36 / 55
第三章:レシートの終わりと最後の鍵
第三十六話:圭の痕跡
しおりを挟む
「これは、以前、ある男性のお客様から承った、特別なコースですね」
俥夫の言葉に、遥の心臓は高鳴り続けていた。
圭が残したレシートが、本当にここでも繋がっている。
この人力車の特別コースもまた、圭が遥のために仕込んでくれたものなのだと、遥は確信した。
「あの、その男性の方というのは…?」
遥は、わずかに震える声で尋ねた。
俥夫は遥の言葉に、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ、その男性の方は、半年ほど前になりますか。大変熱心な方でしてね。
お電話で問い合わせがあったんです。
ご自身は来られないが、恋人が喜びそうな場所を巡るルートを、時間をかけて一緒にオンラインの打ち合わせで考えてくれないかと。
それはもう、細かく、ひとつひとつの景色について、どんな風に見えるか、どんなことを感じるだろうか、と真剣に相談してくださいましたよ」
俥夫の言葉は、まるで圭の声が聞こえてくるかのようだった。
圭が、遥の喜ぶ顔を想像しながら、遠く離れた場所から、見えない労力を費やしてくれていたのだと思うと、遥の胸は熱くなる。
「その方は、ご自身が人力車に乗るのではなく、恋人に、このルートを体験させてあげてほしいと。
料金も前払いしてくださって、
『特別コースのレシートを持つ女性が来たら、どうか一番心を込めて、その景色を届けてやってほしい』
と、そう頼まれていました」
俥夫の言葉が、遥の心をじんわりと満たしていく。
圭は、自身の余命を知り、遥のためにこの旅を計画していたのだろうか。
そう思うと、胸が締め付けられるほど切なくなった。
彼の深い愛情と、遥の未来を想う周到な計画性が、今、目の前で鮮やかに明らかになっていく。
「まさか、そんな風に……」
遥は言葉を失った。
俥夫は、遥の感情を察したように、優しく微笑んだ。
「その方が、お客様にとってどれほど大切な方なのか、私には分かりかねますが、お話しぶりから察するに、きっとそうなのでしょうね。
その方の想いを、私が責任を持って、この人力車に乗せてお届けいたします」
遥は、涙が溢れそうになるのを必死でこらえ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。お願いします」
人力車に乗り込み、遥は深く息を吐いた。
俥夫が力強く車を引き始める。
ガタゴトと、車輪が石畳の上を軽快に進む音が、心地よく響いた。
最初に人力車が向かったのは、ガイドブックにも載っていた嵐山の竹林だ。
高く伸びた竹が空を覆い、辺りは幻想的な緑の光に包まれている。
風が竹の葉を揺らし、さやさやと優しい音が響き渡る。
「まるで、竹が歌っているようですね」
遥が思わずそう呟くと、俥夫が振り返ってにこやかに言った。
「ええ、お客様がおっしゃった通り、この竹林は、風が吹くたびに様々な音色を奏でてくれます。
まるで、森の精霊たちが語りかけているかのようでしょう」
圭は、きっと遥がこの竹林の音色に感動することを想像していたに違いない。
遥は目を閉じ、風の音に耳を傾けた。
その音の中に、圭の優しい声が混じっているような気がした。
竹林を抜け、次に人力車は桂川沿いの小道をゆっくりと進む。
錦秋の嵐山は、紅葉が始まったばかりの木々と、まだ緑を残す木々が織りなすグラデーションが美しかった。
川面には、夕焼けのオレンジ色が映り込み、きらきらと輝いている。
「この景色も、彼が特にこだわっていた場所ですよ」と、俥夫が声をかけてきた。
圭の想いが、この景色の一つ一つに込められている。
遥は、隣に圭がいるような錯覚に陥り、彼の大きな手が、遥の肩をそっと抱き寄せるような温かさを感じた。
この人力車の旅は、圭が遥のために用意してくれた、特別な時間だった。
ただ美しい景色を見せるだけではない。
遥の心に、圭の深い愛を、温かく、じんわりと染み込ませるための、彼の最後の贈り物。
遥は、胸いっぱいに秋の風を吸い込み、彼の愛の大きさに、ただただ感動していた。
俥夫の言葉に、遥の心臓は高鳴り続けていた。
圭が残したレシートが、本当にここでも繋がっている。
この人力車の特別コースもまた、圭が遥のために仕込んでくれたものなのだと、遥は確信した。
「あの、その男性の方というのは…?」
遥は、わずかに震える声で尋ねた。
俥夫は遥の言葉に、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ、その男性の方は、半年ほど前になりますか。大変熱心な方でしてね。
お電話で問い合わせがあったんです。
ご自身は来られないが、恋人が喜びそうな場所を巡るルートを、時間をかけて一緒にオンラインの打ち合わせで考えてくれないかと。
それはもう、細かく、ひとつひとつの景色について、どんな風に見えるか、どんなことを感じるだろうか、と真剣に相談してくださいましたよ」
俥夫の言葉は、まるで圭の声が聞こえてくるかのようだった。
圭が、遥の喜ぶ顔を想像しながら、遠く離れた場所から、見えない労力を費やしてくれていたのだと思うと、遥の胸は熱くなる。
「その方は、ご自身が人力車に乗るのではなく、恋人に、このルートを体験させてあげてほしいと。
料金も前払いしてくださって、
『特別コースのレシートを持つ女性が来たら、どうか一番心を込めて、その景色を届けてやってほしい』
と、そう頼まれていました」
俥夫の言葉が、遥の心をじんわりと満たしていく。
圭は、自身の余命を知り、遥のためにこの旅を計画していたのだろうか。
そう思うと、胸が締め付けられるほど切なくなった。
彼の深い愛情と、遥の未来を想う周到な計画性が、今、目の前で鮮やかに明らかになっていく。
「まさか、そんな風に……」
遥は言葉を失った。
俥夫は、遥の感情を察したように、優しく微笑んだ。
「その方が、お客様にとってどれほど大切な方なのか、私には分かりかねますが、お話しぶりから察するに、きっとそうなのでしょうね。
その方の想いを、私が責任を持って、この人力車に乗せてお届けいたします」
遥は、涙が溢れそうになるのを必死でこらえ、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。お願いします」
人力車に乗り込み、遥は深く息を吐いた。
俥夫が力強く車を引き始める。
ガタゴトと、車輪が石畳の上を軽快に進む音が、心地よく響いた。
最初に人力車が向かったのは、ガイドブックにも載っていた嵐山の竹林だ。
高く伸びた竹が空を覆い、辺りは幻想的な緑の光に包まれている。
風が竹の葉を揺らし、さやさやと優しい音が響き渡る。
「まるで、竹が歌っているようですね」
遥が思わずそう呟くと、俥夫が振り返ってにこやかに言った。
「ええ、お客様がおっしゃった通り、この竹林は、風が吹くたびに様々な音色を奏でてくれます。
まるで、森の精霊たちが語りかけているかのようでしょう」
圭は、きっと遥がこの竹林の音色に感動することを想像していたに違いない。
遥は目を閉じ、風の音に耳を傾けた。
その音の中に、圭の優しい声が混じっているような気がした。
竹林を抜け、次に人力車は桂川沿いの小道をゆっくりと進む。
錦秋の嵐山は、紅葉が始まったばかりの木々と、まだ緑を残す木々が織りなすグラデーションが美しかった。
川面には、夕焼けのオレンジ色が映り込み、きらきらと輝いている。
「この景色も、彼が特にこだわっていた場所ですよ」と、俥夫が声をかけてきた。
圭の想いが、この景色の一つ一つに込められている。
遥は、隣に圭がいるような錯覚に陥り、彼の大きな手が、遥の肩をそっと抱き寄せるような温かさを感じた。
この人力車の旅は、圭が遥のために用意してくれた、特別な時間だった。
ただ美しい景色を見せるだけではない。
遥の心に、圭の深い愛を、温かく、じんわりと染み込ませるための、彼の最後の贈り物。
遥は、胸いっぱいに秋の風を吸い込み、彼の愛の大きさに、ただただ感動していた。
10
あなたにおすすめの小説
〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー
i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆
最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡
バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。
数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!
恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。
誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、
三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。
「キャ...ス...といっしょ?」
キャス……?
その名を知るはずのない我が子が、どうして?
胸騒ぎはやがて確信へと変わる。
夫が隠し続けていた“女の影”が、
じわりと家族の中に染み出していた。
だがそれは、いま目の前の裏切りではない。
学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。
その一夜の結果は、静かに、確実に、
フローレンスの家族を壊しはじめていた。
愛しているのに疑ってしまう。
信じたいのに、信じられない。
夫は嘘をつき続け、女は影のように
フローレンスの生活に忍び寄る。
──私は、この結婚を守れるの?
──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの?
秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。
真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる