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第10章:賭博都市と嘘喰いの道化師
第48話:道化師の悪夢
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帝国の、追手。
最悪のタイミングで、最悪の敵が現れた。
◇ ◇ ◇
吹き飛んだ扉の残骸が、床に散らばる。
夕暮れの赤い光が、逆光となって道化師の不気味なシルエットを縁取っていた。
宿の一室の、張り詰めた空気。
俺たちは、息を呑んで目の前の男を睨みつけていた。
「……何者だ、てめえは」
最初に沈黙を破ったのは、ルナだった。
彼女はすでに身を低くし、いつでも飛びかかれる体勢をとっている。
その手には、黒曜石の短剣が逆手に握られ、獣の警戒心がその全身から殺気となって放たれていた。
「おやおや、怖い顔だこと」
道化師は、芝居がかった仕草で肩をすくめた。
「ボクの名前はピエロ。
リュウガ様が創り上げる完璧な世界の、ほんのちょっとしたお掃除を任されている者さ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏をヴァルガンの最期の姿がよぎった。
こいつも、リュウガの駒。
人の心を弄び、物語を奪う悪魔の使い。
「……追ってきたか、帝国の犬め」
俺は、低い声で言った。
「奈落の谷まで捨てた俺たちを、今さらどうしようって言うんだ?」
「さて、どうしようかねぇ?」
ピエロは、心底楽しそうに首を傾げた。
「リュウガ様は、こう仰っていたよ。
『君の好きにしていい』ってね。
殺すのも、生かすのも、弄んで壊してしまうのも、全部ボクの自由なのさ!
ああ、なんて素晴らしい!
なんて寛大なご主人様なんだ!」
彼は恍惚とした表情で天を仰ぐ。
その瞳に宿るのは、リュウガへの絶対的な、そして狂信的なまでの忠誠心だった。
その狂気に、ルナの堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけたこと、言ってんじゃねえぞ!」
銀色の影が、床を蹴った。
ルナの動きは、奈落の谷で俺が戦った時よりもさらに速く、鋭い。
一直線に、ピエロの心臓めがけて突き進む。
だが、ピエロは避けなかった。
それどころか、その顔に浮かべていた狂気の笑みを、ふっと哀れみに満ちたものへと変えた。
まるで、これから起こる悲劇を嘆くかのように。
そして彼は、歌うように言った。
あまりにも、優しく。
「――可哀想に。
孤独な、可哀想な子狼ちゃん」
その言葉が、俺たちのいる空間を歪ませた。
「君の背中に、仲間なんて一人もいやしないじゃないか」
それは、嘘だった。
当たり前の、大嘘だ。
ルナの背後には、俺とエルゴが確かにいる。
だが、ピエロがその言葉を口にした瞬間。
彼の天賦が、発動した。
「―――ッ!?」
奴の喉元まで迫っていたルナの動きが、ぴたりと止まった。
その琥珀色の瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
彼女の視線は、俺たちがいるはずの場所をすり抜けて、何もない宿の壁を捉えていた。
「……え……?」
か細い声が、彼女の唇から漏れた。
「……ケント……?
エルゴ……? どこ……?」
俺とエルゴは、ここにいる。
だが、彼女には俺たちの姿が見えていない。
声も、聞こえていない。
彼女の世界から、俺たちの存在そのものが、まるで最初からなかったかのように消え去ってしまったのだ。
「……アタシは……また……独り……?」
彼女の魂が、絶望に揺れるのが分かった。
せっかく手に入れた仲間との絆という光が、たった一言の嘘によって強制的に断ち切られる。
奈落の底で感じていた、あの絶対的な孤独。
その記憶が、トラウマとなって彼女の心を縛り付けていく。
彼女の体から、力が抜けていくのが見えた。
戦うための牙が、内側から折られてしまったのだ。
「……な……んて、ことを……」
エルゴが、震える声で呟いた。
彼は、目の前で起こっている現象が、ただの幻覚ではないことを見抜いていた。
これは、人の認識そのものを書き換える、恐るべき精神攻撃。
「おっと、お爺ちゃんも動いちゃダメじゃないか」
ピエロが、今度はエルゴにその悪意の視線を向けた。
エルゴは、咄嗟にその手に持つ傘を杖のように突き、自らの天賦を発動させようとする。
だが、ピエロの方が早かった。
彼は、まるで世間話でもするかのように、軽く言った。
「足元に、気をつけて。
そこの床、昨日からずっとぬかるんでるんだ。
まるで、底なし沼みたいにね」
「なっ……!?」
エルゴの足が、ズブリと床に沈んだ。
硬いはずの木の床が、まるで粘度の高い泥沼のようにその姿を変え、エルゴの足首を、脹脛を飲み込んでいく。
「……ぐ……! 動けん……!」
エルゴは、必死に足を引き抜こうとする。
だが、もがけばもがくほど、その体は深く沈んでいくだけだった。
ルナは、孤独という名の檻に閉じ込められ。
エルゴは、偽りの沼にその動きを封じられる。
たった二言の嘘で、俺の仲間は完全に無力化されてしまった。
最悪のタイミングで、最悪の敵が現れた。
◇ ◇ ◇
吹き飛んだ扉の残骸が、床に散らばる。
夕暮れの赤い光が、逆光となって道化師の不気味なシルエットを縁取っていた。
宿の一室の、張り詰めた空気。
俺たちは、息を呑んで目の前の男を睨みつけていた。
「……何者だ、てめえは」
最初に沈黙を破ったのは、ルナだった。
彼女はすでに身を低くし、いつでも飛びかかれる体勢をとっている。
その手には、黒曜石の短剣が逆手に握られ、獣の警戒心がその全身から殺気となって放たれていた。
「おやおや、怖い顔だこと」
道化師は、芝居がかった仕草で肩をすくめた。
「ボクの名前はピエロ。
リュウガ様が創り上げる完璧な世界の、ほんのちょっとしたお掃除を任されている者さ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏をヴァルガンの最期の姿がよぎった。
こいつも、リュウガの駒。
人の心を弄び、物語を奪う悪魔の使い。
「……追ってきたか、帝国の犬め」
俺は、低い声で言った。
「奈落の谷まで捨てた俺たちを、今さらどうしようって言うんだ?」
「さて、どうしようかねぇ?」
ピエロは、心底楽しそうに首を傾げた。
「リュウガ様は、こう仰っていたよ。
『君の好きにしていい』ってね。
殺すのも、生かすのも、弄んで壊してしまうのも、全部ボクの自由なのさ!
ああ、なんて素晴らしい!
なんて寛大なご主人様なんだ!」
彼は恍惚とした表情で天を仰ぐ。
その瞳に宿るのは、リュウガへの絶対的な、そして狂信的なまでの忠誠心だった。
その狂気に、ルナの堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけたこと、言ってんじゃねえぞ!」
銀色の影が、床を蹴った。
ルナの動きは、奈落の谷で俺が戦った時よりもさらに速く、鋭い。
一直線に、ピエロの心臓めがけて突き進む。
だが、ピエロは避けなかった。
それどころか、その顔に浮かべていた狂気の笑みを、ふっと哀れみに満ちたものへと変えた。
まるで、これから起こる悲劇を嘆くかのように。
そして彼は、歌うように言った。
あまりにも、優しく。
「――可哀想に。
孤独な、可哀想な子狼ちゃん」
その言葉が、俺たちのいる空間を歪ませた。
「君の背中に、仲間なんて一人もいやしないじゃないか」
それは、嘘だった。
当たり前の、大嘘だ。
ルナの背後には、俺とエルゴが確かにいる。
だが、ピエロがその言葉を口にした瞬間。
彼の天賦が、発動した。
「―――ッ!?」
奴の喉元まで迫っていたルナの動きが、ぴたりと止まった。
その琥珀色の瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
彼女の視線は、俺たちがいるはずの場所をすり抜けて、何もない宿の壁を捉えていた。
「……え……?」
か細い声が、彼女の唇から漏れた。
「……ケント……?
エルゴ……? どこ……?」
俺とエルゴは、ここにいる。
だが、彼女には俺たちの姿が見えていない。
声も、聞こえていない。
彼女の世界から、俺たちの存在そのものが、まるで最初からなかったかのように消え去ってしまったのだ。
「……アタシは……また……独り……?」
彼女の魂が、絶望に揺れるのが分かった。
せっかく手に入れた仲間との絆という光が、たった一言の嘘によって強制的に断ち切られる。
奈落の底で感じていた、あの絶対的な孤独。
その記憶が、トラウマとなって彼女の心を縛り付けていく。
彼女の体から、力が抜けていくのが見えた。
戦うための牙が、内側から折られてしまったのだ。
「……な……んて、ことを……」
エルゴが、震える声で呟いた。
彼は、目の前で起こっている現象が、ただの幻覚ではないことを見抜いていた。
これは、人の認識そのものを書き換える、恐るべき精神攻撃。
「おっと、お爺ちゃんも動いちゃダメじゃないか」
ピエロが、今度はエルゴにその悪意の視線を向けた。
エルゴは、咄嗟にその手に持つ傘を杖のように突き、自らの天賦を発動させようとする。
だが、ピエロの方が早かった。
彼は、まるで世間話でもするかのように、軽く言った。
「足元に、気をつけて。
そこの床、昨日からずっとぬかるんでるんだ。
まるで、底なし沼みたいにね」
「なっ……!?」
エルゴの足が、ズブリと床に沈んだ。
硬いはずの木の床が、まるで粘度の高い泥沼のようにその姿を変え、エルゴの足首を、脹脛を飲み込んでいく。
「……ぐ……! 動けん……!」
エルゴは、必死に足を引き抜こうとする。
だが、もがけばもがくほど、その体は深く沈んでいくだけだった。
ルナは、孤独という名の檻に閉じ込められ。
エルゴは、偽りの沼にその動きを封じられる。
たった二言の嘘で、俺の仲間は完全に無力化されてしまった。
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