
共感だ。
奪うのではなく、与えるのでもない。
ただ、そこにあるものを肯定し、共に育む。
なんとリュウガのやり方とは正反対の、そして彼には決して理解できない力だろうか。
だからこそ彼は、俺の力を「使えない」と判断したのだ。
彼の価値観では、支配できない力など無価値でしかないのだから。
その事実に思い至った瞬間。
俺の中で燃えていた復讐の炎が、その色を明確に変えた。
もはや、それはリュウガ個人への憎しみだけではない。
彼の創り上げた、人の物語を部品のように扱う冷徹な「仕組み」そのものへの、絶対的な反逆の意志。
そして、その反逆の狼煙を上げるための最初の戦いが、今まさに始まろうとしている。
ルナを、救うこと。
それが、俺の戦いの始まりだ。
彼女は、俺と同じリュウガの犠牲者だ。
故郷を焼かれ、同胞を殺され、誇りである天賦を奪われた。
その魂は、人間への憎悪という分厚い氷の壁に閉ざされている。
俺が焚き火と肉で溶かした壁は、ほんの表面に過ぎない。
その奥深くには決して癒えることのない巨大な傷口が、今もなお熱い血を流し続けているはずだ。
あの傷を放置すれば、芽生えた信頼の種などすぐに腐り落ちてしまうだろう。
彼女を本当に救うためには俺が彼女の魂の奥深くまで潜り、その傷口に直接触れなければならない。
彼女が目を背け続けてきた、あの悲劇の記憶と、もう一度向き合わせる必要がある。
それは、あまりにも危険な賭けだ。
下手をすれば、彼女の魂は完全に砕け散ってしまうかもしれない。
そして、俺自身も無事では済まないだろう。
彼女の魂を引き裂いたあの絶望と痛みを、俺もまた観測者として共に体験することになるのだから。
(……怖いか?)
自問する。
答えは、イエスだ。
怖い。
他人の魂の最も繊細な部分に、自分の意志で踏み込むことの重さ。
その責任。
考えただけで、足がすくむ。
だが。
俺の脳裏に、肉をかじりながら涙を流していたルナの姿が浮かんだ。
あの涙は、彼女がまだ完全に希望を捨てていない証拠だ。
心の奥底では、誰かに救われることをずっと待ち望んでいた魂の叫びだ。
俺は、その声を聞いてしまった。
前世の俺は、いつだって逃げてきた。
面倒なことから、責任から、自分の人生そのものから。
歯車でいる方が楽だったからだ。
だが今世では、本気で生きると誓ったはずだ。
自分の物語を、自分の意志で紡ぐと。
ならば、今こそ覚悟を決める時だ。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
洞窟の暗闇の中で、固く拳を握りしめる。
もう、迷いはない。
俺は、初めて自分の意志で、意識的にこの力を使う。
復讐のためでも、生き延びるためでもない。
ただ、目の前の一つの傷ついた魂を救うためだけに。
俺の《再誕の観測》の力を。
これは、俺の物語の始まりだ。
リュウガが捨てたゴミ箱の中から、最初の仲間と共に這い上がるための。
そして、いずれ彼の偽りの理想郷を終わらせるための、最初の一歩。
俺は、暗闇の中で静かに息を吸い込んだ。
その瞳に宿るのは獣のような生存本能ではない。
ましてや復讐心に燃える狂気でもない。
ただ一人の人間を救うと決めた男の、どこまでも静かで、そして鋼のように硬い覚悟の光だった。
俺は、骨のナイフを腰に差すと、再びルナの寝ぐらがある谷の最奥部へと、今度は一切の迷いのない足取りで歩き始めた。
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